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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「TV番組の一場面は引用可能?」「誰かが発見した”新事実”に著作権はある?」…解説本からメモ

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で紹介した、

という本から、興味のある論点や結論を要約してメモ代わりに書いておく。

肖像権は故人には存在しない

肖像権は人格権に根拠が置かれ、この権利行使は本人に専属するため、「亡くなった人の肖像」を利用するのは、大原則としては自由となる(多少の例外はある)。

映像の引用はそもそも可能であるか

可能です

音声・音楽の引用も可能

音声や音楽を引用することは可能です。ただし報道や批評など引用の目的に照らして必要でなければいけない

※この話も、長年疑問で関連記事を書いてきました。
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ある番組での発言内容の引用は、その発言映像も含めて可能

Q:他局で放送された政治討論番組での政治家の発言が物議をかもした時その番組の一部を放送局に無断で放送することは引用にあたるか。

A:引用にあたると考えられる。ただし明確に区分する必要があること。そして「公正な慣行に合致する」かどうかは微妙なところがあるかもしれない

著作権が切れている古い映像をテレビで流したら、その「古い映像部分」そのものは利用できる

Q:著作権が切れている古い映像がテレビ局で放送された。その古い映像を利用する時テレビ局の許可は必要かどうか。
A:放送が保護されているからといってこういうに記した著作物の著作権を放送した事実やその放送によって権利を囲い込みの対象とすることは許されない
※この話、2015年にこのブログの前身で疑問を投げかけて、多少話題になった話の「回答」といえます。
結論は、可能だったんだね。
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公開された写真は、そもそも1957年以前のものはすべて著作権が切れている。

写真の保護期間については、その撮影者の死亡日時から 50年だが、もっとざっくりする方法として昭和32年-1957年の12月31日以前に撮影された、全て消滅している。現在の著作権法はそれ以降に改正されたものが基本だからであります

歴史上の事実などは、誰かの発見した「新発見」であっても著作権はない

歴史上の事実などは、ある研究者個人が発見した「新事実」であっても 保護の対象にはならない。ただし日本文藝家協会が1993年4月「歴史的事実・人物に基づく文芸作品の映像化・放送についての要望」という文章を発表している 。

参考文献の紹介することが望ましいと言えるだろう

「攻城戦」のお約束の戦法「死骸や汚物を投石器で城に投げ込む」


城のほうから、攻め手側に人糞その他をぶっかける、という話は楠木正成の時代からあったと思うけど、その逆版もあるのね。当然、それによる伝染病、感染症に期待しているのでしょう。飲み水の水源なども限られるだろうし… にしても、ほんと人間はこと戦争になると、創意工夫を発揮するよな!!と変な方向に感心。

「乙女戦争」はこの前完結。てか、このタイトルで「牛の死骸を城に投げ込む」描写って(笑)


関連の話題な。
togetter.com

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邦キチ!映子さん3で突然『ドン・フライ』に焦点が当たる(「ゴジラ FINAL WARS」)そのついでに…

それはいいんだが。

comip.jp


おもしろいんだが…↓

f:id:gryphon:20190607012847j:plain
邦キチ!映子さん season3「ゴジラ FINAL WARS」で強調されるドン・フライ

この機会に、このドン・フライ桜庭和志を褒めるカッコイイ演説も聞いてってください。

殆どが有料記事部分なのだが、ここは敢えてその一部を紹介したほうがいいと信じる。
リンク先の会員になると読めるほか、同じスピーチはかつてNumberでも紹介された(連載「2000年の桜庭和志」内にて)

ch.nicovideo.jp
…そして、アンクル・ドンがここにやってきたもう1つの理由、それは、MMAを見始めてまだ2〜3年の、せいぜいコナー・マクレガーしか知らないようなキミら若造を教育するためだ。そう、カズシ・サクラバサンの話をしに来たんだ(会場大歓声)。


UFC社員のオタク野郎が、サクラバのキャリアについてのいろんな統計を山ほど持って来やがった(やれやれと首を振るフライ)。山のような数字を読めと言うんだ。PRIDEで最多テイクダウン数記録を持っているとか、UFCチャンピオンを7人も倒したとか、そういうアホらしいことだ。

