この漫画本編と、インタビュー記事が文春オンラインに載った。
大したもんなのはさすが「文春」で、そもそも原田久仁信氏と、太い仕事上の繋がりがあったとかじゃないはずだ。
「原田久仁信にはなしを聞こう」
「その時に、猪木追悼の漫画をオファーして、それをオンラインに掲載しよう」と発想してくれたことが有難いし、慧眼でありました。
なお、何度も書くが
現在「プロレススーパースター列伝」はゴマブックスから1-3巻無料、他は55円の超低価格で電子書籍販売中。
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回想の方は、文庫本とか、「地獄変」関連のインタビューとかで、原田久仁信を熱心に追っていた人間(俺とか)にはお馴染み話だけど、初めて聞く人も多いとは思う。
このへんを抑えておけばいい。
・原田久仁信にとっては、かなり早めに巡って来たチャンスで、あまり経験がないまま原作つき週刊連載に飛び込んだ
・原田氏自身はプロレスや格闘技の裏の裏を知ってるタイプではなく、結構素直に原作を信じていた。
・梶原一騎と言えば作画者とのトラブルや、心理的な圧迫が良く言われるが、原田氏と梶原氏は年代的な差もあったのか凄く良好で可愛がられた(だから逮捕後も仕事を続けられて、あの「男の星座」が誕生したのだ)
・・・・・・連載が始まって2年ぐらいしたときかな、練馬高野台の梶原先生のご自宅で直接お聞きしたことがあるんです。
「ところで梶原先生、毎週、猪木さんにはお話を聞いてるんですよね。あの忙しい猪木さんが毎回解説してくれるのは凄いです」
そうしたら、梶原先生は実にあっさり即答しましたよ。
「……おめえナニ言ってんだ。そんなわけねえだろう!」
あれは衝撃だったなあ……、ほとんど梶原先生の創作だったんですから(笑)。でも後から思うと、それに対して何も注文をつけなかった猪木さんの度量も凄い・・・・・
こたえあわせ(笑)
でも、このへんは、慧眼だねえ。
…『列伝』の内容は確かにファンタジーですが、梶原先生でなければ、あそこまで大胆な創作はできなかったと思います。また、時代がそれを許してくれました。現代の創作活動は縛りや制限が非常に厳しくなっていますが、当時のスケール感や表現の幅を懐かしく思うこともあります。
おそらく『列伝』の読者にも、作品の内容もさることながら、この作品が生まれた時代への郷愁があるのだろうと思っています。何もかもが規格外だった梶原先生が輝くことのできた最後の時代…
ここのところも面白かった
初代タイガーマスク(佐山聡)がデビューし、その人気と並走する形で『列伝』が現実を追いかけていた時期に、『サンデー』の編集長に褒めてもらえたこともよく覚えています。
「原田君、人気投票で3位になったよ……でも3位じゃまだまだだな!」
でも1位と2位は不動(『うる星やつら』『タッチ』)なんだから、僕のなかでは実質1位みたいなもの。「3位じゃまだまだ」って言われてもなあと思って勝手に喜んでいましたよ(笑)。
「バクマン。」で、ジャンプの1位になった時におじさんの墓に行って「俺たち、1位がとれたよ…」と報告する場面を見て正直「それほどのことかあ?」と思ったが、やっぱり絶対王者が雑誌には君臨することが多く、それを越えての1位は難しいそうで。
なにしろ「究極超人あ~る」も結局1位をとれなかったんだって、「うる星やつら」と大半が被ってたから。
ジャンプでも最近「〇〇と〇〇〇があるから、1位は難しい」…みたいな話をだれかがしてたな。
冒頭のところで、またプロレスの仕事の打ち合わせが来た、という話もしている。
また、この話も興味深い
……読者が僕に求めていたものは似顔絵をいかした作品で、自分がイチから描いたキャラクター、ストーリーではなかなか注目してもらえない。
僕は佐山さんのような飛び抜けた才能がなかったので、割合早い時期にそうしたジレンマはなくなりました。読者が求めるものに応えていく。それが決して自分を曲げることでも、挫折や敗北でもないと思えるようになりました。
そうなんだよ、しかし、原田氏以上にそっくりに似顔絵を描ける人は多数いる。それこそAIでも可能だろう。だが「原田氏の絵」だから伝わるものが間違いなくある。
画力は年齢を経て衰えました、見逃してください(笑)とか以前冗談めかして語ってたけど……
それこそ、「われこそ原田久仁信二世たらん!」とこの画風、この路線を受け継ぎたいっていう新鋭漫画家いないかしらん。自分も描ければ描きたいところだが、画力が無いので文章で原田久仁信ワールドを時々再現しているんです(このブログには、山ほど痕跡が残ってるわな)