おやっ、偶然、本棚の脇にあった蔵書が目についた。いや、たまたま。
狂瀾怒濤の「昭和50年」に一体何があったのか。当時の警備責任者が初めて明らかにする皇室を襲った「危機一発」の衝撃の事実の数々
※んー、佐々は別に電子書籍化に抵抗がある人じゃないし、実際に多くがkindle化してるんだけど、これの電書はないの?彼はタイトル改題も多いから、そういう可能性もあるかな…?
ただ電子書籍も無いし、多くのウェブストアで「在庫なし」だとすると……この本って、ひょっとして貴重?「いまは事情があって増刷とか電子化とかされてません」と言われたら、まぁ納得するっちゃするけどさ(笑)
(後半に、その理由かもしれない、って部分について触れておいた)
思うところあって、この本の中身を、少し紹介しておこう。
徒然なるまま、適当にページを開いて紹介するか。266ページ。
このページの前の部分では、昭和49年から50年にかけての大騒動のひとつとして「八鹿高校事件」のことを語っている。
昭和49年11月22日、来日していたフォード大統領を大阪で見送って、東京に(へとへとで)戻ってきた佐々を待ち構えていたのは、林百郎、松本善明、正森成二ら…いずれ劣らぬ有名な、当時の某党の幹部議員だった。
「大統領警備?そんなくだらんことやってるから、この大事件を警察は手をこまねいで傍観シテイルノダッ」
アメリカの大統領警備が「くだらないこと」になるほどの大事件「八鹿高校事件」とは…だが、時間の都合上その話は割愛する。
この本を読んでみたり、検索したり、いろんなご意見や見方をしらべてください。当時の国会にも議事録が残っているとか、いないとか……
そして話は大幅に(略)して……
で、この事件に派生した抗議活動と、その混乱に関する警備を、佐々が入れ知恵というか主張して警察は大々的に行ったのだけど、
例によって、ここから氏の自慢が入る(笑)…正確にいうと自慢と不満。というのは、そんな立場だった佐々氏がいろいろとありまして(本当にいろいろある)、普通だったらそんな天上人が降りてこない「三重県警の県警本部長」になるはめになったのだ。
それには<本人の主観>では、下衆なダラ幹の陰謀や嫉妬のせい、とあいなる…この著書は佐々の執筆の中でもかなり後期のもので、たぶん初期では抑制していた内部批判、上司批判も本当に多い(そこもある意味、読みどころ)
しかし、
偶然のいたずらか、
三重県で、まさに着任まもなく、こんな事態が勃発した…
……この一撃(※「八鹿高校事件」抗議活動への警備)で、「総括」の名において全国、とくに地方自治体をふるえあがらせていた部落解放同盟、朝田善之助一派の長時間吊し上げ、トラメガ(拡声器)で自治体の同和問題担当の管理職の耳元で長時間大音声で叫び、家に帰らせない事実上の不法監禁といった不法行為は鳴りを鎮めた。朝田善之助氏は中央執行委員長を辞任し、穏健派の松井久吉氏(三重県出身)が新委員長となった。
そして、「触らぬ神に祟りなし」と見て見ぬふりを続けてきた各県警の姿勢も次第に変り始めたのだった。
<三重県部解・伊勢支部長逮捕>
皮肉なことに、前代未聞の全国管機5500名の青ヘルで、暴力行為を行った社会党系部落解放同盟11名を逮捕し、朝田善之助中央執行委員長を更迭に追いこんだ私が、穏健派とはいえ、後任の委員長になった松井久吉氏の地元に県警本部長として後日配置されたのだから、運命のいたずらというべきか。
三重県の同和の人たちの数は、全国8位。120万人の人口に対して、同和正常化連(日共系)1万2000人。部落解放同盟(社会党系)1万人。同和会(自民系)4000人。
た。
交通部の報告をきいていると、朝田前委員長の総括"の時代のことだから松井新委員長の下では改まっているだろうが、部落解放同盟のメンバーの中には、「長い間、差別してきたのだから、運転免許証を無試験で発給しろ」とか、「差別のおかげで交通違反の取締りをうけた。罰金と減点はとるな」とか、無理難題をふっかける不得者もいるという。勿論そうした悪質なものは例外であって、不当な差別の是正に関して警察は部落解放同盟に敵対するものではなかった。
そうした折に、昭和51年9月30日、渡邊靖三刑事部長が報告にきた。
「部落解放同盟の伊勢支部長、山崎智(51)が、同和対策事業特別措置法に基く公金を、約4件約6000万円を横領し、しかも貸金業法の許可もなしで高利で浮き貸しし、その取立てを配下の暴力団員を使って暴力的に行っているという内偵捜査報告があがってきました。何でも悪い情報は報告せよとの厳命ですが、これは本部長さんをわずらわすような事件ではなくて、伊勢署で然るべく指導するよう指示しようかなと思うとります」
