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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

【憲法記念日】「オンライン国会」という新技術・新概念に、想定外だった時代の憲法はどう対応すべきか

ことしの憲法記念日は、今までほとんど浮上しなかった、こんな争点が生まれました。

……読売新聞社憲法に関する全国世論調査(郵送方式)で、感染症の拡大などを理由に、国会へのオンライン出席を認めるべきだとの意見が83%に上った。


 憲法56条は、衆参両院の本会議を開く要件として「総議員の3分の1以上の出席」と定めている。これを踏まえ、衆参両院の規則は、議場にいない議員は議案に対する賛否の意思表示ができないとしている。

 国会議員からも新型コロナウイルスの感染者が出ており、感染が広がれば国会の機能が損なわれかねないとの指摘もある。オンライン審議の議論は具体化していないが、緊急時の活用を
www.yomiuri.co.jp

ブクマした。

国会本会議オンライン出席「賛成」83%…読売世論調査 : 世論調査 : 選挙・世論調査 : 読売新聞オンライン

この話は非常に面白くて、要は憲法制定時に「オンライン」なんて概念はまるでないわけね。だから条文に「出席」と書いちゃった。その後の新技術には改憲で対応するのか、「出席」の定義を変える…すなわち解釈改憲

2021/05/03 09:23
b.hatena.ne.jp

第五十五条 両議院は、各々その議員の資格に関する争訟を裁判する。但し、議員の議席を失はせるには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。
第五十六条 両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。
② 両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。
第五十七条 両議院の会議は、公開とする。但し、出席議員の三分の二以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。
② 両議院は、各々その会議の記録を保存し、秘密会の記録の中で特に秘密を要すると認められるもの以外は、これを公表し、且つ一般に頒布しなければならない。
③ 出席議員の五分の一以上の要求があれば、各議員の表決は、これを会議録に記載しなければならない。
第五十八条 両議院は、各々その議長その他の役員を選任する。
② 両議院は、各々その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。
第五十九条 法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。
② 衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。
elaws.e-gov.go.jp

実はこれ、コロナ禍前でも議員の「産休」や、障害と絡んでの議論があった。おお、2019年に収録してた俺はいい仕事しすぎる。
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論じたい話は、だいたいこのへんの通りで。

…と書いた(引用した)けれど、何も別に「だから憲法改正が必要だ」と言ってるわけじゃない。
やはり世のなか、憲法を描く人がジェール・ヴェルヌやヒューゴー・ガーンズバックA.C.クラークほどに未来技術を予測できるわけがないんで、不正などが外部から働いているということに疑問の余地が出ることなく遠方から投票をする技術、なんてことは想定の外だったんだろう。
だから文章に「出席議員」とかいちゃった。テレビ会議電子投票もアウトオブ眼中。
それはしょうがない。
(略)
…ということでこのままであっても、それもひとつの護憲論だろう。

それはいかんから改憲する、でもよろし。

法律は、「言葉の定義」のほうを変えるって抜け道があったよね。
この国では、自衛隊でも私学助成でも同性婚(まだアイデアに留まるが)でもそうやってきたっちゃあやってきた。

この場合「出席」というのの定義のほうはどうなんだろう。
いま、テレビ会議なんかでも、自宅で機器の前に座って、そこで「ハイ、わたしここにおりますよー。そっちの議論も聞こえてるし、自分の意見も述べますよー」という状態なら、それは『出席』と定義できるんじゃない???…いや、どうだろうな……。


この際、「言葉の定義」「『出席』とはなんぞや」と・・・・・・・・・・・


で、問題は
「この〇〇は、関連する法を定めるときに、まったく実物も概念も存在してなかったからな。当然〇〇を想定はしていない」
「では、〇〇についての取り扱いを法律改正して決めますか?」
「いろいろ手続きが大変だし、政治情勢的に難しくてな…」
「では、〇〇も法文にある『XXX』の一部(※あるいは逆に『XXX』の一部ではない」)と解釈しますか」
「それも無理があるなあ…というか仮に自然であっても、あとからそうやっては法の厳粛さがね……」と。



これ、同性婚における憲法の「両性」とか「夫婦」という言葉の扱いとまったく同じはなしではあるよね。法律制定時、同性結婚という概念自体がまったく関係者には存在しなかった。YESもNOもない、それについては「想定外」だった、と。


