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同作品は、自分は「勉強ができる主人公」分析のときにちょっとかかわったぐらいで、まーそもそもジャンル的に「not for me」です。
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ただアニメ化だかドラマ化もされたはずだし、少年ジャンプでかなり人気だったそうだから、クオリティも高かったのだろう。無事に結末を迎えてお疲れさまでした――である。
しかし、まあ上の話を聞いて、「物語」論としてはうーむというか、みんながある意味わかってたけど、避けていたことに正面から突っ込んだのだなあ、と感心させられる。
ひとことでいえば「物語は誰のもの?」ということである。
過去に関係記事を何度か書いているけど、やはりそこでも紹介した…当時話題になった井伏鱒二「山椒魚」の話を例にとろう。
「山椒魚」(さんしょううお)は、井伏鱒二の短編小説。成長しすぎて自分の棲家である岩屋から出られなくなってしまった山椒魚の悲嘆をユーモラスに描いた作品で、井伏の代表的な短編作品である。井伏の学生時代の習作「幽閉」(1923年)を改稿したもので、1929年、同人雑誌『文芸都市』5月号に初出、その後作品集『夜ふけと梅の花』に収録され、以降たびたび井伏の著作集の巻頭を飾った。国語教科書にも採用され広く親しまれている作品であったが、1985年、自選全集に収録する際に井伏自身によって結末部分が大幅に削除されたことで議論も呼んだ。
(略)
この突然の改稿は大きな波紋を呼び、削除に対する賛否や作者の真意、そして「作品」はいったい誰のものか、といったことをめぐって文壇を賑わわせただけでなく、その騒動はマスメディアからも注目を受けた[28][29][30]。井伏作品を愛読していた野坂昭如は『週刊朝日』誌上で、「山椒魚」はもはや書き手を離れている作品であるはずだと書き、これまでの読者はどうなるのかと強く反発した[注釈 8]。井伏の伝記を執筆した安岡章太郎も、当時の講演で…(後略)
物語は誰のもの?と聞いて、「それは作者のものだ」が唯一の正答(※もちろん、浮世の、俗世の世界では「著作権」という範囲内において法がそう定めている)なら、作者が自選全集の収録の際に結末を書き換えようと、作者が「主人公が誰と恋人になるか、マルチのエンディングを描きます。どれがただしい結末かは読者にお任せします」も、はいそうですね、と受け入れればいいのです。
何度も紹介したが「トクサツガガガ」でスピンオフやクロスオーバーのゲスト出演、設定集がテーマだったときに、こういうコマがある。
スターウォーズも、最初の作品をこう、再公開やらブルーレイにするときやらにちょっとだけ変えた。
『スター・ウォーズ フォースの覚醒』の前にこれを観ろ! - 1年で365本ひたすら映画を観まくる日記 (id:type-r / @hitasuraeiga) http://d.hatena.ne.jp/type-r/20151211#p1
……中でもファンが一番怒っていたのは、「ハン・ソロがグリードを撃ち殺すシーン」です。劇中、賞金稼ぎのグリードをハンが銃で撃つシーンがあって、オリジナル版ではハンの方がグリードを射殺していました。ところが、特別篇では「先にグリードが撃ってその後にハンが撃つ」という具合に変更されているのです。これは、ジョージ・ルーカスが映画を観る子供たちに配慮して、「ハン・ソロはやむを得ず撃ったんだということをはっきり示すため」に変更したらしいのですが、「もともとハンはお尋ね物で散々悪い事をやってきたのに、今更殺しを正当防衛化するなんて!」とアホらしすぎる変更内容に猛反発。
なぜならこれは、単にシーンを変えただけでなく、「ハンは意外と善人だった」という風に、キャラクターの設定まで変わってしまっているからです。この変更はさすがに容認できなかったようで、多くの人が怒りをぶちまけていました。
わかりる?