いいか、これはサッカーみたいな、女々しいスポーツじゃないんだぞ(会場大歓声)。我々はMMAの話をしている。戦いについての話だ。この最もすばらしいスポーツは、数字で評価するんじゃない。ハートとスキルを見るんだ。

サクは1997年にUFCでキャリアをスタートさせた。UFCジャパンでのヘビー級トーナメントでのことだ。彼は180パウンドしかないのに、200パウンドあると言い張った。計量でパンツの中に本でも隠していたんだろう。そしてMMAファイターとして初めて、ブラジリアン柔術黒帯をタップアウトさせ……(後略)


この紹介を受けて桜庭はUFCの殿堂入りセレモニーに登場、返信のかたちで所感を述べた。

こちらは無料で全文公開されている。

ch.nicovideo.jp

…ボクはラスベガスにくるのは初めてです。
友人たちは「たくさんショーを見たほうがいい」とか「グランドキャニオンまで足を伸ばしたら」などと観光気分のアドバイスをたくさんいただきました。
しかしボクは仕事でここに来ているのです。

今日もラスベガスにいる知り合いから「授賞式が終わったら夜景のきれいな観光スポットをまわってみませんか」とお誘いを受けました。
とてもありがたいお話ですがボクはきっぱりとお断りしました。このあと、ここにいるドン・フライダウンタウンのジェントルマンズクラブでPRIDE男塾の会合を開くという重要な仕事が待っているからです(歓声と拍手)。


ボクがUFCオクタゴンに足を踏み入れたのは今から20年前のことになります。思い起こせば……

他人のキャラを使い勝手に二次創作しても、著作権侵害にはなりません(専門家が断言)【拡散希望】

いま、感慨ひとしおです。
というのも、これから書く話は、なんと…11年ごしの疑問だったからだ。
まず、回答を書く前に、疑問を一からおさらいしておこう。



まず「ポパイ・ネクタイ裁判」というのがあり、その判決に…

http://park2.wakwak.com/~willway-legal/kls-c.case.006.html

「一話完結形式の連載漫画においては、当該登場人物が描かれた各回の漫画それぞれが著作物に当たり、具体的な漫画を離れ、右登場人物のいわゆるキャラクターをもって著作物ということはできない。けだし、キャラクターといわれるものは、漫画の具体的表現から昇華した登場人物の人格ともいうべき抽象的概念であって、具体的表現そのものではなく、それ自体が思想又は感情を創作的に表現したものということはできないからである。」


この判決を読んで2008年、こんな疑問を持ったんです

…法律のシロートが、ばっと字面を読んだ限りではですね、
ストーリーまでパクるならアウトだが、「それ自体が思想または感情を創作的に表現したものということはできない」と裁判所が認める”キャラクター”をお借りして、それで独創性あふれるストーリーを作るのは、道義性はともかく法的には問題なし、と感じられるのですが、どうなんでしょう。
つまりオリジナルでは敵味方に分かれて熱いバトルを繰り広げているキャラクターを借り、オリジナル性あふれる恋愛模様(同性同士)を描くような作品とかはOK・・・かな?(笑)
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著作権やキャラクターに関する、あれこれを論じるときに、ついでにこの話を振ることも何度かあった。
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問題ない、と語る方も何人かいらっしゃったが、明確なものとは言い切れなかった。
だが、こういう本が最近(二版が)出た。

で、ここに、ずばりのQ&Aがあった。

「Q&A映像の著作権」98Pより キャラクターは勝手に登場させても著作権違反ではない


……たしかにキャラクターは著作物ではないといわれます。しかし一口にキャラクターといっても、いろいろあります。 言語の著作物である小説に登場する人物が、いかに特徴のあるキャラクターであっても、その人物像そのものが著作物として保護されないことは、その 言語的表現そのものを利用しない限り明らかです。
例えばよく例に引かれますが、 大佛次郎の「鞍馬天狗』は特色あるキャラクターですが、ほかの作者が鞍馬天狗を登場させた小説を書いたからといって、それのみでは大佛次郎の著作物の著作権を侵害したことにはなりません。
これに反しアニメなどに登場するキャラクターは、例えばファンシーキャラクターとして商品化の対象と……

もちろん、いくつかの例外と言うか除外される例もある。
これも事前の予想、推定が当たったんだけど、

・「言語の著作物」である小説などの場合、その言い回しを丸々オリジナル小説から借用してはいけない(口癖とかは、真似しなきゃいけないだろうけどな…どのへんが境界なんだろう)