じゃあ、想定外だったものを認めるとき、明文でそれを付け加えたり、文章を変えるのか。それとも「両性には同性も含まれる(ええ……)」的な解釈を新たに変更するのか。


オンライン国会に話を戻すと「出席」とはそもそもなんであるのか

しゅっ‐せき【出席】 の解説
[名](スル)会合や学校の授業などに出ること。「クラス会に出席する」「出席簿」⇔欠席

しかし実際、オンライン授業はもう始まっているよね。

このへん、今後の「国語辞書」はどういう扱いをしていくのかな。

「興亡の世界史」はじめとする講談社学術文庫多数が、アマゾンでポイント50%還元中(2021年5月3日現在)


で、リンクを見てみたら、たとえばの一例で「興亡の世界史」があるわけよ。

https://www.amazon.co.jp/s?rh=n%3A10294283051&fs=true&ref=lp_10294283051_sar



もう「世界の歴史」的なシリーズは何度も作られたから、新機軸を出さざるを得ず、知恵を絞った結果「興亡」に焦点を当てようとね。そんなやつ。
自分、全部読んだわけじゃないけど、読んだ回はすべて面白かった。

検索してみると、これまたすべてじゃないが、断片的に紹介して感想をかいている。
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ま、ただ、講談社学術文庫版で、あるいはkindleで常にてもとに置いておきたい、という気持ちも十分わかるんだけど、一方でこのシリーズはかなりの図書館に置いてあるとも思う。
そちらを活用するのも一案ではあるぞよ。迷っているうちにこのキャンペーンも終わってしまいかねないが…


あと…これはどうなるかな?

李白と杜甫 (講談社学術文庫)

李白と杜甫 (講談社学術文庫)


残念、これは50%還元の対象外だ。

ドラえもんで一番好きなコマは、のび太とドラが「ねよう。」と惰眠をむさぼる場面です(10巻)

藤子不二雄ファンはここにいる」の最近の記事で、
koikesan.hatenablog.com
ということで、ドラえもんの中でも特に「幸せそうな場面」がポスターになっているとの話を目にした。

なるほど、どれもすぐれたポスターだ。
ただ……自分の中では断トツの場面、あのベストオブベストのひとこまは無かった。・・・というか、じゃあと探してみたけど広大なネットでも、これをピックアップした引用は無いらしい。
では、そこで紹介しよう。

ドラえもんてんとう虫コミックス10巻には「スピードどけい」という回がある。

ドラえもん (10) (てんとう虫コミックス)

ドラえもん (10) (てんとう虫コミックス)

待望の夏休みまであと三日。のび太はそわそわして落ち着きません。そこでドラえもんになんとかしてくれと迫ったところ、しぶしぶ出してくれたひみつ道具が“スピードどけい”です。

機能と効果
ドラえもんのスピードどけいは、時間を早送りする懐中時計です。

この時計の針をぐるっと回すと、1回転につき1日時間が進みます。
moshimodogu.com


そう、この機能を使って、待ちきれない夏休みにすぐ入ったり、その中でも晴れの日や楽しいイベント日にすぐ行ける…そんな機械を得たのと、そして夏休み特有ののんびり感で、のび太もドラもこんなふうになる。

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ドラえもん「(宿題をほっておいて)ねよう。」~10巻の「スピードどけい」より

拡大……

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ドラえもん「(宿題をほっておいて)ねよう。」~10巻の「スピードどけい」より

寝るときに「ねよう。」と意思を示してから眠る奴がどれぐらいいるのか、はさておいて(笑)、表情を見せないドラの構図が最高でしょ。鼻ちょうちんもふくめ。からのコップ2つも含め。

そして聖書の七つの大罪のひとつ「怠惰」を、ここまで的確にあらわした図があろうか。


と同時に、まだまだ残り期間がある夏休みに、その時間を満喫するかのように、あえて宿題があっても、その存在と警告には目をつぶって遊び、ねむくなったら寝る。
この心地良さ、それをおもいだしませんか。

なお「しゅくだい」がひらがな表記されたバージョンもあった。



しかし、もちろん、それで問題は解決しないのである。

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ドラえもん「宿題がぜんぜんできてない」~10巻の「スピードどけい」より