最初の登場時は「こいつは正義側に立つけど、本性はワルなんだぜ。ニヒルでかっこいいっしょ?」というキャラだったのだが、シリーズやってくうちにぐんぐん人気者になって…最初の「ワル」部分がちょっと、都合が悪いかなーってことになって、「不意打ち」から「正当防衛」に描写を描き替えた、というね…ジョージ・ルーカス、肝っ玉小さいなあ。初期のキャラ設定を、どうどう放置しているキン肉マンや魁!男塾を見習っていただきたい(笑)
しかし、これも「物語は作者のものでしょ?」で済むなら、ルーカス神がそうおっしゃったのだから信者どもはそれに従えばいいだけなのである。
だがそれを認めぬスターウォーズ教「プロテスタント」派の過激さと頑迷ぶりは、この物語論に、非常に有益な材料を与えてくれる。
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作品中で「…という展開も考えたんですけど、やめておく」と書くという、ものごっつい手法を取った例も
夢枕獏というフリーダムな作家は・・・
「神を超える神」となったというか、
「この物語で、こういうエピソードを考えたのですが、検討の結果没となりました。でもそのまま捨てるのは勿体無いので、『考えたんだけど没にしたストーリー』をこれから書きます」と宣言して堂々書いたことがあるな(笑)。それはジャイアント馬場vsアントニオ猪木(さらにそのメインは力道山vs前田日明)の前座として大仁田厚vs初代タイガーマスクが戦うという話だったが。
おや待て!!この話で、今回の事態を予言しているぞ!!!
「やっぱりB案がよかったなと思ったら『アナザーストーリー』を後に描けばいいじゃない」とか「死んだキャラクターを惜しいと思ったら、包帯を巻いて『実は生きていた』にすればいいじゃない」とかは禁句ですから。
特に後者。
前途ある漫画家に悪の道を教えないでください、宮下あきら先生と車田正美先生
…作者はここで筆をおくことにする。実は、小僧が「あの客」を確かめるため購入者台帳の住所を元に尋ねていくと、そこに人の住まいはなく、小さい稲荷の祠があった。小僧はびっくりした。-と書こうと思ったが、そう書けば小僧に残酷な気がしたので止めた。
https://plaza.rakuten.co.jp/misty247/diary/200606220000/
そして、作中において今まで読んだ小説ではありえないような衝撃のラストを飾る。
なんと、最後に作者が出てきて筆を置くことにすると締めくくったのだ。
小僧が寿司をおごってもらい親切にしてくれたAの正体を掴むために、Aが出鱈目に書いた番地を尋ねていくのだが、そこには小さい稲荷の祠があったことを書こうとしていた。
しかし、そう書くことは小僧に対し少し残酷な気がしてきたので擱筆することにしたという。
これが小説の神様といわれる由縁か……( ゚д゚)ここから面白くなってくるところなのに興が醒めてしまった。
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逆に「物語は作者のものでない!」と考えるなら…正統は、何が決める???
も一回トクサツガガガ
物語は、今回はっちゃけたジャンプ漫画でもない限り、ひとつのルートを選んでいく作業です、いやおうなく。
そして、「物語は作者のもの」というのが、浮世の、俗世の世界では「著作権」という範囲内において法がそう定めている、という話はさきほど書いた通り。
だが、それに熱狂的読者は不満をぶつけることも当然。
なにしろ、大河ドラマ第二作目「太閤記」の時ですら、何をどう勘違いしたのか「信長様が本能寺で死ぬなんていや!殺さないで!!」という信じがたい陳情がNHKに殺到し、しかも皆様のNHKも、さすがにその視聴者の要望には沿いかねたが、出演期間を2カ月ほど伸ばしたーーーという話がある。
そして、物語の結末に納得いかなかったファンが、自ら筆を、或いはキーボードをふるって「二次創作」に手を染めていく・・・・・・・・
あの「物語」は、自分が望んだ結末じゃなかった…本当にあるべき結末はこうだ!!自分が読みたいのはこうだ!!だから物語を、こう描き替えてやる!!