・アニメや漫画は、造形自体が創作物なのだから、それを真似したらやぱり著作権にひっかかる。だから逆に、本当に美化しまくったり、デザインを変えたりして、元の絵とは別にしつつ、そのキャラだ、と言い張ればいいのか(笑)

・そのキャラクターを「商標登録」したり、誰かがキャラ拝借で書いた二次創作を「著作権法違反」ではなく「不正競争防止法違反」で攻める手法がある。その人形やグッズがビジネスになるような超有名キャラはだいたい、商標登録されている。ちなみに商標は更新し続ければ永遠に保持できる。でも、円谷プロもたとえば「ウルトラマン」は商標登録しているけど「獅子舞超獣シシゴラン」は登録してるかなあ…

と、言えるようです。この本によると、座頭市=カツシンのそっくりさんが昭和40年代に活躍していて、とある無名プロダクションが、このそっくりさんに目を付けて、彼を主役にオリジナルの「座頭市」を作ろうとした、という話が載っている。この時筆者(二瓶氏)は弁護士と相談し、著作権問題とするのは難しいが不正競業の問題として仮処分の申請をしようとした」とのこと(99P)。
話自身も面白いが、むしろそんな例ですら著作権で問題にするには難しい、という点がこのエピソードでは重要だろう。


さて、とにもかくにも11年越しの疑問に結論が得られた。万感胸に迫る思い。

この本では、ほかにも自分がこのブログで提起した著作権にまつわる疑問に、ストレートな回答が載っていた事例が数件あったので、あとで要約してそちらも紹介したい。

・テレビの映像を批評の為「引用」できる?
・ある番組に出た登場人物の発言を、「ニュース」として他の番組で使える?
・ある歴史番組(例:「NHKスペシャル 映像の世紀」など)で古いフィルムの映像が流れたとき、この映像そのものは著作権フリーで使える?
・書籍の名言を、劇中で朗読したり、「商品名」を創作物の中で描写できる??

などなど。


※ただ、最後に付記しておくが、この本の著者2人(二瓶和紀、宮田ただし)とも弁護士ではない。出版や映画の、そういう部門の担当者、という経歴だ。だから「専門家」であることは間違いないが。

「やれやれユリアン、こうなってくると私たちも、仕事が増えてしまいそうだね。『ヤン・ウェンリー』は商標登録されているのかな…いま、下の検索サイトで調べたら未登録のようだが。しかし、それなら某大手投稿小説サイトはある時期から二次創作を排除したというが、今後『小説に限って、二次創作大歓迎!』なサイトとかもあらためてつくっても、成功するかもしれないね。」
j-platpat

「提督、必然性もないのに、最後に僕たちが出る必要があるんでしょうか」

(了)


追記 2013年に、赤松健氏が言及してた

はてなブックマークの「関連記事」は便利なもので、この記事を紹介してくれた。
その時に気づけば、悩まなくて済んだのだけど、まあ考えた時間もなかなかに有益だったので悔いはない。
その上で、これはこれでありがたく資料としてリンクしておこう

https://kenakamatsu.tumblr.com/post/55869087710/%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E5%89%B5%E4%BD%9C%E5%90%8C%E4%BA%BA%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E3%81%8C%E5%90%88%E6%B3%95%E3%81%A3%E3%81%A6%E6%9C%AC%E5%BD%93
kenakamatsu.tumblr.com


重要追記その2

2020年の判決。

スドー🌰
@stdaux
”漫画の「キャラクター」は,一般的には,漫画の具体的
表現から昇華した登場人物の人格ともいうべき抽象的概念であって,具体的表現そのものではなく,それ自体が思想又は感情を創作的に表現したものとはいえないから,著作物に当たらない…
スドー🌰
@stdaux
したがって,本件各漫画のキャラクターが原著作物のそれと同一あるいは類似であるからといって,これによって著作権侵害の問題が生じるものではない。”
スドー🌰
@stdaux

”シリーズもののアニメに対する著作権侵害を主張する場合には,そのアニメのどのシーンの著作権侵害を主張するのかを特定するとともに,そのシーンがアニメの続行部分に当たる場合には,その続行部分において新たに付与された創作的部分を特定する必要があるものというべきである”

www.courts.go.jp

togetter.com

6月6日って「この日」だったな、たしかに…


6月6日に雨がザーザー降ってくる場合もあった。



しかし後者は、コックさんである必然性なくない?

