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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

日本で猟師になる人は多いのに「遊牧民になる」人はいないね(当たり前だ)

タイトル落ち…と言いたいところだが、まあちょっと雑談にお付き合いいただきたい。
この前、

「馬はいつから人間の家畜になったのか」論争(「興亡の世界史」2巻) - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150608/p4

という文章を書かせていただいたじゃないですか。そして、それはタイトルにあるように、スキタイなどの古代遊牧民族の起源に迫る本が元ネタでありんした。

スキタイと匈奴 遊牧の文明 (興亡の世界史)

スキタイと匈奴 遊牧の文明 (興亡の世界史)



遊牧とは、「文明」です。
これは司馬遼太郎がよく言うテーゼです。いつ読んでも味わい深いので、そこは孫引きで丸パクリしませう。

以下、無用のことながら (文春文庫)

以下、無用のことながら (文春文庫)

…遊牧の歴史はあたらしく、せいぜい紀元前八、七世紀ぐらいからである。
 この文明の発明者は、黒海北方の草原(ステップ)(いまはソ連領)にいたスキタイという西洋顔(アーリアン)の民族で、なによりもめざましいのは、馬の背に革鞍をおいてじかに騎るということをやってみせたことである。
「かっこいいだろう」
と、当時、農業者を馬上から見おろす遊牧民もいたにちがいない。げんに”新文明”の徒は年じゅう土をひっかいている農民をバカにしていた。

 おもしろいのは、観察者がいたことだった。
ギリシアの歴史家ヘロドトス(前五世紀)が、はるか黒海のかなだのステップに跳ねとんでいるスキタイという異風な生活者たちを遠望しては、記録した。
 遊牧というのは、ただの牧畜とはちがい、野生の動物で群居するものたちのなかに、人間がそっと入りこむというものである。さらにはともに移動してゆく。まことに画期的なもので、このためじかに馬の背にのるということが必要だった。
 家屋は本来定置されたものだったが、遊牧文明では概念の転換がおこなわれた。羊群とともにうごかねばならないため、移動式のテントがつくられた。ヘロドトスは、遊牧生活を成立させる諸要素をこまかく観察した。そのなかに、馬乳酒がすでにあった。
 人間は、新文明にかぶれやすいものである。農業という古い文明のなかにある農民はかぶれなかったが、山野に散居して文明という暮らしのシステムをもたなかった狩猟採集の生活者たちは争ってこれに参加した。この文明はたちまち中央アジアを東へ走り、紀元前五世紀前後には、匈奴としてモンゴル高原にすがたをあらわし、やがて世界最強の遊牧国家を形成する。おどろくべき伝播のスピードだった。

 東方にも、観察者がいた。司馬遷(紀元前一四五〜前八六?)がこの異俗の文明を観察して『史記』に書きのこしたのである。おもしろいことに、人類が東西の古代にもった二大歴史家の。新文明々についての記述が酷似している。

 文明とはなにかを考える場合、ローマや中国文明などより、遊牧という単純な文明のほうがわかりやすい
 文明はまず民族(文化)を超えていなければならない。
 遊牧文明の場合、そのやり方と道具をそろえさえすれば、たれでも参加できる(普遍化する)のである。簡単なとりきめだけで、万人が参加できて、しかも便利であるものを文明と考えたい。
 前掲の馬乳酒もまた、その文明に欠かせないという点で、普遍性の高い文明材であっ
た。

 しかし、文明はかならず衰える。
 いったんうらぶれてしまえば、普遍性をうしない、後退して特異なもの(文化のこと)になってしまう。馬乳酒は世界の普遍性からみれば特異(ユニーク)であり、いまこれをニューヨークや束京のホテルで出すわけにはいかない。異民族(エスニック)趣味の催しでもあれば、べつだが。
 異文化(エスニック)もまた文明材になるときがある。たとえばジーンズは二十世紀のはじめ、デトロイトの自動車工の労働服だったという点で特異かつ少数者のものであったのが、アメリカ内部の普遍化作用のなかで吸いあげられ、世界にひろまったとき、あたらしい文明材になった。
 「かっこいい!」
 と、ソ連の若者でさえそう思う。ジーンズは普遍性のレベルにのぼったのである。