という欲望や欲求は、むかしむかしからあった、普遍的な欲求だったのではないかーーー、という話を、以前かきました。
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「なぜかつては家からかけるという文化があった電話が今日では、どこからでもかけるような文化に変化したのだろう。そこにはどのような社会病理があるのか…」と研究しなくても「いや昔っから、みんなどこからでも電話したかったねん。ただ携帯電話がなかったからそうしなかったんで、あるんだからそらどっからでも電話するわ」とね(笑)。
だから、実際のところ―ー読者はこれまでも物語を愉しみつつ、実は相当内面の中では、それだけ需要、消費して終わるのではなく、ごく単純に
「この物語、この登場人物の活躍する物語をもっと読みたい!」
「最後は死んでしまったこの主人公を生かしてほしい!」
「悲しい別れをしたこの二人の恋人を結婚させてほしい!!」
「偉大な皇帝を失った銀河帝国のその後が気になる!」
「孔明が生きていれば…」
「柳生十兵衛と宮本武蔵、もし戦わば?」
……といった発想や妄想(笑)は、実はちょっと地下を掘ればマグマのように煮えたぎっていたんじゃないか?
伝説という事なら、英雄不死伝説がいろいろ残っているし、中国でも、にっくき曹操らが敗れる架空小説が描かれたものでした。
ただ、それを描いて発表する(それが人目に触れる)という手段が、むかしは無いか非常に限られていて、今はそういうルートが確立された、という違いにすぎぬというわけ。
あと、日本では実に複雑微妙なバランス・オブ・パワーの結果「物語の二次創作を描いて、それを発表するのは…別にオッケーしたわけじゃないけどね…そこはね…まあ、なんというかね…いい天気ですね」みたいな、すっごく曖昧な形での「おめこぼし」があり、海外では少なくとも日本に比べれば、そうではない部分もある、ということもおさえておこう。ただ、法律的な、この俗の世界のお話ではないのだよ。聖なる「物語」の世界において、物語の正統性は「作者である」ことによって保障されるのか、という…
それは、権利が富野さんやルーカスさんや押井守やゆうきまさみ…といった個人に還元されないスターウォーズ、ガンダム宇宙世紀、パトレイバー…などなどを見ればそうだし、またさらに、では著作権が切れた作品なら、これは作者が描いたから物語の正統です、と言えなくなるのか??ともいえる。著作権を継承した財団がだれかを指名して公式の続篇を描かせる、みたいな話もあるが、それを正統な物語、といえるかという話もある。
あとで本格的に紹介したいが、最近出たこの本にもそれに近い話が出てくる。
「二次創作って、もーかるじゃん。どっかで勝手にやられるより、うちで出して儲けようよ!」となったから、ハンチョウも騎士島耕作も、今回のマルチエンドもあるんだよな
そもそも確かに、
大きなヒット作品があれば、
そのキャラクターや設定を利用してスピンオフ、二次創作を作れば「売れるだろう」というのは非常にありそうなことでありました。でも、こういう作品がバンバン出るようになったのは最近のことなんでしょうね。
それは何かと言えば、漫画かも編集者も含めて、作り手側がパロディと言うか2次創作と言うかそういうものに寛容になってきたということもあるんじゃないかなあ、という気がします。あと、コロンブスの卵のように「あーこういうの商業で出してもいいんだ。こういうのもありなんだ」と、どこかで皆がハッと思いついたんじゃないかと(笑)
売れそうな、質の高い二次創作が出たら、出版社が「ウチからこれ出さない?」と気楽に声をかける世界になればいいね(既になってる?)イメージはこんな感じ。
「物語」の正統は、おそらくは闘って勝ち取るしかないのだろう‥‥戦国時代か、あるいは民主主義のように。
けっきょく、法(著作権)は法でいいんだが、それは置いておくと、
「物語」とはしょせん、おはなし、ウソであるので、どの「ウソ」が「正しい」のかなんて、もともと言葉として矛盾しているのである。
では、どうやって物語が「正しい」とするかというと、結局実力によるしかないんだと思う。今回の恋愛漫画のマルチエンドは、それを認めたようなものである。
これは「オリジナルの作者が描いたものだ」「著作権管理財団から公式の続篇だと認定された」というのも、それはそれなりに”正統性”の要素のひとつにはなるだろう。いわば、戦国武将は実力で覇を競うとはいえ「我は清和源氏の流れをくむ名門なり」や「朝廷から正式に守護代の位を頂いたなり」が、その『実力』に加味されるようなものだ。ただ、それだけでは勝てない。作者が最初に発表した時に書いた結末と、全集収録時に描き直した結末が違うというのは…同じ家での兄弟同士の後継者争いみたいなもんだな。あと、今回の作者本人がマルチエンドを描く、というのは、銀英伝でフリードリヒ四世皇帝が意図的に「わしは何も決めてやらぬと決めたのだ」と後継者争いの混乱をむしろ望んで崩御したようなもの、といえる(言えねえよ)。
あとは、(法はともかく)物語の後継者=王位を狙うものは、自由に旗を掲げていい。そしてそれぞれの場で天下取りを目指せばいい。その結果、実力、民意によって、物語の正統ーーーこれが一番正しい物語です、は定まっていくことになるだろう。あれ?つまり今回の措置はただしい??