なぁ、この新事実知ってたか?アントニオ猪木も「老いる」らしいぜ…

www.nikkansports.com

アントニオ猪木参院議員(76=無所属)が、改選を迎える今夏の参院選に出馬しない方向で最終調整していることが4日、関係者への取材で分かった。

最近、会派所属先の国民民主党から、参院選に出馬すると一部で報じられたばかり。しかし猪木氏に近い関係者によると、もともと年齢的なことも考慮し、不出馬の方向で調整を進めてきているという。


昨日記事を書いた、天安門事件などのあった「超激動の1989年」にアントニオ猪木参院選出馬し、当選した。誇りというか、プロレスファンとしてはあまりに常識的なふるまいだと思うけど、当時選挙権があったかどうかに関係なく、「アントニオ猪木を政治家にするのはマズイっしょ、人格・行動的に」と一貫して思い続けてきたし、まことにもってそれは正しすぎたと思う。ちなみに大仁田厚はそれに輪をかけてマズイ(笑)


しかし、それはともかく、アントニオ猪木氏は最近車いす姿まで見せるようになっていた(腰の手術である)。
プロレスラーという仕事をしていて、70代後半まで存命しつつ基本的に元気だというのが、超人的な話ではあるのだけれども、それでも年齢を考慮し不出馬か、といった話を聞くと寂しいものだ。


本人は、リアルタイムで「スポットライト」が当たらない人生を、絶対にいやだと思うだろうけど、なにそれならIGFをもう一度立ち上げるとかですね…(笑) いや、それはともかく、76歳を経た人生を、「たかだか国会議員」の仕事で終えるのは、アントニオ猪木という稀有の個性にとって浪費以外の何物でもなかろう。


経済的にも、何度もがけっぷちに立ちつつも、謎のタニマチパワーなどで(笑)、たぶん今後も、一生食えるだろう(帳簿上、財産が赤字とか破産の有無とかは関係ない!)

急転直下、出馬ということもあるかもしれない。というかこの報道の前に「出馬する」という報道もすでにある。
headlines.yahoo.co.jp

が、とにかく「アントニオ猪木も老いる」ということを目にしながら、念頭におきながら、燃える闘魂の最後の炎を見守ろう。
こういう気分を、長嶋茂雄ファンも今抱えていたのだろうな…

三十年、一炊之夢―。今年も「5月35日」が天安門に訪れた。

プロローグ

規制は隠語にも広がっており、「5月35日」(5月31日+4日)や8の2乗を表す言葉(答えが64=6月4日)も「関連法規と政策に基づいて表示できない」。ろうそくの絵文字も削除された。微博は、この数年で利用者が2億5千万人と爆発的に増加。
withnews.jp


ことしで、早いもので30年。振り返れば、どんな年にもいろんな出来事があるだろうけど、1989年というのは、やっぱり「特に激動の年」だったと言ってもいいのではないか。
昭和天皇崩御
リクルート事件
消費税導入
その結果として参院与野党逆転、首相3人交代(竹下、宇野、海部)
コンクリート詰め殺人事件
宮崎勤事件
手塚治虫逝去
美空ひばり逝去
ベルリンの壁崩壊
それに関連した一連の東欧革命
締めくくるようなルーマニアの武力革命(独裁者チャウシェスクは銃殺)
……そんな年の折り返しに近い6月4日に、天安門事件は発生した。

ことしのトピックは、大宅壮一ノンフィクション賞に、この題材を書いた本が選ばれたこと。

www.bunshun.co.jp

第50回大宅壮一ノンフィクション賞河合香織さんと安田峰俊さんに決定!(2019年)
第50回大宅壮一ノンフィクション賞の選考委員会が2019年5月15日(水)開催され、下記候補作品の中から河合香織さんの『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』、安田峰俊さんの『八九六四(はちきゅうろくよん) 「天安門事件」は再び起きるか』が授賞作に決まりました。