そりゃあ、やってないんだから、できてないわな……



さて、本日は5月3日。ゴールデン・ウィークも後半ということになりましょうか。
この日に、この「ねよう。」と「宿題がぜんぜんできてない」の画像を紹介するのも、まあ、なんか含蓄があっていいよね。


以上。ねよう。

呉智英氏の新刊「バカに唾をかけろ」が6月発売

バカに唾をかけろ

バカに唾をかけろ

  • 作者:呉 智英
  • 発売日: 2021/06/03
  • メディア: 新書



自称知識知人の無知・無見識をあぶり出す。

「最も危険な論客」が衆愚社会を撃つ!自称知識人たちの無知・無見識を容赦なくあぶり出す“劇薬”。
たとえば話題になった「表現の不自由展」については、こうして一刀両断。〈議論の中心にあるのは慰安婦を象徴する「少女像」だが、これ、いつ表現が不自由になったのか。少女像はソウルの日本大使館前に二〇一一年から堂々と設置されている。しかも公道にである。(中略)こうした少女像のどこが「表現の不自由」なのか。津田大介ら破廉恥な運動家連中がわざわざここで表現の不自由を作り出したのだ。ありもしない交通事故を作り出す「当り屋」商売と同じである〉(本文より)
返す刀で保守派に対しても、〈何を「保守」すべきかといえば、まず伝統だろう。しかし、伝統の意味を誤解していては話にならないし、昨日今日の流行を伝統だと思い込んでいては大恥だろう。ところが、現実にはそういう論者が多いのだ〉と手厳しい。
そしてこう嘆く。〈大衆も知識人もバカまみれ、バカ汚染である。こんな時代に心ある人のできることは何か。バカを痛罵することだ。バカに痛罵をかけろ。バカに唾をかけろ〉


【編集担当からのおすすめ情報】
週刊ポスト』で連載していた「現実のバカ」に新たに補論を加え、さらに長文評論「人権を疑え」を加筆した、著者の集大成的評論集です。ベストセラー『バカにつける薬』から30年余り、ますます劣化した自称知識人と衆愚社会に向けた「狂暴なる言論」は、それでもなお知識や教養を求める人たちにとっての最後の救いなのかもしれません。

朝倉未来と萩原京平、対戦の是非についてツイッターで相互煽り




自分は、最終的にやると思っている。それはまさしく、萩原が「まだ2勝(3勝)1敗」の選手だから、「それゆえに」なんだけど



路上の伝説

路上の伝説

自身の過去の”鬼畜系”コラムを「やや不謹慎」で済ませるの、メンタルつえーな、と思った(香山リカ氏の著書から)

昨年出た、香山リカ氏のこんな著書がある。

ヘイト・悪趣味・サブカルチャー 根本敬論

ヘイト・悪趣味・サブカルチャー 根本敬論

バブルに沸く日本で「表現の自由」を拡張したサブカルチャー、その象徴でもある漫画家・根本敬の世界に魅せられた精神科医が、サブカルとともに歩んできた自らの歴史を振り返りながら、90年代「悪趣味」ブームと平成末期の「ヘイト」の関連、表現することの未来と自由の可能性を解き明かす。

私は、31歳のとき書いた根本敬論で、「見てはいけない」と禁止されているものを見るのは「恋」と同じなのではないか、と書いた。「根本のマンガに登場する素材のうち、性倒錯者、糞尿マニア、守銭奴、乱暴者、貧乏な人などは、暗い世界とはいってもあくまで日常の了解がぎりぎり通用する」としながら、「妄想や幻覚、奇形、屍体などが自在に活動しだす時点」では、ついに「見てはいけない」の線が越えられている。私が、それを見たいというのは「恋」の視線なのだ、だから弾圧されることなどあってはならない、と書いた。あのとき「恋」という言葉で説明してしまった根本の漫画を、平成も終わるいま、もう一度、社会の中で考えてみたい。それがこの本の目的である。(本文より)


香山氏の論説を、時間やカネをかけて読む価値はあまりないと思っているけれども、ただこのテーマ設定は面白そうだった。
というのは、やはりこの論を掘っていくと、香山氏が今身を寄せている”陣営”や、自分の基盤を掘り崩していくんじゃないか?感があると思ったからだった。

