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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「男の星座」で描かれた三島由紀夫-太宰治の対決など、自決50年、に際しての雑感

本日11月25日が、三島由紀夫自決から50年の節目。

ドナルド・キーンの有名な当て字『魅死魔幽鬼夫』

小生たうたう名前どほり魅死魔幽鬼夫になりました。キーンさんの訓讀は学問的に正に正確でした。小生の行動については、全部わかつていただけると思ひ、何も申しません。ずつと以前から、小生は文士としてではなく、武士として死にたいと思つてゐました。

梶原一騎「男の星座」に描かれた三島由紀夫vs太宰治について

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梶原一騎「男の星座」三島由紀夫vs太宰治



・・・・・・と、三島由紀夫の話のはずが初手から梶原一騎に脱線したが、三島の太宰批判はそもそもテキストに残っているものだし

私が太宰治の文学に対して抱いている嫌悪は、一種猛烈なものだ。第一私はこの人の顔がきらいだ。第二にこの人の田舎者のハイカラ趣味がきらいだ。第三にこの人が、自分に適しない役を演じたのがきらいだ。女と心中したりする小説家は、もう少し厳粛な風貌をしていなければならない。
 私とて、作家にとっては、弱点だけが最大の強みになることぐらい知っている。しかし弱点をそのまま強みへもってゆこうとする操作は、私には自己欺瞞に思われる。どうにもならない自分を信じるということは、あらゆる点で、人間として僭越なことだ。ましてそれを人に押しつけるにいたっては!
 太宰のもっていた性格的欠点は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった。生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない。

小説家の休暇 (新潮文庫)

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直接対面して「僕はあなたを嫌いです」「でも来てるんだから好きなんだろ」みたいなやりとりをしたのも三島本人が回想してるわけだから、それをもとに、「そこに私(梶原一騎)の父親が居合わせた」はいかにも梶原的脚色だろうなあ…と思ったのですよ。だけど、自分はもう少し踏み込んで、梶原父と彼らの交流自体が丸ごと創作だろう、と思っていたわけです。「父親と太宰に接点がある」の部分はノンフィクションだった、というのは、さすがの虚実皮膜だなあ、と。

男の星座1

男の星座1

男の星座9

男の星座9






辞世の句

益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜
散るをいとふ 世にも人にも 先駆けて 散るこそ花と 吹く小夜嵐
— 三島由紀夫
今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは
— 森田必勝
火と燃ゆる 大和心を はるかなる 大みこころの 見そなはすまで
— 小賀正義
雲をらび しら雪さやぐ 富士の根の 歌の心ぞ もののふの道
— 小川正洋
獅子となり 虎となりても 国のため ますらをぶりも 神のまにまに
— 古賀浩靖
ja.wikipedia.org

警察からの現場報告 「三島由紀夫は割腹し介錯を受け首がちぎれている。生死は不明」

それから、いろんな事件の報告を受けて上司に報告するという立場に長いこといたわけですが、例えば三島由紀夫事件、これはお昼前でありましたけれども第一報は三島という酔っ払いが暴れているというものでした。11時ごろ東部方面総監部で刀抜いて騒いでいるというので、酔っ払いと思ったわけですね。

三島という酔っ払いが暴れていると第一報を受けた時、誰もびっくりしなかった。そういうのもあるだろうねと、三島事件というのは情報報告の面白い例なのです。

他にも、三島由紀夫は割腹し介錯を受け首がちぎれて生死は不明という有名な報告があります。その途中で収次の人が自分みてないものですから、生死は不明と自分の判断を入れてしまいました。それが荒木国家公安委員長のところまで上がりまして、私達は聞き取りのままで上に上げていく訓練を受けていますから、そのまま上がってしまい荒木国家公安委員長がそれ君ちょっとおかしいではないか、普通は首がちぎれると死ぬんじゃないかねと、生死は不明ってどういう意味だとお聞き返しになったという有名な話があります。ことほどさように第一報というのは間違っている、不十分であるというのは当たり前です。

佐々淳行の警告 危機管理

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筒井康隆「ダンヌンツィオに夢中」

これは手元に資料がないので記憶で書くけど、ともかく三島事件は、イタリアで本当に統一戦争に乗り出した、愛国的モチーフを描く冒険的文学者ダンヌンツィオに三島由紀夫は憧れ、その模倣としてあの事件も自決もあったのではないか、的視点で描く話。

で、その目玉は、三島事件の音声を、雑音やらヤジなどを忠実に再現し、そもそも三島の死をかけた訴えが物理的にも届いてなかったんじゃないか、というところを強調してるのね。
その際、何しろ筒井康隆は後年本格的に演劇の舞台にもたち、俳優として多くのドラマや映画にも出演した元演劇青年なので、三島由紀夫は演説にあたって、発声に関する俳優的な基礎訓練ができていなかった、みたいなことを書いてたんです。腹式呼吸がどうこうとか。三島も文士劇の出演とか、映画のゲスト出演とか大好きだったはずだが、俺の方が専門的に学んでいるぞ、と(笑)。「滑舌」の重要さをその時自分も認識し、印象に残った。