「配下の暴力団員?どういう意味?」
「この部解の伊勢支部長が暴力団の組長なんです」「いま、本庁刑事局の暴対策強化月間だろ?丁度いい。”指導するよう指示する"んでなくて、逮捕状請求して逮捕しろよ。任意ではしゃべらんでしょう? 身柄とって強制でやらないと......」
渡邊刑事部長は、口をパックリ開けて呻いた。
「本部長さん、ああた、東下(あずまくだ)りじゃから、わかっておられんのとちがいますか? 部解の支部長、逮捕したりしたら明日から抗議デモ、坐りこみ。知事公舎、本部長公舎はクソの海や。子供さんは小学校で苛められてえらい目に遭います」
「刑事部長!!!直ちに本部長命令といって逮捕状請求して、逮捕しなさい。
そして、君も伊勢署長も、部解のリーダーにこういうんだ。『堪忍しとくれ。本庁から頭のおかしな本部長が来よった。本部長は、兵庫県のヨウカ――八つの鹿と書くんだよ――高校事件で、5500名の全国管機を投入して、2万の社会党系、8000の日共系民青、部解と全共闘の中から11人の犯人を検挙したって自慢してるベトナム帰り(※当時、大事件の修羅場を経験した警察幹部はそう呼称された)や。堪忍な......』と、そういえ。抗議だの文句だの、あったら本部長にいうとくれ、そういいなさい」
真蒼になった渡邊刑事部長が退室したあとすぐ西川光男警備部長を呼んだ。
「直ちに柔剣道の特練を止めて、機動隊を待機させろ。署にいる特機(外勤巡査)を緊急招集し、部隊編成。2個中隊140名ぐらい。
刑事部が部解の伊勢支部長・山崎智をこれから逮捕するが、山崎は暴力団の組長で、同和対策特別事業措置法の補助金を猫パパして高利で浮き貸しし、暴利をむさぼり、支払いが滞ると暴力取り立てをやっている悪党だ。
そこで任務は、今晩から当分の間、県庁舎、県警本部、知事・副知事公舎、私の公舎を部解からの抗議デモ、汚物投擲から守ること、との警備の趣旨を、隊員1人1人に徹底せよ。出動服、大楯、拳銃、催涙ガス銃、警棒、警杖携行。目立つよう、派手に警備配置せよ。刺激しないようとか、マスコミに知られないようとかいって、秘匿待機しないこと」
西川警備部長もたまげたようだが、前職の津警察署長のときの3ヶ月の国体警備ですっかり私の気心ものみこんでいるので、直ちに受命した。
「山崎智以下5名を逮捕後、直ちに知事、副知事の秘書、記者クラブ、県の同和対策室、県庁舎守衛に事実を伝え、警戒警備体制に入るから心配しないように、できれば協力願いたいと、然るべき者から連絡通報させるように」
西川警備部長は、「知事、副知事、本部長各公舎には、完全武装の機動隊員を5名ずつ配置。県庁には正面に触覚配置、玄関ホールに1個中隊密集配置。残りは1個分隊ずつ、飛び出し車、パトカー、小型輸送車で遊動警戒」と指示する。
さあ、こい。部落解放同盟三重支部の出方によっては、私は松井久吉委員長にこちらから面会を申しこむ。
県警(社会部)県政(政治部)でも記者クラブには私が記者会見を求める。抗議闘争の規模によっては、1個大隊規模の第2次特機招集も辞さない。
やがて、山本幸三総務課次席が、「三重県部解の代表者たちが面会申しこみです」と告げる…
このあとは、実に意外でありつつ、「そうだよな、本当はそうあるべきだよな」という、一種、後味さわやかな結末を迎える。
そこは紹介しないので、各自この本を読んで結末を知ってください。
と同時に、結局巷間言われているような話も、こういうものだったんじゃないの?とも見る人がいるだろう。いや佐々のようなよくも悪くも特異で屹立したパーソナリティーだからそうなった、というだけかもしれない。
個々の描写は、佐々の視点によるある意味で一方的な回想だが、これだけの事件だと客観的な資料(裁判記録や当時の報道など)もあるだろう。
興味のある人は、それと突き合わせてみるといいかもしれない。
ちなみに有田芳生氏はこの数年後…まだ八鹿高校事件などは論争が激しい中で1977年から「新日本出版社」に勤め始めたので、最前線で間違いなくいろいろなことを見聞きしたはずである。
ともあれ、こういう箇所があったので、紹介した。
それだけ。(了)
過去の佐々淳行関連記事(目につくものだけ)
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前書きより。この本が電書になってないのは,ひょっとして……?