 モンゴルの高原で、
「うちのおふくろがつくる馬乳酒はうまいですよ」
 という青年がいて、そのゲル(フェルト幕舎)に招じられて飲んだときの味は、なにやら飲みにくいながらも、こくがあるようにもおもわれた。
 文明は精度を追求するが、文化はこくを追求する。馬乳酒もそうなっていて、家々(動く家だが)によって味がちがうというまでに、文化になっている。同時に、近江の鮒ずしを思いだした。大津あたりでは、家々によって味がちがい、どの家でもそのちがいが誇りになっているのである。
 人間は、冒頭のたとえのように、文化という(他からみれば不合理な)マユにくるまれて生きている。
 頭上に文明(たとえば交通文明とか、法の文明)があるにせよ、民族や個々の家々では普遍性に相反する特異さで生き、特異であることを誇りとしている。そういう誇りのなかに人間の安らぎがあり、他者からみれば威厳を感じさせる。
 異文化との接触は、人間というこの偉大なものを、他者において感ずる行為といっていい。  
 
http://6610.teacup.com/libell/bbs/5007    


うーん、適宜略したかったが、あまりにも名文で削れなかった……。


そんなわけで、素朴で質素で原始的に見える「遊牧」は、光り輝くひとつの文明の型であったと。文明の一番の基本は、「それでヒトをより食わせやすくなる」ということです。シビライゼーションをみろっ、いかに人口を増やすのがたいへんか。

羊やら馬やらと共に暮らし、草のあるまま風の吹くままに土地土地を移動し、ホーイホーイと群れを追い立てながら、その肉、その乳、その毛と皮を余すところ無く使って衣食住をまかなう。
なかなかいい商売でしょ、いやいい文明でしょ…
組織、ムラ社会の中で若衆や長老の寄り合いでぺこぺこ頭を下げたり、席の順番に気を使う必要などない。人間関係に疲れたらぷいと人がいない草原へ天幕ごと、群れごと移動すればいい(…かどうかは分かりませんぞお)





なんて牧歌的な話じゃないことは言うまでもない。
狼に遭うは、草原の使用優先順位は決まってるわ(しばしば暴力で決まる)、水は足りないわ、家畜は病気で倒れるわ、人畜接近で感染症にもかかりやすいわ、ずっと天幕じゃやはり定住の家より居心地が悪いわ……「Back to Edo」的ノスタルジーじゃ済まない。ま、「ノスタルジー」も何も、日本に遊牧民はもともといませんでしたけどね(笑)


でも「だからこそ」日本で今、羊の群れを率いて育てながら旅をする変わり者が現われたら面白いだろうなあ、という妄想です。
メディア的には、「狼と香辛料」に出てきたような美女とかだと、さらにニュース価値が高い(笑)。

ま、この人は誇り高き独立遊牧民ではなく、都市文明に屈服し、そこの教会か何かに雇われて羊を世話するヒトだったっけ?
だが、非常に感心したのは、やはりあんなふうなけだものの群れを服従させ、一頭も迷わせずにあっちへ連れてき、こっちへ動かし……みたいなのも一種の職人芸、巧い人は巧いしヘタなヒトはヘタみたいですね。
よく考えりゃカウボーイという仕事も、別に銃で悪人を撃ち殺したり、ラリアットでニューヨークのレスラーの頸をへし折るのが仕事じゃなくて、けだものの群れをこうやって指揮し「迷い牛」というロスを出さないようにしながら旅をするのが仕事だもんね。

雑草生い茂る空き地に『ヤギ』を放した結果・・・ - NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2138570229349490501

“働くヤギ”が都市部でも増加中! 除草だけじゃないヤギが切り開く「未開拓ビジネス」|食の安全|ダイヤモンド・オンライン http://diamond.jp/articles/-/56233


玉川大学を訪れた。見たところ、軽く25度はありそうな急斜面。その傾斜地の向かって左側は学園の畑、見下ろす先には民家が所有する水田も広がっている。

「学内の敷地は3つの自治体にまたがっていまして、じつはここ、住所で言うと神奈川県横浜市になるんです」と安部教授が説明してくれる。

 急な斜面を上った上から見下ろすと、ちょうど3頭のヤギがお食事中、いや、お仕事中だった。うち一頭は子ヤギである。杭打ちした棒にそれぞれロープで係留され、動ける範囲の雑草をムシャムシャと食べている。


