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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「二次創作」増加は、受け手の”変化”でなく「元からあった志向が、技術進歩で実現可能になった」んじゃないかな?(仮説)

ホットエントリ経由で読んだ記事。

■マジョリティが二次創作や脳内補完に親しんでいる社会
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20140524/p1
それにしても、こんなに二次創作や脳内補完が溢れる社会って、よく考えたら不思議だ。
 
  二次創作親和的な作品、脳内補完してくれといわんばかりの作品がそこらじゅうに流通し、きっちり消費されている現状。たとえそれが一時代的な傾向だとしても、びっくりするに値する現象ではないか。『pixiv』『小説家になろう』が繁盛しているってのも、物語生成システムの作法を心得ている青少年が、それだけ沢山いるってこと……
(略)
物語を額面どおりに受け止める作法ではなく、キャラクターやシチュエーションを脳内補完的に楽しむ作法、疎な情報量でつくられたキャラクターやストーリーの剰余に自分自身の想像力を塗りこめて楽しむ作法――これが、日本の隅っこにまで普及している。
(略)
 しかし理由のいかんに関わらず、脳内補完的・二次創作的な楽しみが、メジャーと言って差し支え無いネットインフラ上で、マジョリティと言って差し支え無い青少年に支えられている……

さて、自分はそんなにその世界に親しんでないので「二次創作」というのが今そんなに増えたり目立つのかは正直分からないのだが…ただしシャーロキアンの端くれでもあるから「ああ、ホームズパロディ、パスティッシュのたぐいね」とすっと変換すれば腑に落ちるところだ。(そういえば以前は「二次創作」なんて言葉なかったんじゃないか?「パスティッシュ(世界観を尊重した二次創作)」「パロディ(少し風刺やメタも入った二次創作)」だったよね。)

で、まーシャーロッキアン、それもいわゆる「語られざる事件」を自分で考え出したり、そんなパスティシュを読んでた層というのも常に一定数いるけど、確かに大ブームだったわけじゃない。
ただ…そういう愉しみ方が増えたとしたら、それは上リンクの結論(といっても続きを予定しているようだが)にある

…私などは、そうしたパラダイムシフトの背景に、つい、一種の社会病理のようなものを想像したくなる。
 
 かつて作家が物語をつくり、それを字面どおりに読んでいた時代には、物語はどれだけ楽しくても、感情移入できても、まずは他者がつくった話であり他者が描いた登場人物であることが大前提だった。対照的に…(※今の二次創作とその元ネタは)個人の願望や想像力を滑り込ませて、シミュラークルを生成する…

という「社会病理」よりは「ブログや、画像投稿サイト、動画投稿サイトが出来たら、みんなが以前からやりたかったことができるようになった」ちゅうことじゃないかなあ、とごく単純に思ったりします。そこは上リンク先でも指摘されている。

…背景は様々だろう。大昔から同人誌頒布を支えてきた人達の賜物でもあるし、それこそ、KADOKAWAのようなメディアミックス展開のお陰でもある。TRPGエロゲーライトノベルといった、様々なサブジャンルが果たした役割も見逃せない*3。ドワンゴをはじめとするネットインフラが“とどめの一撃”になったのかもしれない。

自分がブクマでたとえたけど
「なぜかつては家からかけるという文化があった電話が今日では、どこからでもかけるような文化に変化したのだろう。そこにはどのような社会病理があるのか…」と研究しなくても「いや昔っから、みんなどこからでも電話したかったねん。ただ携帯電話がなかったからそうしなかったんで、あるんだからそらどっからでも電話するわ」とね(笑)。