紀伊国屋書店の、「菊の御紋章と火炎ビン」紹介ページ
文春文庫
菊の御紋章と火炎ビン―「ひめゆりの塔」「伊勢神宮」で襲われた今上天皇
佐々 淳行【著】
文藝春秋(2011/10発売)
ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
サイズ 文庫判/ページ数 344p/高さ 16cm
商品コード 9784167560188
NDC分類 916
Cコード C0195
出版社内容情報
狂瀾怒濤の「昭和50年」に一体何があったのか。当時の警備責任者が初めて明らかにする皇室を襲った「危機一発」の衝撃の事実の数々。内容説明
今上天皇が、皇太子時代の「昭和50年」に沖縄と三重で遭遇した二つのテロ事件。危機一髪ならぬ「危機一発」の双方の現場で、警備責任者だったミスター「危機管理」は、いかに行動したのか。当時の過激派が総括しないまま、一部が「体制化」した今、「沈黙の掟」を破って書き遺す昭和の「大逆事件」との闘い。目次
第1章 沖縄無血返還の大功労者・佐藤栄作死す―思わぬ「右」からのフックで三木武夫はノックアウト
第2章 「内戦」としての三菱重工等連続企業爆破事件―「狼」「大地の牙」「さそり」一斉検挙
第3章 聖域としての「ひめゆりの塔」―「沖縄返還阻止闘争」は民族独立運動だった
第4章 「ひめゆりの塔」火炎ビン事件の“真相”―見事な「ノーブレス・オブリージ」
第5章 交響楽『昭和50年』の間奏曲・クアラルンプール事件―米大使館占拠のテロリストに屈した「超法規釈放」
第6章 「懲戒栄転」で三重県警本部長へ―「危機管理の鬼」となり猛訓練の日々
第7章 史上初の「伊勢神宮」風日祈宮炎上―再び皇太子ご夫妻を狙った火炎ビン
第8章 懐かしの三重県警“昭和グラフィティ”―ノウ・モア・タヌキから意外な感謝状まで
第9章 さらば警察庁、こんにちは防衛庁―狂瀾怒涛の時代が終り、「治世の能吏」の時代始まる
第10章 “万年課長”の憂鬱―武功をたてすぎた武将の「敗者の条件」とは
第11章 私の考える「天皇制」―昭和の「大逆事件」との闘い
最終章 老兵は死なず、ただ書き遺すのみ―「虎ハ死シテ皮ヲ残ス」―老護民官のモノローグ(独白)著者等紹介
佐々淳行[サッサアツユキ]
1930年東京生まれ。東京大学法学部卒業後、国家地方警察本部(現警察庁)に入庁。目黒警察署勤務をふりだしに、警視庁外事・警備・人事課長、警察庁調査・外事・警備課長を歴任、「東大安田講堂事件」「連合赤軍あさま山荘事件」等では警備幕僚長として危機管理に携わる。その後、三重県警察本部長、防衛庁官房長、防衛施設庁長官等を経て、86年より初代内閣安全保障室長をつとめ、昭和天皇大喪の礼警備を最後に退官。以後は文筆、講演、テレビ出演と幅広く活躍(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。