24日、”テキサス・ブロンコ”テリー・ファンクさんが79歳でこの世を去ったことをWWEが発表した。
テリー・ファンクさんは1965年にデビューし、1970年からは日本プロレスで兄のドリー・ファンク・ジュニアとのタッグチーム"ザ・ファンクス”として活躍。2009年にWWE殿堂入りしていた。
盟友のリック・フレアーもX(旧:Twitter)で「テリー・ファンクは偉大なレスラーであり、エンターテイナーであり、信じられないほど恐れ知らずで、そして素晴らしい友人でした。友よ、安らかに眠れ。プロレス界であなたのかわりは誰もいない」と…(略)
battle-news.com
あらゆるプロレス団体の試合映像を収集しているWWEだから可能なテリー・ファンク追悼映像 pic.twitter.com/N9481hHfQO
— ジャン斉藤 (@majan_saitou) August 24, 2023
自分はテリー・ファンクの応援側に回ったことはほとんどないのよ。
ブッチャー、ハンセンが好きだったから常に「テリーやられろ!」的な目で見てた(笑)。また引退ー撤回への覚めた眼も、これは普通にあった。
弟子の大仁田厚が、プロレスラーの引退に関する常識を変えるのはまだまだ先の話だった(笑)
だが、その見方を一変させたのが、日本のシーンから消えたあとWWF(当時)にて「西部テキサスの大悪党」として大活躍、なんとあのハルク・ホーガンを何度も追い詰めている……という情報。当時はゴングや週刊ファイト、週プロのグラビアしか情報がなかったんよ。
カウボーイのポンチョと、牛に印をつける焼きごてを凶器にして、大悪党としてヒールファイトをして、当時プロレススーパースター列伝の番付的に横綱だったホーガンとNYで互角なら、やはり相当なもんだろう…と。
このコスチュームね。
テキサスブロンコ
— みちのくプロレス MICHINOKU PRO-WRESTLING 公式 (@michipro_jp) August 23, 2023
テリーファンク氏がお亡くなりになりました。
業界に入る前はマスカラスとテリーが大好きでした。
引退試合も見に行ったし、あのラッキーコインも会場でゲットしました。
残念でなりません。
謹んでお悔やみ申し上げます。 pic.twitter.com/8fYvjK8PXL
これが受けて、兄貴のドリーもホス・ファンクとして呼び寄せ、ジェシー・バーもさらなる弟「ジミー・ジャック・ファンク」としてチームに加入させ…一大勢力となった
こんな写真が残されてました。
— 全日本プロレステーマ研究室 (@ThemeOfAjpw) June 19, 2020
ドリーもこんな顔するんですねww#ドリー・ファンク・ジュニア #ホス・ファンク #ジェシー・バー #ジミー・ジャック・ファンク pic.twitter.com/CyTXLsNthT
当時、テリトリーごとのライバル関係はそういうものだ、ということを知らずに、番付をスライドさせちゃったのよ(笑)
※地域地域ごとのライバル関係を修正なしにスライドさせると、プロレスの”番付”は大きく混乱する。ミル・マスカラス≒グレート小鹿とかになっちゃうわけで(笑)
The only time we got Stone Cold and Terry Funk clashing in the WWF - and it's just how you wanted it to be 👊@steveaustinBSR
— On This Day in WWE (@OTD_in_WWE) August 23, 2023
pic.twitter.com/iF5vk2KxZX
そのへんからプロレスの「裏の見方」もわかってくるわけで…そこでテリー・ファンクの「プロレス頭」の柔軟さ、賢さが、斎藤文彦氏の紹介などでよくわかってきた。
とくに、それを印象付けたのが、FMWやIWAやWWFで多用したムーンサルト。
週プロで「枯葉が舞うような」という、褒めてんだかけなしてるんだかの形容されてたけど(笑)、あの技は、案外超絶の運動神経がなくても「覚悟」さえあらば、できることはできる…、と気づいてやり始めた一人で、ひざの状態も相当悪いのに、不格好な体勢なのに、自分のキャラとはどうしても合わない技なのに…それを敢えてやるところは、本当にすごかった。
そしてこれもWWFに登場した、テリーが変身した覆面レスラー「チェーンソー・チャーリー」。
レザーフェイスはすでに日本マットで(著作権を無視して)暴れていたけど、それを気に入って、面白いからやってみたい!とテリーからWWFに提案したそうな。
そのへんも含めて柔軟だった。
チェーンソー・チャーリー(テリー・ファンク)#私が愛した覆面レスラー pic.twitter.com/yIbWsd6hgj
— 三平×2@Podcast二次元妻帯者の夜Hz@YouTube三平物怪録 (@sanpeimihira) December 28, 2021
アメプロヲタ的にはチェーンソー・チャーリーa.k.a.テリー・ファンクですよね #電ノコおっさん pic.twitter.com/4rGMESO8fH
— やるきなし雄 (@2thlessfatguy) January 4, 2017
業界内ではけんかっ早さでも知られ、抗争を繰り返したハルク・ホーガンは日本マット時代、テリーに対して全日本移籍を内諾していたのに、新日に金を積まれて居残ったときはホーガンのホテルへ出向いて鉄拳制裁したそうな(笑)
でも、その選択はおそらくホーガン、正しかったんだろうな。だから甘んじて殴られたのかも。
ブッチャーは「なぜドリーでなくテリーと抗争したのか?」と聞かれ「テリーはより広く、プロレス界でいろんな人材を上に引き上げようとした。そういう人間を血だるまにするのが、わたしの恩返しなのだ」といったことを語っていた。
本当に、やすらかなれ。
なお、「プロレススーパースター列伝」読者にテリーの訃報を伝えた結果。