だから、実際のところ―ー読者はこれまでも物語を愉しみつつ、実は相当内面の中では、それだけ需要、消費して終わるのではなく、ごく単純に
「この物語、この登場人物の活躍する物語をもっと読みたい!」
「最後は死んでしまったこの主人公を生かしてほしい!」
「悲しい別れをしたこの二人の恋人を結婚させてほしい!!」
「偉大な皇帝を失った銀河帝国のその後が気になる!」
孔明が生きていれば…」
柳生十兵衛宮本武蔵、もし戦わば?」
……といった発想や妄想(笑)は、実はちょっと地下を掘ればマグマのように煮えたぎっていたんじゃないか?こういう発想はむしろど真ん中をいくものだったんじゃないか?長州力の革命は終わらねえ!そうだろ?(※最後のは無視してください。「マグマ」と書いたらつい条件反射で)

それが、以前ならしこしこ紙に書いて出版社や印刷所に持ち込んだり、「アオイホノオ」にあるような努力によって自主映画やアニメ、マッドテープを創っていた時代は、その大変でお金も手間もかかる一連の作業それ自体が高いハードル、厚い壁となっていた。

しかしいまや、「ブログ」「ニコ動」その他によって、ほいとそういう創作物は世界に公開されるようになった。
過去に関連記事かいたっす。

■「映像を作って公開」のコストが、ここまで簡単になった話(今井哲也ハックス!」)

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120522/p3
「このパラパラ漫画を1枚ずつデジカメで撮影して」
「それを画像ビューアで0.1秒間隔で連続表示すれば」
「ほらアニメだ」
(略)
OPアニメを作るときにまず天才・異能たちを集めるところから始まる、80年代の「アオイホノオ」と、「まずこのデジカメでノートをとって・・・とりあえず作品一本、世界中に公開してみる?」というテン年代の「ハックス!」と。

まあ、そんな感じで「できる環境になった。そしたらそら、みんなやり始めたわ!!」ということが大きいんじゃないかしらね。絶対数の増加は。

何度も書いたネタだけど、こういう世界を皮肉たっぷりに描いた星新一の短編があってね…いいかげん正式な作品名を確認しよう、たぶん「未来いそっぷ」に収録された。
その世界は機械化でみなの余暇がたっぷりあって(ここは違うかな(笑))、映像、作曲、本の印刷や製本をサポートする機械が普及しまくり、皆がそういう創作活動にいそしむことが可能になったが・・・という話。あれ、この作品だとやっぱり「一種の社会病理」論になるのかな(笑)

未来いそっぷ (新潮文庫)

未来いそっぷ (新潮文庫)

ただ、一般の「創作力」はたしかに上昇したよね。お約束やパターンを整理、消化できてるから。

これも以前書いてましたっけ。

twitterハッシュ大喜利での「あるある・お約束指摘」系は、日本の読み手の水準の高さを示す -
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110922/p4


今回目に付いたハッシュタグ大喜利
#最強の死亡フラグをツイートしたやつが勝ち

だそうです。

・俺は…俺はいま、神になった!
・旅行先のツアー名簿に「江戸川コナン」の名前
・この戦いが終わったらお前、どうする?
・俺さ、来月パパになるんだ
・よしっ、オレが一番乗りだ!
・出来たッ!!出来たぞ!!私の最高傑作だ!!
・…はぁ、はぁ、、しつこいヤツだ…まぁここまで来たら、もう大丈夫だろう…
・やっと俺にも、友達出来たよ!

(略)
こんなに「手の内」を読んでいる読者、視聴者がいる中で、クリエイター稼業をやっていく勇者たちの大変さよ。頭が下がるわ。「一見さんはお断りだ!!百見さんはもっとお断りだ!!」という絶望先生の叫びもリアルに響く……

だいたい「ツンデレ」だって、ほんとだったらその作品ごとに「へー、この花子さんはいっけんキツいけど、実はやさしい子なんだね」とか「口では悪口を言ってるけど、実は彼のことが好きなんだね」と素直に受容すりゃいいんだよね。
「あー、ツンデレなのね、このキャラは」と思うということはそれ自体、幸か不幸か、それだけ読み手のスキルは上がっている、ということなんだよなあ。

