「新・映像の世紀」第一回は見たのだが、感想はほかのところで見られるものとあまり変わらない平凡なものでしかない。
・普通の歴史番組なら上出来だが、看板が重すぎて「あの映像の世紀」と比べると不満
・有名な人物の生涯に焦点を当てすぎるのはどうなんだろう(まあ、ハーバー博士はまだ日本では、一般的に無名な存在でしょ、と言われればそれも確かに)
・ナレーションがやや過剰では
みたいな平凡な感想。
togettarやブログの感想をリンクで紹介したいところだが、代用PCでその作業が手間がかかるゆえ略。
付け加えるとすれば、
「ハーバー博士の生涯は「栄光なき天才たち」でも描かれているので一読をお勧めします」「アイザック・アシモフもどこかで書いてた」ぐらいですな。
こういう作品はむしろ皆が「作ったら?」という夢想から、ああいう映像の著作権が気になる話。
映像の世紀新シリーズのへの賛否の感想を見て、ふと思ったのは「いっそ作ったら?」でありました。
これは別にジェシカ論法とか、プロ野球や格闘家の揶揄に、じゃあお前がやってみろ、つー話じゃない。
つまりだ、これも旧シリーズとの時代の差だよね…
基本、いかに映像の世紀が貴重な映像を発掘して、素晴らしい音楽と共に流したとしても、根本的にはそういう古い映像を何かの歴史観のもとに並べて、ナレーションで誘導(という言葉をあえて使う)、構成していくわけじゃないですか。
最初の「世紀」の当時もフラッシュムービーはあったのかな?そういう技法でも、こういうふうな形式なら傑作はあった。
YouTubeが全盛のいまは言わずもがなだし、実際に普通の人、一般人とおぼしきYouTubeの「ドキュメンタリスト」はたくさんいたと記憶している。素材さえあれば一種のアームチェア・ドキュメンタリーだからね。
そういう人の腕前や構成力をリスペクトしているからこそ、「今回の映像の世紀に不満の人は、いっそ自作したほうがいいんじゃね?」と思えるのだよ。
んで。
単純に、にっくきTPPが発動される前はざっくりと、映像は「撮った人の死亡から50年。法人ならその映像の発表から50年」…で、いいんだよね?(追記、のちに70年となったそうです。そう言えばその話、以前かいた記憶がある。忘れてました)
だれが撮ったかなんて微妙もいいところだけどさ、まあ例えば第一次大戦のフィルムは、もう大丈夫だろうと。
で、今回NHKがそういう映像を発掘して、構成して放送したとて、その音楽やナレーションはコピーできないだろうけど、映像そのものはこちらで録画して「へっへっへフリー素材フリー素材。ありがたく人類共有の財産として使わせてもらいますわー」……ってことになるの?ならないの?
ぜんぜん詰めて調べてないけど、とりあえずそーなるんじゃないかなー、ということだけ書いて放り投げる。
追記 こんな意見も
映像関係は著作権とは別に原盤権を持ってる方がいたりして、権利が複雑です。著作権が切れてるからといってyoutubeに転載したりすると、今後のこの様な試みがやりにくくなるのでやめた方が良いです。
— 新美ぬゑ (@nue213) 2017年7月17日
さらに追記。この後読んだ著作権解説本では「可能」説が展開されていた。
くわしくはこちら
著作権が切れている古い映像をテレビで流したら、その「古い映像部分」そのものは利用できる
Q:著作権が切れている古い映像がテレビ局で放送された。その古い映像を利用する時テレビ局の企画は必要かどうか。
A:放送が保護されているからといってこういうに記した著作物の著作権を放送した事実やその放送によって権利を囲い込みの対象とすることは許されない
※この話、2015年にこのブログの前身で疑問を投げかけて、多少話題になった話の「回答」といえます。
結論は、可能だったんだね。
m-dojo.hatenadiary.com