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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

いまや「チンギス・カン」が正式呼称に…元帝国も「大元ウルス」か?歴史と名称の話

このブログ、名称にまつわる話題は、こつこつと集めてんで。たぶんはてなで一番やで。
それがいざというとき、力を発揮するねんで。

チンギスの称号はカン?ハン?カーン?ハーン? http://kousyou.cc/archives/12450

結論からいうと、歴史学上正しいのは、ちょっと前までチンギス・ハンだったが今はチンギス・カンである。

「カン(ハン)」はトルコ系・モンゴル系遊牧民が用いていた称号で王や族長を表す。ここでやっかいなのがモンゴル語の発音では丁度「カ」と「ハ」の間の発音であることで、時代によってカに近かったりハに近かったりするが、近年の研究でチンギスが生きていた十三世紀は「カ」に近い音だった……

まあ、これ自体は発音がちょっと変わる、という話だから、グルジアジョージアに変わるような思想的、ロジック的な問題が発生するような話ではないが…



ガーンといけえカン!!

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120714/p1

プロレススーパースター列伝に名せりふ数あれど、この「ガーンといけえカーン(本名:小沢正志)」を白眉とする声は多い。
本来的にはジンギスカンから取ったのだからカーンでなく、お店の名前のように「カン」が正式なのだが、そこは自称他称の正義学、も関係してくるのだ。
一度まだ、版が小さいころ紙プロで「カーン・新日最強のちゃんこ番」伝説を特集していたのだが、藤原嘉明とカーンのふたりがちゃんこ番の双璧で、みな彼らが当番のときは浮き足立っていたり、偉い選手もその日はやってきたという。
「魚はなべに入れる前にざるに乗せて熱湯をかければ生臭くない」だの「野菜ジュースをカレーに入れるとこくが出る」など実践的な名言もあり、後者は自分も参考にしている。
それが「尾崎豊が愛したカレー」となる(後略)

後半の引用、関係ねぇ(笑)

ちなみに誕生の由来は

http://www.yomiuri.co.jp/otona/special/prowres/20141027-OYT8T50060.html
新日本でコーチをしていたカール・ゴッチさんから「モンゴル人という触れ込みで行け。名前はテムジン・モンゴルにしろ」とアドバイスを受けました。客を呼べるキャラクターも必要だということで。日本人は小柄なイメージが強いけど、俺はデカかったから異色の存在として売り出すためだったのだと思います。ゴッチさんが絵を描きながら「髪形は三つ編みの弁髪べんぱつにして、衣装もこういうのを作りなさい」と説明してくれました。それで東京にある映画の衣装を作る会社に行って、モンゴル風の衣装を作ったんです。

で、その「テムジン・モンゴル」を「キラー・カン」にしたので頑固なゴッチ先生は大変ご立腹されたとか。ああめんどくせえジジイだよ(笑)
それにますます関係ねぇ(笑)



そしてプロレス界でいえば、ヴォルク・ハンの「ハン」も、元はこの、モンゴル族の長の称号が美称としてあの地域に残ったもの。
上のリンク先でも紹介されている

モンゴル帝国と長いその後 (興亡の世界史)

モンゴル帝国と長いその後 (興亡の世界史)

では、後半に「婿たちのユーラシア」という章があり、モンゴル帝国の消滅後も、その王族の権威はながく広い地に残り、多くの英雄豪傑たちが、モンゴル王族の娘を妻に迎えたり称号を受け継いだりして「チンギスカンの後継者」であると名乗ったということらしい。有名どころでは中央アジアの独眼竜ティムール。

ウィキペディアの「ティムール」
ティムールはチンギス・ハーンの子孫ではなかったために生涯「ハン」の称号を名乗らず[4][12][13]、「キュレゲン(グルガン、ハンの婿)」「アミール(長、司令官)」の称号を名乗った[14][15]。ティムールが鋳造した貨幣にはチャガタイ家のハンの名前と共にキュレゲンの称号が刻まれ、モスクの金曜礼拝でもハンの名前とキュレゲンの称号がフトバに入れて唱えられた[13]。彼が没してからおよそ20年後、ティムール朝で編纂された史書『ザファル・ナーマ』で彼が生前名乗らなかった「ハーガーン(ハン)」「スルターン」の称号が追贈された

