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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

【クイズ】後藤田正晴、SMAP「東京ドームに5万人」の集客力に驚く。その時、側近の一言は?

ちょっと所用あって、後藤田正晴の評伝など読み直していた。

私を通りすぎた政治家たち (文春文庫)

私を通りすぎた政治家たち (文春文庫)


で、佐々淳行回想の「後藤田正晴、深夜番組で香取慎吾に会う」の話が面白かったのでちょっとクイズ形式で紹介。
まず、香取慎吾笑福亭鶴瓶がホストだった「平成日本のよふけ」に後藤田が(既に出演し常連だった佐々淳行の仲介で)初出演したとき…はじめは結構渋っていたが番組は盛り上がり、大反響を呼んだ。後藤田氏も満足。

平成日本のよふけ〈2〉

平成日本のよふけ〈2〉

  • 発売日: 2001/07/01
  • メディア: 単行本

…「君はワシにお笑い番組に出ろというか、しかも深夜の。ワシは笑いものにされるのは 嫌だよ」 「......と仰言ると思いました....が、鶴瓶というのは落語の真打で~師匠ですよ。若い世代に後藤田先生のメッセージを発信する、いい機会だと思いますがね。録画は昼間 すし、ナマじゃありませんから編集で不工合のところは削らせますが・・・」
あれこれグズグズ揉めた揚句、 「佐々君や的場(的場順三のこと)君、岡本(岡本行夫)君が一緒に出るなら考えてもいい」というところまで漕ぎつけた。
二〇〇〇年十一月二十七日、「後藤田スペシャル」撮影当日の局側の気の遣いようは 大変なものだった。香取慎吾さんもすっかり固くなっていた。
「カトリ・シンゴさん......というの? 貴方は、何をしてる人? 歌、歌ってる。そう、 貴方のことを『香取神社』と覚えよう。それがワシの記憶術なんじゃ」
決して威張らない。丁寧な物言い、くだけた物腰に、鶴瓶さんも慎吾さんもたちまち 魅了され、”護衛戦闘機"の私たちも山本五十六元帥機を墜されてなるものかと八方気を配って初の後藤田正晴さん、深夜お笑いトーク番組出演は成功裡に終った。そして深 夜番組で堅い政治家と元役人の的場順三、岡本行夫、私という出演者にかかわらず五・ 九%の高視聴率を記録したのだった。「後藤田スペシャル」の放送は総集編をふくめて前後八回の多きに達した。



で、収録もたいへんに盛り上がり、予定時間をオーバーしたが、なんとその日はSMAP東京ドーム公演の当日…。

SMAPの「香取慎吾」の恐るべき人気を知らない後藤田さんが、巧まずして楽屋の 笑いをとる。
収録の際、話が弾んで予定の収録時間をオーバーしてしまった。慎吾さんがオズオズ といい出した。
「先生、本当に失礼なんですけど、今晩は私、東京ドームのライブがあ りますので中座します。失礼お許し下さい」
「なに? 東京ドーム? そこで貴方、何するの? え1?」
全くわからない模様で的場さんが急いで解説する。
「この人、大スターなんです。五万人のライブ・ショウがこれからあるんです。歌と踊りの」
「ほう? 五万人?そりゃえらいことだ。五万人、いうたら大変な人数だよ、ワシが 選挙でそれだけ票を集めるのは大変なんじゃよ」
いつも一言多すぎる的場さんがいう。
「〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇」


さて、的場順三氏は、なんと言ったのでしょうか?

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後藤田正晴SMAPの人気に驚く。そこで言われた一言は?(佐々淳行の本)


答えは、下に。






解答編

「この人、大スターなんです。五万人のライブ・ショウがこれからあるんです。歌と踊りの」
「ほう? 五万人?そりゃえらいことだ。五万人、いうたら大変な人数だよ、ワシが 選挙でそれだけ票を集めるのは大変なんじゃよ」
いつも一言多すぎる的場さんがいう。


「先生のは先生がお金出すんでしょうが、慎吾さんの場合は五万人が金を払って彼を見にくるんですよ」
「おいおい、人聞きの悪いこというな、ワシが買収しとるみたいに聞えるがな」

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SMAP人気に驚く後藤田正晴。そこで的場順三がひとこと(佐々淳行

そこで、そのネタをぶっこんでくるかね・・・・・・・
後藤田正晴、のちには不世出の名官房長官ハト派の重鎮と国民人気も高かったが、そもそも最初に選挙で出馬した時は田中派の丸抱えで、大規模な選挙違反が摘発されたのだ(しかも落選)。警察トップの選挙違反ということで大変に決まりの悪い話である。

後藤田は1973年11月25日に官房副長官を辞職し、郷里の徳島県から参議院選挙に出馬するための準備を始める[2]。しかし、徳島県は三木派を率いる三木武夫(当時副総理)のお膝元であり、しかも1人区である徳島県選挙区では三木派の城代家老と言われた久次米健太郎[注釈 16]が現職であったことから、自民党公認を巡って党内が紛糾する[注釈 17]。結局徳島県連の投票により後藤田が公認候補とされたが、三木派の猛反発を招いた。久次米は無所属で立候補したため、県内で保守が真っ二つとなり、選挙戦は阿波戦争(三角代理戦争)と呼ばれる熾烈なものとなった。

当初は財界と党主流派の支援を受けた後藤田が有利と見られていた。しかし、農協などとの強い関係を持つ久次米陣営が猛烈に巻き返し、1974年7月7日の第10回参議院議員通常選挙の結果は、久次米19万6210票に対し後藤田15万3388票で及ばず、敗北した。さらに、後藤田が選挙に不慣れであったこともあって、陣営から268人もが徳島県警察によって選挙違反で検挙されることとなり、「金権腐敗選挙」と強く非難される憂き目を見た。後藤田はお詫び行脚に奔走するとともに、私財を売り払って逮捕者に弁護士を手配した[67][75]。後に後藤田は、「あの選挙は自分の人生の最大の汚点」と述べている。
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にしても的場順三という人間はなかなかの硬骨で、しかもユーモアもある人物だったようだ。
大蔵省出身で、第一次安倍内閣内閣官房副長官だったひと。
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