めちゃくちゃ曖昧な余談
これ、どこかで誰かが描いてた話らしく、自分は断片的に聞いただけで、へえおもしろいね、と思ったんだが、こんなオカルト・ストーリーがあるらしい
・幽霊だか悪魔だか妖怪だかは、人々が信じたり畏れたりすることがパワーの源である。信じる人が多いと実体化し、強烈な力を持つが、逆に信じない人ばかり、信者が少ないと力を失う。
(この設定、自分が知ってる限りでも藤子・F・不二雄、「アウターゾーン」「三丁目の夕日」…などなどに出てくるが…元ネタはどこだろうね?)
・あるとき、インターネットに凶悪な妖怪だか悪魔の噂話が出現してブームになり、その法則に従ってその妖怪が実体化し、大暴れし始める
・その法則、真実を知っている人たちは、直接妖怪を退治するのではなく「信じている人が減れば妖怪は消える」として、「実はそれは妖怪ではなく、もっと大きな真実があり、妖怪はそれを隠蔽する陰謀なのだ!」という『別の噂話』を広めることによって妖怪の力を失わせようとする……
という。「情報の独り歩き」「心理・メディア操作もの」という、個人的に好きなジャンルとしてもなかなか面白い話
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なんだけど「物語は誰のもの?作者のものではない。何が一番正しい物語か?、実力によって支持されたものが正しい、ということだ」という話のメタファーとしても、非常に興味深いものではないでしょうか
(本当にこんな作品があるかどうか…たしか固有名詞もちらっと読んだが忘れてしもうたすまん)
【コメント欄より】
通りすがりの者ですそれは城平京氏の虚構推理シリーズの鋼人七瀬ではないでしょうか。今、アニメやってます。
ありがとうございます。
アマゾンで探すと…
この話も足しておこう 「月の客」と「卒業写真」
…<卒業写真のあの人は優しい目をしてる>。<あの人>とは卒業で離れ離れになった心を寄せた男性と想像していたが、<あの人>とは高校時代の女性の先生なのだという▼松任谷さんと同じ立教女学院高等学校を卒業した五十代の女性からうかがった。同校ではそう伝わっている…
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……師が上京された時、私(去来)が言うことには、「洒堂はこの(下の)句を『月の猿』と(するのがよいと)申しますが、私は『(月の)客』のほうが優れているだろうと申します。いかがでしょうか。」(と。)
師が言うことには、「『猿』とはどういうことか。おまえは、この句をどのように考えて作ったのか。」(と。)
私(去来)が言うことには、「明るく澄んだ月に浮かれて山野を句を作りながら歩いております時に、岩の突端にもう一人の(月をめでる)風流人を見つけた(という情景を詠んだものです)。」と申し上げる。
師が言うことには、「ここにも一人月見をする人(月をめでる風流人がおります)と、自分から名のり出たことにしたならば、どれほど風流であろうか。ぜひ自称の句とするほうがよい…
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