そういう点での蓄積と爆発にいたるまでは、たしかに1970年代や1980年代ではまだ発火点に達していなかったかもしれない。

そして何だかんだといって、キャラクターや世界観を借りて物語を作るのは、一からその世界を作るより、読み手も書き手も”コストが安く”あがるものだろう。アマが、アマとして楽しむにせよ、或いはプロへのステップとするための練習、習作にせよ、そちらのほうがやりやすいものなのだろうと思う。


このネタも何度も書いているが、かつて「ムエタイ最強論」というのがあって、その根拠となるのが技術や技体系以上に「ムエタイはプロ選手だけで一国に3000人いる」というおとだった。山嶺の高さは、やはり裾野の広さにそのまま比例する。
その強みは、そのまま強さとして生かしていっていいし、そうできるんじゃないだろうか。


 ただ、どうでしょう?「二次創作をしている人の国ごと人口数、割合」なんて統計はJETROもとっているとは思えない。だが、広がっていけばいくほど、普遍的なものにはなっていくんじゃないかとも思う。実は英語圏でも、ハリー・ポッターやディズニー映画などを題材に、既にそんな二次創作がさかんなのかもしれない。

なんとかっていう…バンパイヤだかゾンビの、最近のベストセラー小説は、もともとネットに発表され、キャラクターは別の創作から借用したものだったが、面白いんで完全オリジナル小説として再構成して売られた…という話を聞いたことがあります。


その作品を探すために検索したら、ベストセラー小説「フィフィティ・シェイズ・オブ・グレイ」というものらしい。

米アマゾン、2次創作を販売できる新サービス「Kindle Worlds」を開始
2013年6月6日 11:37
http://eiga.com/news/20130606/5/
[映画.com ニュース] 米アマゾンが、ファンによる2次創作を電子書籍として正式に販売できる「Kindle Worlds」を発足させたと発表した。

既存の著作物を下敷きにファンが作り上げた2次創作は、アメリカで「ファン・フィクション」と呼ばれ人気を博しているが、著作権上の都合から公に配布することができない。しかし、「Kindle Worlds」を使えば、2次創作として作成した作品を電子書籍として公に発表できるだけでなく、その利益を受け取ることも可能になる。
(略)
ベストセラー小説「フィフィティ・シェイズ・オブ・グレイ」も、「トワイライト」シリーズのファン・フィクションとして執筆されたものだが、著作権侵害で訴えられることを懸念し、キャラクター名などが変更された経緯がある。

ファン・フィクションを公認する「Kindle Worlds」が誕生したことで、新たなベストセラーが生まれるきっかけとなるかもしれない。

英語では二次創作を「ファン・フィクション」という。メモした。


ふーん、しかしKindleも大胆な試みするね・・・
これって元の創作者も、その権利から報酬を得る仕組みになってるらしいね。
たしか冲方丁氏が、こういう二次的な創作活動に関して「そこから、考え出した人に対しての報酬になるかどうかだ」という話をしていたっけ…

これか。
http://togetter.com/li/162125
および
http://towubukata.blogspot.jp/2011/07/blog-post.html

重要なのは、作品が類似することそのものではありません。

 多少、キャラが似ようが、語彙が似ようが、物語の展開が似ようが、作風が似ようが、正当な作品作りをしている限り、誰も問題にしません。

 そうではなく、「ある人が正当な対価を得るのを、邪魔する可能性を作る」こと、これが今回の問題の核心であったと考えます。

 作品を世に出す過程で、多くの人間が労力を費やし、時間を割き、アイディアを振り絞っております。
 そうした人々にこそ、対価が支払われるべきである、と考えるのは自然なことでしょう。そうでなければ、誰も、作品作りを本業にしたいとは思わなくなります。
 そのような対価を侵害し、正当な報酬を受け取ることができない人々を作ってしまう可能性こそ、「著作権侵害」として咎められるべきもの……

さて、日本で上のような仕組みができたら、うまく回っていくでしょうか。

東浩之氏の考えを、twitterから転載させてもらいます。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140525/p3へつづく。)