電話もネットも監視されてる中国で“最大のタブー"を取材する方法

「現代中国の大きな政治的なタブーといえば、やはり天安門事件。自分も中国ライターとして、そこに挑戦したいという気持ちがありました。私が取材をはじめた2011年頃は、胡錦濤政権の後半で規制もだいぶゆるく、正面きって政府や事件を批判しなければ、発言の自由がかなり許されていました。だから正直あまり大きな覚悟を持って始めたわけではなかったんです(笑)。ところが取材しているうち習近平政権になって空気が変わり、肌感覚として締め付けの厳しさを覚えるようになって……」

安田峰俊さんが最近上梓した『八九六四』は、1989年6月4日に起きた天安門事件に様々なかたちで関わった人々を取材したルポ。民主化デモに直接参加していた人たちだけでなく、参加者に差し入れをしていた北京市民、政府側の警備に駆り出された大学生など多彩な人々の記憶と現在とをひとつひとつ丁寧なインタビューで紹介する。

「これまで天安門事件を扱った本は幾つも出されていますが、多くは民主化運動=善といった紋切り型の本です。自分はそういう内容にしたくなかった。本書がモデルとしたのは、産経新聞の記者たちが“全共闘運動"を取材した『総括せよ! さらば革命的世代』(産経新聞出版)。一方的に断罪するのではなく、当事者たち一人ひとりに淡々と話を聴くなかで、“全共闘運動"とその敗因が浮かび上がってくる。私もそういう筆致で天安門事件を描きたいと思いました」

中国ではその名を口にすることもできない事件の取材だけに、取材はさながらスパイ小説だ。

「人づてに紹介してもらうだけでなく、偶然出会った人との会話から取材の糸口をみつけたり。中国では電話もインターネットも全部当局が監視しているのが当たり前ですから、電話でも“あの時あなたが話していた80年代の思い出について、今度詳しく聞かせてもらえないか"などと遠回しに伝えるんです。すると向こうも察してくれて。取材場所も相手の家だったり、ハイキングを装って山中で話を訊いたり。ただ、正確なところは不明ですが、外国人のジャーナリストである私は中国国内での行動を逐一マークされていてもおかしくない。最近では街中に監視カメラが設置され顔認証システムもありますからね。今では同じような取材は無理ですし、するつもりはない。本書は辛うじてまとめることができたんです」

評者:「週刊文春」編集部

(週刊文春 2018年06月28日号掲載)

関連して、登場人物の一人でもある石平氏を紹介するこんな記事が昨年、ネットに発表され、
gendai.ismedia.jp

こういう共著も出版された。

石平[評論家]
天安門民主化運動の歴史的意味をもう一度検証し、総括してみることは、当事者である自分の使命であるのと同時に、あの事件で命を奪われた多くの仲間たちに対する、生きている者の責任でもある。いよいよ「天安門」三十年が迫ってきている中で、私は「今がその時」と悟って、一度真剣になって自分の心の中の「天安門」と向き合ってみる覚悟を決めた。たとえそのことによって、今まで三十年間、自分が何とかして保ってきた精神的バランスを壊してしまう危険があるとしても、やらなければならないと思った。――「まえがき」より

安田峰俊[ルポライター立命館大学人文科学研究所客員協力研究員]
なんだか、対談ではなくカウンセリングをおこなっているみたいだ。私は何度かそんな思いにとらわれた。話題が1989年6月4日の武力鎮圧のくだりになるたび、石平氏は重苦しく沈黙し、ときに嗚咽を漏らしたからだ。「俺はいつになったら解放されるんだ」「中国人はこの思いを分かってくれない。でも、どれだけ身近な相手であっても、普通の日本人では絶対に理解できないんだ」――この人の本当の人生は、実は1989年6月4日に終わっているのではないか? 嗚咽を漏らし続ける石平氏を見て、私はそんな思いが頭から離れなかった。――「あとがき」より


当時…事件直後の「朝まで生テレビ」について

自分は、その前年の大晦日(1988年末)に、そのころ話題性とクオリティの頂点にあったこの番組が、ゴールデンから(第一部が)放送され、「なんてエキサイティングな番組なんだ!」と驚嘆。とはいえ深夜番組だったのだが…、ついにそれに前後してうちにビデオデッキが導入され(遅いよ!)、たまたま最初に録画して見ることが可能になったのが、この回だった。

