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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

三十年、一炊之夢―。今年も「5月35日」が天安門に訪れた。

プロローグ

規制は隠語にも広がっており、「5月35日」(5月31日+4日)や8の2乗を表す言葉(答えが64=6月4日)も「関連法規と政策に基づいて表示できない」。ろうそくの絵文字も削除された。微博は、この数年で利用者が2億5千万人と爆発的に増加。
withnews.jp


ことしで、早いもので30年。振り返れば、どんな年にもいろんな出来事があるだろうけど、1989年というのは、やっぱり「特に激動の年」だったと言ってもいいのではないか。
昭和天皇崩御
リクルート事件
消費税導入
その結果として参院与野党逆転、首相3人交代(竹下、宇野、海部)
コンクリート詰め殺人事件
宮崎勤事件
手塚治虫逝去
美空ひばり逝去
ベルリンの壁崩壊
それに関連した一連の東欧革命
締めくくるようなルーマニアの武力革命(独裁者チャウシェスクは銃殺)
……そんな年の折り返しに近い6月4日に、天安門事件は発生した。

ことしのトピックは、大宅壮一ノンフィクション賞に、この題材を書いた本が選ばれたこと。

www.bunshun.co.jp

第50回大宅壮一ノンフィクション賞河合香織さんと安田峰俊さんに決定!(2019年)
第50回大宅壮一ノンフィクション賞の選考委員会が2019年5月15日(水)開催され、下記候補作品の中から河合香織さんの『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』、安田峰俊さんの『八九六四(はちきゅうろくよん) 「天安門事件」は再び起きるか』が授賞作に決まりました。

電話もネットも監視されてる中国で“最大のタブー"を取材する方法

「現代中国の大きな政治的なタブーといえば、やはり天安門事件。自分も中国ライターとして、そこに挑戦したいという気持ちがありました。私が取材をはじめた2011年頃は、胡錦濤政権の後半で規制もだいぶゆるく、正面きって政府や事件を批判しなければ、発言の自由がかなり許されていました。だから正直あまり大きな覚悟を持って始めたわけではなかったんです(笑)。ところが取材しているうち習近平政権になって空気が変わり、肌感覚として締め付けの厳しさを覚えるようになって……」

安田峰俊さんが最近上梓した『八九六四』は、1989年6月4日に起きた天安門事件に様々なかたちで関わった人々を取材したルポ。民主化デモに直接参加していた人たちだけでなく、参加者に差し入れをしていた北京市民、政府側の警備に駆り出された大学生など多彩な人々の記憶と現在とをひとつひとつ丁寧なインタビューで紹介する。

「これまで天安門事件を扱った本は幾つも出されていますが、多くは民主化運動=善といった紋切り型の本です。自分はそういう内容にしたくなかった。本書がモデルとしたのは、産経新聞の記者たちが“全共闘運動"を取材した『総括せよ! さらば革命的世代』(産経新聞出版)。一方的に断罪するのではなく、当事者たち一人ひとりに淡々と話を聴くなかで、“全共闘運動"とその敗因が浮かび上がってくる。私もそういう筆致で天安門事件を描きたいと思いました」

中国ではその名を口にすることもできない事件の取材だけに、取材はさながらスパイ小説だ。

「人づてに紹介してもらうだけでなく、偶然出会った人との会話から取材の糸口をみつけたり。中国では電話もインターネットも全部当局が監視しているのが当たり前ですから、電話でも“あの時あなたが話していた80年代の思い出について、今度詳しく聞かせてもらえないか"などと遠回しに伝えるんです。すると向こうも察してくれて。取材場所も相手の家だったり、ハイキングを装って山中で話を訊いたり。ただ、正確なところは不明ですが、外国人のジャーナリストである私は中国国内での行動を逐一マークされていてもおかしくない。最近では街中に監視カメラが設置され顔認証システムもありますからね。今では同じような取材は無理ですし、するつもりはない。本書は辛うじてまとめることができたんです」

評者:「週刊文春」編集部

(週刊文春 2018年06月28日号掲載)

関連して、登場人物の一人でもある石平氏を紹介するこんな記事が昨年、ネットに発表され、
gendai.ismedia.jp

こういう共著も出版された。

石平[評論家]
天安門民主化運動の歴史的意味をもう一度検証し、総括してみることは、当事者である自分の使命であるのと同時に、あの事件で命を奪われた多くの仲間たちに対する、生きている者の責任でもある。いよいよ「天安門」三十年が迫ってきている中で、私は「今がその時」と悟って、一度真剣になって自分の心の中の「天安門」と向き合ってみる覚悟を決めた。たとえそのことによって、今まで三十年間、自分が何とかして保ってきた精神的バランスを壊してしまう危険があるとしても、やらなければならないと思った。――「まえがき」より