 
そしてこの国

ウィキペディアの「ムガル帝国」
王朝名の「ムガル」とは、モンゴルを意味するペルシア語の「ムグール」(モゴール ; مغول Mughūl)の短縮した読みであるムグル(Mughul)が、ムガル(Mughal)に転訛したものである。すなわち、「ムガル帝国」とは「モンゴル人の帝国」という意味の国名になるが、これは飽くまでも他称である。

「元」という国も、「大元ウルス」になる?つまり中国の一時期が元なのか、「モンゴルが中国を一時期滅ぼした」のか。

上の書籍では「大元ウルス」という言葉が使われている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%B9
ウルス(中世モンゴル語 : ulus, 現代モンゴル語 : улс uls オルス)は、モンゴル語で「国家」「人々」を意味する単語である。原義は「人の渦」。遊牧民であるモンゴル人にとっては、国家とはすなわち人々の集合体であったことから同義語となっている。
(略)
やがて、ジョチ、チャガタイ、オゴデイ3子の子孫と、のちに西アジアの征服に派遣されたチンギスの四男トルイの子フレグの子孫は、それぞれモンゴル帝国の西方で大規模なウルスを形成した。これらのウルスの君主は汗(カン、ハン,Qan)を称したため、汗の治める国家という意味でしばしば汗国(ハン国/khanate)と呼ぶ。一般には、中央アジアを支配したチャガタイ・ウルスをチャガタイ・ハン国、キプチャク草原を支配したジョチ・ウルスキプチャク・ハン国(金帳汗国)、西アジアを支配したフレグ・ウルスをイル・ハン国イルハン朝)と呼び、総称して「三汗国」と呼んでいる。
(略)
かつてはモンゴル帝国の分裂といっていたが、実際には元の皇帝(カアン、大ハーン)を宗主として、モンゴル帝国の4ウルスは緩やかな連合を14世紀の前半まで続ける。
その後、モンゴル帝国後の遊牧民社会は再編を繰り返しながら、チンギス・カンの末裔を君主とする政権は次第に消滅していき、1783年にクリミア・ハン国ロシア帝国に征服されたことをもってチンギス裔を君主に頂く国家は消滅した。
現代モンゴル語では、ウルスは「国」という意味であり、モンゴル系民族唯一の独立国であるモンゴル国モンゴル語による正式名称は、モンゴル・ウルス(Монгол Улс)という


「殷、周、新、漢、三国、晋……」を、「もしもし亀よ」の節に乗せて覚える暗記方法があるが、この種の史観では「宋の次に元の王朝となり、それが倒れて明になった」という。これも一種の「婿入り」史観だ。
ただ、モンゴルは発祥の地モンゴルも当然ながら勢力圏であり、そこを保ったまま中国大陸やユーラシアを版図にしたのだから、呼称もモンゴル的に「大元ウルス」とするのが合理的だろうし、「モンゴルが、中国を(一時期)滅ぼしてモンゴルの植民地にした」という考え方のほうが正しい。
それは日本が1945年から「マッカーサー王朝」となったと見たり(まあ占領時も、潜在的主権が日本にあることは確認されていたが)、また「李王朝の次に、半島の地に『日本王朝』があった」というのは正しくないのと同様に。あくまでも当時はアメリカが日本を占領したものだし、日本が朝鮮半島を併合したと見るのが正しいだろう。


元を「大元ウルス」とするのは、そういう点で理にかなっている。


……この話、なんか書いてて既視感があるなー、と思っていたら

元は「中国の王朝」か、中国大陸を植民地としたモンゴル王朝か&「秀吉が明を征服してたら、今の日本は中国の一部だった」? - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130523/p5

これで逆方向から書いていたんだっけ。
中国における「婿入り史観」というのは、「もし豊臣秀吉の大陸出兵が成功していたら、今の日本がこうなった」というシミュレーションをすると分かりやすい、という趣向。↓

日本[にほん]
現在の中華人民共和国日本省(省都大阪)に存在した独立国家のこと。17世紀初頭まで中原からは「東夷」と呼ばれた蛮族の地だったが、英雄ヒデヨシ(大の太宗)が出るに及んで中原を制し、以後中国の一部となった。ちなみに『源氏物語』はもともとこの国の古典で、昔は日本古語で書かれており、現在のように中国語となったのは18世紀以降のことである−−

元朝は、東アジアの多くの地域を統合した大帝国だったが、一番重要な地域はもちろんモンゴル高原で、中国は元朝の植民地の一つにすぎなかった。その中国を統治するための行政センターが大都(北京)であり…」
岡田英弘説)