実際、そういう面は読んでみて感じられた。
たとえば第一章の中では、バルテュスの「夢見るテレーズ」が、倫理に反する作品だということでNYメトロポリタン美術館から撤去せよ、という署名運動があることを紹介している。

togetter.com
togetter.com
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香山氏はこう語る

「だからといってその昔、芸術的価値があった作品が、社会の中で芸術ではなくなり規制の対象となる、ということがあってよいものだろうか」
ポリティカル・コレクトネスと芸術との在り方についていま一度、考えることを迫るものであり、私は重い気分になるのである」


その後、根本敬について、香山流の作品論を語る。ここは読む必要とくになし。太田出版社は、この部分を全部カットして、本の価格を抑えるべきでありました。


それで第5章では、
togetter.com

この種の議論に関して

根本ファンである私自身、それにどう反論してよいか、言葉を見つけられなくなったこともあった
(P255 )

みたいなことを言ってる。

ただ、その前に・・・・・・・・・191、192P

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香山リカ氏、過去に連載した鬼畜系コラム「サイコのお部屋」を「やや不謹慎なタイトル」で済ませる

なにしろ「すぎやまこういちは右翼なので音楽を聴きたくないから、無音でドラクエをやっている」ほどの香山氏である。
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「サイコのお部屋」に罪悪感を感じ、涙ながらに反省の弁を述べる記述でもあるかと思いきや
「やや不謹慎なタイトル」
「今考えると……”鬼畜系”のバリエーションとも言ってもよい」
で、さらっと済ませてることに驚いた。
メンタルつえーな!!!!



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まあ、超絶発言である「原発推進派は心の病気」もいまだに撤回しないし、

原発推進派は心の病気」(香山リカ氏、2012)に、木村幹氏らがあらためて批判 - Togetter https://togetter.com/li/1256098

「日本人」や「50(歳代)」「オトコ」なる、どちらも自分では変更しようのない属性をひとまとめにして「劣化」であると認定…

50オトコはなぜ劣化したのか(小学館新書)

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……しつつ、自身をリベラルであり反ヘイトだと自認している点でまー、その、なんだなんですけどネ。




閑話休題、「ヘイト・悪趣味・サブカルチャー」だが、意外なオチが待っている。

最後に近くなり、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)の「なんJ」というところに書き込んでいる住民たちが通報祭りをして、人種差別的youtuberの”凍結祭り”を行っている、ということを絶賛し、

サブカルはやっぱりヘイトではなかった。ヘイトを駆逐するのはサブカルだった。サブカルでよかったのだ」(270P)

という結論に到達する。

・・・・・・なんかに似てるなあ、と思ったら、まさに似たような例を思い出した。

「モンゴル軍がイスラム諸国を攻撃して滅ぼしている、との情報に接した西洋キリスト教国が、そのモンゴル軍こそ、東方にあると言われた偉大なキリスト教の賢王『プレスター・ジョン』が率いる援軍に違いない!!と誤認した」という故事だ。

……その後どうなったかは、ワールシュタットの地が知っている。



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へえ、そういう雑誌か…


【再掲載】「悪趣味」とヘイトの関係とか悩む前に、げんきに香山さんは「実話BUNKA超タブー」のインタビュー(2019年)にご登場してる。

実話BUNKA超タブー vol.43

韓国国会議長の天皇謝罪要求は新天皇の「即位の礼」潰しだった
韓国が世界にバラ撒くウソ徴用工の真実を暴く

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実話BUKNA超タブー 香山リカさんも同じ号に出演
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香山リカ氏、そもそもなんで「実話BUNKA超タブー」に登場したのだろう

香山リカ 心の棚が ジャイアン

ちばてつやが遅刻の梶原一騎に代わり「あしたのジョー」舞台挨拶で先にマイクを握ったら…何が起こったか?(「梶原一騎伝」)

ひとつ前がちばてつや先生の記事なので…直接の縁はないんだけど、この話を紹介しよう。
元は最近出た「純情 梶原一騎正伝」と比較させる意味で、「梶原一騎伝 夕焼けを見ていた男」を再読したのでした。