雑草でも、いけるっぽい?
いやいやいや。
しかし、さらにこの話がありましたですよね。「銀の匙」12巻。


こちらは牛。


こちらはぶた。


ぶたに関しては、実はこの作品に登場したとき「あれか!!」と思い入れがひとしおだった。


およそ、漫画において啓蒙、教養といささかなりとも関わるものなら全面的にリスペクトせねばいられないレジェンド中のレジェンド、故内山安二氏が生前に描いた取材のバックステージを描くエッセイ漫画だ。

掲載されたのは、めちゃくちゃ小さい活字でぎっしりタブロイド的な話題を詰め込むという、今に続くフォーマットを生んだ「GON!」という雑誌の別冊ムック「コミックGON!」の第二号。

正直、AMAZONに書影があったのがびっくりだよ…1、2号とも斬新な探求記事が多く、また一線から降りた、往年の人気漫画家に再依頼し「レトロ続編」を描いてもらうというFMW的な企画ものちに影響を与えたような気がする。


にしてもこのムックは1998年の発行。
紹介した画像は「学研まんがひみつシリーズのひみつ」と銘打ち、本当に啓蒙漫画のレジェンド・内山氏が2002年に亡くなる4年前、自らの学習漫画の取材活動を振り返った貴重な漫画だった。
私は「ふつうの漫画とちがうところは わたしのバアイ足でかく」という、取材活動への自負を描いたひとコマを見ると、いつも涙ぐんでしまう。
(このへんのことは後日、一項目を立てましょう)


そんな伝説の漫画家が実際にルポした「荒れ果てた山に豚を放してきれいにし、豚もおいしくなる」という話が、十数年の時を経て、啓蒙・教養漫画の金字塔(意識しなくてもそうなる作品があるのです)のひとつである「百姓貴族」「銀の匙」の荒川弘氏によって描かれる……そういう特別な感慨があるわけです、です。


耕作放棄地、荒れ放題の山、雑草が伸びるに任せてる空き地……そういうところを注文を受けてめぐっていくだけで、日本の遊牧民もWIN、土地がきれいになった地主もWINじゃないですかねえ。

いやいや、そう巧くはいくまいな。
……そもそも、いまの日本では、一人か一家族の生活をまかなうためには、何頭の家畜が必要となるのか。実はこの辺の計算が重要で、アフリカの村々では今でも「120頭の牛を持つお大尽」とか「嫁入り道具は羊二頭」とか、そういう基準がありますそうで。
もちろん家畜で食も衣もまかなえるぶん、生活費も少ないのでしょうけど。

しかしこんなに猟師志願者はいるのだから


山賊ダイアリー(6) (イブニングKC)

山賊ダイアリー(6) (イブニングKC)


 
ぼくは猟師になった (新潮文庫)

ぼくは猟師になった (新潮文庫)

dragoner 軍事ブロガー/見習い猟師
軍事ネタブログ"dragoner.ねっと”主宰。 新旧の防衛・軍事ネタについて、ブログでの文章・動画共有サイトの映像の両アプローチで、分かりやすい解説を心がけております。 最近は自然問題にも興味を持ち、見習い猟師中

■「肉喰う人々」(資料編)〜いま、空前の狩猟・食肉漫画ブーム!http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110830/p3

てな記事を書いたのはもう4年も前の話だよ、早いねえ。
しかしこれだけ狩猟が人気となり、それを体験してるひとも多いんだから、その志望者の一人二人が、ちょっと方向性を変えて遊牧民になってもらうことも可能ではなかろうか。少なくとも、エッセイ漫画の注文は入ってきそうな気がする(笑)。

もし万が一、遊牧では食えなかったら

ちゃんとアテがある。馬に乗って農村を略奪するか、都市になだれ込んで王族を捕虜として身代金を獲るか、或いは騎馬傭兵隊を編成して雇われればいい。

それが遊牧文明のデフォルト(ちがう)。
もちろん、遊牧民からみれば農耕文明が傍若無人にも、草豊かな緑の草原を鍬と鋤で、黒い畑に変えてしまう「略奪者」なのであった。