安田峰俊[ルポライター立命館大学人文科学研究所客員協力研究員]
なんだか、対談ではなくカウンセリングをおこなっているみたいだ。私は何度かそんな思いにとらわれた。話題が1989年6月4日の武力鎮圧のくだりになるたび、石平氏は重苦しく沈黙し、ときに嗚咽を漏らしたからだ。「俺はいつになったら解放されるんだ」「中国人はこの思いを分かってくれない。でも、どれだけ身近な相手であっても、普通の日本人では絶対に理解できないんだ」――この人の本当の人生は、実は1989年6月4日に終わっているのではないか? 嗚咽を漏らし続ける石平氏を見て、私はそんな思いが頭から離れなかった。――「あとがき」より


当時…事件直後の「朝まで生テレビ」について

自分は、その前年の大晦日(1988年末)に、そのころ話題性とクオリティの頂点にあったこの番組が、ゴールデンから(第一部が)放送され、「なんてエキサイティングな番組なんだ!」と驚嘆。とはいえ深夜番組だったのだが…、ついにそれに前後してうちにビデオデッキが導入され(遅いよ!)、たまたま最初に録画して見ることが可能になったのが、この回だった。

この番組、当時は怒鳴り合い・ののしり合いが一般的だったの、当時はコンプライアンスが緩かったの(笑)。というか、出演者自体がアンチコンプライアンスなひとびとだったの(笑)

敬称略で、小田実野坂昭如大島渚勝田吉太郎西部邁上田耕一郎渡部昇一、安藤仁兵衛、上田哲、加藤紘一……。うわあ、そらでメンバーを挙げられるわ。存命の人としては舛添要一辻元清美
(たぶんこの回が朝生デビュー)、天児慧もいた。

この時の映像や発言は極めて貴重であり、どこかネット界にないかと思うが、まぁ無いだろうな。実家のビデオテープはまだ捨ててないけど、おそらくカビまみれで再生は不可能だろう。
どこかで、権利問題などが解決され、見られる環境になることを願う。

ただし、この番組はまだ恵まれていて…番組全盛期を象徴するように、対話が活字化されて、書籍になっている。

興味がある人は、お安いし買っても損はない…自分は、実家に探せばある筈なので躊躇しちゃうんだが。
まだ連合赤軍事件から20年経っていない。
「まだ、社会主義には可能性がある!」と断言しつつ、天安門事件に衝撃を隠せない、そんな人たちの動揺がリアルに伝わってくるし、さらには大前提として「人民解放軍は人民の軍隊だから、人民に銃を向ける筈がない!それが、あんなことをするなんて…」という形で、かってにショックを倍増させている人たちもいて…「いや、それ大前提が違うから。マオの軍隊、むしろアレだから」といいたくなるような、そんな状況だったんですよ。

こんな歌も作られた

直後かな?もう少し後だったかな?


爆風スランプ - I.B.W. -It's a beautiful world-


nana-music.com


夜中にベルが鳴り響くテレビをつけて見てみな隣の国の若い奴等戦車に引きづられてた たいまつを掲げた女神がお前に勇気くれたろ…
https://www.showholic.jp/songs/237100

象徴的な、ある漫画の1シーンを

その、「朝まで生テレビ」での、発言を聞いたあと、10月にはベルリンの壁が崩壊し…1989年大晦日には、やはりまた朝生のスペシャルがあった。これも本になっている。

呉智英が登場していたのが印象深い。そして、辻元清美と一緒に登場したのが、これもデビューだったのかな?福島瑞穂だった、のでした。

そういった議論の数十年後、とある漫画の、とあるワンシーンを見て‥‥この、朝生の、というか、1989年のあの時代を鮮烈に思い出したのだった。



よしながふみ「愛すべき娘たち」より「私が50年正しいと思ってた考え方は間違っていたかもしれないよ」

よしながふみ「愛すべき娘たち」より

ベルリンの壁が崩れたとき
 
テレビを観ながら祖父がぽつりとね
「莢子 私が50年正しいと思ってた考え方は間違っていたかもしれないよ」って
 
戦争の始まる前から 人々のためにこれが良かれと思って
信じていた考え方だけど
やっぱり駄目だったみたいだなあって…

この場面、ことしの秋…10月に紹介しようと思っていたけど、時期を前倒しして、本日紹介する。
自分は、幸いなことに、そういう考え方と距離を置ける環境と思想を得られたが、それでもこの場面に一掬の涙を注がずにはいられない。

この前、

という本と、その作者のtwitterでの考察が話題になったけど
togetter.com


自分がひとこと付け加えるとしたら、メインではないがその付随的な理由には…
上の漫画の一部分を引いて、

「結局根っこというか母体には、そういうところとのしがらみや縁を持つ人がいたから」

「そして、もっとも誠実な部分は上の漫画のように、1989年を境に沈黙し、誠実ならざる部分が撤退戦の時に軍服を脱ぎ棄てて、かつては敵視までしていた”リベラル”に偽装し、紛れ込んだから」

ではないか、とも言いたくなる。



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天安門事件のあった1989年からの30年を語るとき、中国の驚異的な経済発展や、その際にも共産党一党支配の構図を保ち続けたこと、そこに至るまでのトピックについても語りたいことはあるが、可能なら別項目、別記事で論じよう。
とりあえず今回はあのよしながふみの、漫画の一場面だけを、皆に見てもらえれば……、あとの文章はおまけとしてとらえてくださればいい。

(可能なら、つづく)