1995年に初版が出た時読んだから、もう30年近く前。そりゃ細部を覚えている訳が無かった。

ちばてつや梶原一騎に関する記述はいろいろあり、例えば冒頭部分でドヤ街描写など、相当原作をいじってちば先生がオリジナル描写を加えたこと、そのころから「原作の一字一句の改変もゆるさず!」だった梶原一騎がどのように納得したか、
体格差のあるように描いてしまった力石徹が、その後永遠のライバルになったため「同じ階級にするために力石が死の減量をする」という展開になったこと、
白木葉子はジョーが好きなのか嫌いなのか、揺れ動いたこと、逆に紀子がジョーではなくマンモス鈴木と結ばれること
そしてラストシーン……他でも語られていたいろいろな伝説が過不足なくまとめられている。
ちば先生が今度の短編集に収録した最新作「グレてつ」でも一部描かれていた。


そして…へー、斎藤貴男氏、この話に特化した別のノンフィクションも本にしてたのね。

(※ただこの後、夏目房之介氏であったかな、紫電改のタカやハリスの旋風ですでに大人気漫画家だったちばてつや梶原一騎と五分か、或いは格上の存在であり、力関係に敏感な一騎は、最初から一目も二目も置いていたのではないか、と推測していた。)


しかし、その「ジョー」が不世出の人気を確立したあとの話・・・・・・・・梶原一騎が設立した映画会社「三協映画」が、あしたのジョーを映画アニメにする…。

あしたのジョー2 COMPLETE DVD BOOK VOL.5 (<DVD>)

あしたのジョー2 COMPLETE DVD BOOK VOL.5 (<DVD>)

  • 発売日: 2019/03/28
  • メディア: 単行本

……昭和五十六年七月、劇場用アニメ「あしたのジョー2」が、全国の東映系劇場で一斉公開された。制作は梶原の三協映画。前年、その十年前にヒットした「ジョー」のテレビアニメを劇場用に再編集して公開したのが当たったので、その続編というわけである。パート2にはちばてつやの「ちば企画」も出資した。パート2では、力石の死後からラストのホセ・メンドーサ戦までが描かれた。同時平行でテレビアニメ「ジョー2」の企画も進み、こちらが映画公開の頃にはすでに回を重ねているという連携作戦が当たって、試写会の人気も上々だった。

試写会後、東京・渋谷のパーティー会場。挨拶は原作者であり三協映画のトップでもある梶原、続いてちばの順に予定されていたのだが、梶原はここに来る途中で渋滞に巻き込まれ、到着がかなり遅れてしまった。仕方なく、ちばがマイクを握る。「皆さんすみません。梶原先生が遅れているようなので、私が先にご挨拶をさせていただきます―――」
せっかくのお客さんたちを、あまり待たせるわけにはいかない。舞台挨拶は無事進行したが、これが梶原の気を損ねた。
その晩は関係者たちと飲み明かしたちばが、翌日の早朝に帰宅して床につくと、一本の電話に叩き起こされた。初め父親が受話器を取り、本人が眠ったばかりであることを告げたが、どうしても本人を出せという。
電話の内容は、抗議であるようだった。昨日の挨拶は何だ、梶原先生を馬鹿にしたな、というのである。酔った寝入りばなのこととて、初めは相手が誰で、何のことを言っているのかもわからなかったちばは、やがて相手が自分も知っている、梶原にごく近い人物であることに気がついた。
「ああ、あなた○○さんでしたか」「誰だと思ってたんだ、このバカヤロー!」


その後もしばらくの間、梶原周辺からの同様の電話が続いた。ちばが知っている人からの場合も、そうでない場合もあった。「よく恐ろしくもなく、町ん中を走れるな。近くにウチの若い者が行ってないか?」
と、これはジョギングから帰ってきた時にかかってきた電話。梶原の秘書を名乗る男からの、こんな電話もあった。「今、周りの者がそちらに向かって行ったようなんです。知りませんか」
中には、「会いたい」と言ってきた男もいた。指定されたホテルのロビーに出向いたちばが、いったい何を要求されるのかと考えていると、やってきた男は頭を下げてきた。「ちば先生、申し訳ありません。みんな梶原に言われてやってることなんです。すぐ後ろで、梶原が私の足を蹴りながら見張ってるんです。そうでなければ、私だってあんなこと、したくないんです」