ダンヌンツィオに夢中

ダンヌンツィオに夢中

ところが今回ウィキペを読むと、あのバルコニー演説でマイクを使わなかったのは意図的なものだったそうだ

自衛官たちは一斉に、「聞こえねえぞ」「引っ込め」「下に降りてきてしゃべれ」「おまえなんかに何が解るんだ」「ばかやろう」と激しい怒号を飛ばした[6][9]。「われわれの仲間を傷つけたのは、どうした訳だ」と野次が飛ぶと、すかさず三島はそれに答えて、「抵抗したからだ」と凄まじい気迫でやり返した[12][22]。

その場にいたK陸曹(原典でも匿名)は、うるさい野次に舌打ちし、「絶叫する三島由紀夫の訴えをちゃんと聞いてやりたい気がした」「ところどころ、話が野次のため聴取できない個所があるが、三島のいうことも一理あるのではないかと心情的に理解した」と後に語り、いったん号令をかけて集合させたなら、きちんと部隊別に整列して聴くべきだったのではないかとしている[9][注釈 7]。

三島は、〈諸君の中に一人でもおれと一緒に起つ奴はいないのか〉と叫び、10秒ほど沈黙して待ったが、相変わらず自衛官らは、「気違い」「そんなのいるもんか」と罵声を浴びせた[9]。予想を越えた怒号の激しさやヘリコプターの騒音で、演説は予定時間よりもかなり少なく、わずか10分ほどで切り上げられた[19]。
(略)
三島は神風連(敬神党)の精神性に少しでも近づくことに重きを置いて、マイクを使用していなかった[12][24]。マイクや拡声器を使わずに、あくまでも雄叫びの肉声にこだわった[12][25]。三島は林房雄との対談『対話・日本人論』(1966年)の中で、神風連が西洋文明に対抗するため、電線の下をくぐる時は白扇を頭に乗せたことや、彼らがあえて日本刀だけで戦った魂の意味を語っていた[26][注釈 8]。

ちなみに、三島の演説をテレビで見ていた作家の野上弥生子は、もしも自分が母親だったら「(マイクを)その場に走って届けに行ってやりたかった」と語っていたという[27]。水木しげるは、『コミック昭和史』第8巻(1989年)で、当時の自衛官が演説を聴かなかったことについて、「三島由紀夫が武士道を強調しながら自衛隊員に相手にされなかったのは自衛隊員も豊かな日本で個人主義享楽主義の傾向になっていたからだろう」としている[28]。

事前に三島の連絡を受け、当日朝、11時に市ヶ谷会館に来るように指定されていたサンデー毎日記者・徳岡孝夫とNHK記者・伊達宗克は……バルコニー前まで走り、演説を聞いていた[12]。

前庭に駆けつけたテレビ関係者などは、野次や騒音で演説はほとんど聞こえなかったと証言しているが、徳岡孝夫は、「聞く耳さえあれば聞こえた」「なぜ、もう少し心を静かにして聞かなかったのだろう」とし[12]、「自分たち記者らには演説の声は比較的よく聞こえており、テレビ関係者とは聴く耳が違うのだろう」と語っている[29][注釈 9]。

なお、この演説の全容を録音できたのは文化放送だけだった。マイクを木の枝に括り付けて、飛び交う罵声や報道ヘリコプターの騒音の中、〈それでも武士か〉と自衛官たちに向けて怒号を発する三島の声を良好に録音することに成功し、スクープとなったという[12][注釈 10]。文化放送報道部監修『スクープ音声が伝えた戦後ニッポン』(2005年、新潮社)の付属CDでこの演説の肉声を聴くことができる。

「記録」にこだわる当方としては、この演説が文化放送の必死の録音「スクープ」によって、音声として歴史上の記録になった、ということも特筆大書したい。



三島由紀夫は本来、来年元日にはパブリックドメインになった…のだが。

この話は毎年のようにカウントダウンされていたのだが…TPP成立により、残念ながらあと20年延長になった。遺族がキビシイタチなので、アーカイブ的な展開は不可能でしょう。…というか、今の著作権継承者って誰やねん。その人のスタンスによってはワンチャンあるかもな…だが、三島作品は50年たっても読まれる、例外的なコンテンツに属する。
直系の子孫ではない遠縁のものであっても、三島由紀夫作品の著作権=そこからあがる印税が今後も20年間、労せずして転がり込んできます!!!となったら、自分だって公共のために手放したりしないよ、そりゃ(笑)

金閣寺 (新潮文庫)

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