この番組、当時は怒鳴り合い・ののしり合いが一般的だったの、当時はコンプライアンスが緩かったの(笑)。というか、出演者自体がアンチコンプライアンスなひとびとだったの(笑)

敬称略で、小田実野坂昭如大島渚勝田吉太郎西部邁上田耕一郎渡部昇一、安藤仁兵衛、上田哲、加藤紘一……。うわあ、そらでメンバーを挙げられるわ。存命の人としては舛添要一辻元清美
(たぶんこの回が朝生デビュー)、天児慧もいた。

この時の映像や発言は極めて貴重であり、どこかネット界にないかと思うが、まぁ無いだろうな。実家のビデオテープはまだ捨ててないけど、おそらくカビまみれで再生は不可能だろう。
どこかで、権利問題などが解決され、見られる環境になることを願う。

ただし、この番組はまだ恵まれていて…番組全盛期を象徴するように、対話が活字化されて、書籍になっている。

興味がある人は、お安いし買っても損はない…自分は、実家に探せばある筈なので躊躇しちゃうんだが。
まだ連合赤軍事件から20年経っていない。
「まだ、社会主義には可能性がある!」と断言しつつ、天安門事件に衝撃を隠せない、そんな人たちの動揺がリアルに伝わってくるし、さらには大前提として「人民解放軍は人民の軍隊だから、人民に銃を向ける筈がない!それが、あんなことをするなんて…」という形で、かってにショックを倍増させている人たちもいて…「いや、それ大前提が違うから。マオの軍隊、むしろアレだから」といいたくなるような、そんな状況だったんですよ。

こんな歌も作られた

直後かな?もう少し後だったかな?


爆風スランプ - I.B.W. -It's a beautiful world-


nana-music.com


夜中にベルが鳴り響くテレビをつけて見てみな隣の国の若い奴等戦車に引きづられてた たいまつを掲げた女神がお前に勇気くれたろ…
https://www.showholic.jp/songs/237100

象徴的な、ある漫画の1シーンを

その、「朝まで生テレビ」での、発言を聞いたあと、10月にはベルリンの壁が崩壊し…1989年大晦日には、やはりまた朝生のスペシャルがあった。これも本になっている。

呉智英が登場していたのが印象深い。そして、辻元清美と一緒に登場したのが、これもデビューだったのかな?福島瑞穂だった、のでした。

そういった議論の数十年後、とある漫画の、とあるワンシーンを見て‥‥この、朝生の、というか、1989年のあの時代を鮮烈に思い出したのだった。



よしながふみ「愛すべき娘たち」より「私が50年正しいと思ってた考え方は間違っていたかもしれないよ」

よしながふみ「愛すべき娘たち」より

ベルリンの壁が崩れたとき
 
テレビを観ながら祖父がぽつりとね
「莢子 私が50年正しいと思ってた考え方は間違っていたかもしれないよ」って
 
戦争の始まる前から 人々のためにこれが良かれと思って
信じていた考え方だけど
やっぱり駄目だったみたいだなあって…

この場面、ことしの秋…10月に紹介しようと思っていたけど、時期を前倒しして、本日紹介する。
自分は、幸いなことに、そういう考え方と距離を置ける環境と思想を得られたが、それでもこの場面に一掬の涙を注がずにはいられない。

この前、

という本と、その作者のtwitterでの考察が話題になったけど
togetter.com


自分がひとこと付け加えるとしたら、メインではないがその付随的な理由には…
上の漫画の一部分を引いて、

「結局根っこというか母体には、そういうところとのしがらみや縁を持つ人がいたから」

「そして、もっとも誠実な部分は上の漫画のように、1989年を境に沈黙し、誠実ならざる部分が撤退戦の時に軍服を脱ぎ棄てて、かつては敵視までしていた”リベラル”に偽装し、紛れ込んだから」

ではないか、とも言いたくなる。



ーーーーーーーーーーーーーーー
天安門事件のあった1989年からの30年を語るとき、中国の驚異的な経済発展や、その際にも共産党一党支配の構図を保ち続けたこと、そこに至るまでのトピックについても語りたいことはあるが、可能なら別項目、別記事で論じよう。
とりあえず今回はあのよしながふみの、漫画の一場面だけを、皆に見てもらえれば……、あとの文章はおまけとしてとらえてくださればいい。

(可能なら、つづく)