梶原とその周辺は、荒みきっていた。それにしても、仕方なく先に挨拶しただけのことで、なぜこんなことをされなければならないのか、ちばには皆目見当がつかなかった。
ちばは当時、この話を誰にもしなかった。が、ちばプロダクションにも毎日大勢の人が出入りしている。梶原周辺の若い者が、自慢げに吹聴したかもしれない。
この話は漫画界で旗原の火のように広まり、編集者たちはそこここでこんな挨拶を交わした。「梶原さん、いよいよ駄目だよ」。
すでに、つのだじろうにまつわる一連の事件は漫画界の常識だった。松本零士の「宇宙戦艦ヤマト」が大ヒットした時も、梶原の周囲には息巻く者があったといわれる。
昭和三十年代、まだ漫画原作に手を染める前の梶原が、やはり戦艦大和が再生され、羽をつけて空を飛ぶというアイディアの少年小説を「おもしろブック」に発表したことがあるからである。もっともそれも、「昭和遊撃隊」で知られる戦前の児童文学者・平田晋策の「新戦艦高千穂」にヒントを得ていたのだが。「それまでの事件には、それなりに理解できる部分がありました。脅迫なんかいけないに決まってるけど、つのださんの件なんかは、梶原さんに分があるとも思います。だけど、このちばさんの一件だけはね。
それだけ、ちばさんはこの業界では人格者で通ってるんですよ。みんなに好かれている。そのちばさんを脅した。ついに、そこまでいっちゃったか......と、業界全体がなってしまったわけです」
今では役員クラスに昇進している、当時のある少年週刊誌の編集長の回想である。この年の秋、ちばの漫画家生活二十五周年を祝うパーティーが催されている。「あしたのジョー」で燃え尽きることのできた男は、なおこんなにも皆に愛されている。
燃え尽きることができなかった梶原の胸に残った燃えかすは、まだブスブスと不完全燃焼を続けていた。
梶原を新たに起用する編集部は、ほとんど談社系の出版社だけになった。「少年マガジン」では、昭和五十七年の一月から「悪役プルース」(峰岸とおる・画)が始まった。前後して「ヤングマガジン」で「女子レスラー紅子」(中城健)、「月刊少年マガジン」で「タイガーマスク=世」(宮田洋一)の連載が開始されている。いずれも当時の梶原のビジネスに連動した格闘技漫画であるという点で共通していた。大ヒットにはならなくても、格闘技界の黒幕が自ら書く情報漫画として、一定の読者層は見込めるという判断が、講談社側にあった。


梶原一騎の言動を「稚気愛すべし」「ガキ大将がそのまんま大人になったようで、憎めない」「悪人というより、コワモテの”悪役”を演じていた」……みたいな感じで弁護する向きもあるが、たしかにそういう面もあるにせよ、結局この一事件だけで、十分に「こういう人物とはかかわりあいを持ちたくない」と思わせるに足る。第一、挨拶の順番にこだわって、かつてのビジネスパートナーに対して取り巻きに脅迫させるなんて稚気というより陰湿な大人のふるまいだろう。


そして、そういう序列への意味のないこだわりなんて…ぶっちゃけ、そのへんの会社にも学校にも業界にも、石を投げれば当たるほど数多い。
梶原一騎、やっぱり弁護の余地ない巨悪だわ」の半面、逆に「悪にしても、そのへんに一山いくらでいる、平凡で凡庸な悪やなあ」感も。




そんな形で、マンガ業界では祭り上げられつつ敬遠された梶原一騎は、ますます格闘技や映画の世界にのめり込み、酒色におぼれ、取り巻きとのタテの人間関係のみになっていく…。
土田世紀編集王」のマンボ好塚は、このへんの業界伝説に尾ひれをつけてデフォルメしたんだろうな。




ただ、本人もそれを自覚していて、本質的にさびしがりやな彼は……、ごく少数の、梶原一騎にものおじしない漫画家とは、たまには温かい交流の場面も持つ。
矢口高雄原田久仁信氏が、それだ。

そこだけが、どんどん暗く転落していく梶原一騎の人生の、ときおりのセピア色の温かい場面として、この本では挿入されている。


残念ながら矢口高雄氏はこの前逝去されたが、ちばてつや原田久仁信氏も、このへんで「パートナー作画者から見た梶原一騎の一場面」を漫画で描いてくれないかなあ。上のような話を敢えて回避して、いい思い出だけでも構わないから……(了)