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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「テキサスの荒馬」テリー・ファンク、逝去。

24日、”テキサス・ブロンコ”テリー・ファンクさんが79歳でこの世を去ったことをWWEが発表した。

 テリー・ファンクさんは1965年にデビューし、1970年からは日本プロレスで兄のドリー・ファンク・ジュニアとのタッグチーム"ザ・ファンクス”として活躍。2009年にWWE殿堂入りしていた。

 盟友のリック・フレアーもX(旧:Twitter)で「テリー・ファンクは偉大なレスラーであり、エンターテイナーであり、信じられないほど恐れ知らずで、そして素晴らしい友人でした。友よ、安らかに眠れ。プロレス界であなたのかわりは誰もいない」と…(略)
battle-news.com

ファンクスvsブッチャー、シーク

自分はテリー・ファンクの応援側に回ったことはほとんどないのよ。
ブッチャー、ハンセンが好きだったから常に「テリーやられろ!」的な目で見てた(笑)。また引退ー撤回への覚めた眼も、これは普通にあった。
弟子の大仁田厚が、プロレスラーの引退に関する常識を変えるのはまだまだ先の話だった(笑)


だが、その見方を一変させたのが、日本のシーンから消えたあとWWF(当時)にて「西部テキサスの大悪党」として大活躍、なんとあのハルク・ホーガンを何度も追い詰めている……という情報。当時はゴングや週刊ファイト、週プロのグラビアしか情報がなかったんよ。


カウボーイのポンチョと、牛に印をつける焼きごてを凶器にして、大悪党としてヒールファイトをして、当時プロレススーパースター列伝の番付的に横綱だったホーガンとNYで互角なら、やはり相当なもんだろう…と。
このコスチュームね。


これが受けて、兄貴のドリーもホス・ファンクとして呼び寄せ、ジェシー・バーもさらなる弟「ジミー・ジャック・ファンク」としてチームに加入させ…一大勢力となった

当時、テリトリーごとのライバル関係はそういうものだ、ということを知らずに、番付をスライドさせちゃったのよ(笑)
※地域地域ごとのライバル関係を修正なしにスライドさせると、プロレスの”番付”は大きく混乱する。ミル・マスカラスグレート小鹿とかになっちゃうわけで(笑)

そのへんからプロレスの「裏の見方」もわかってくるわけで…そこでテリー・ファンクの「プロレス頭」の柔軟さ、賢さが、斎藤文彦氏の紹介などでよくわかってきた。

とくに、それを印象付けたのが、FMWIWAWWFで多用したムーンサルト
週プロで「枯葉が舞うような」という、褒めてんだかけなしてるんだかの形容されてたけど(笑)、あの技は、案外超絶の運動神経がなくても「覚悟」さえあらば、できることはできる…、と気づいてやり始めた一人で、ひざの状態も相当悪いのに、不格好な体勢なのに、自分のキャラとはどうしても合わない技なのに…それを敢えてやるところは、本当にすごかった。


そしてこれもWWFに登場した、テリーが変身した覆面レスラー「チェーンソー・チャーリー」。
レザーフェイスはすでに日本マットで(著作権を無視して)暴れていたけど、それを気に入って、面白いからやってみたい!とテリーからWWFに提案したそうな。

そのへんも含めて柔軟だった。


業界内ではけんかっ早さでも知られ、抗争を繰り返したハルク・ホーガンは日本マット時代、テリーに対して全日本移籍を内諾していたのに、新日に金を積まれて居残ったときはホーガンのホテルへ出向いて鉄拳制裁したそうな(笑)


でも、その選択はおそらくホーガン、正しかったんだろうな。だから甘んじて殴られたのかも。


ブッチャーは「なぜドリーでなくテリーと抗争したのか?」と聞かれ「テリーはより広く、プロレス界でいろんな人材を上に引き上げようとした。そういう人間を血だるまにするのが、わたしの恩返しなのだ」といったことを語っていた。

ブッチャーのテリー評

本当に、やすらかなれ。
なお、「プロレススーパースター列伝」読者にテリーの訃報を伝えた結果。

リーファンクの訃報をプロレススーパースター列伝読者に伝えた結果
プロレススーパースター列伝 上等の肉だ、もったいないぜ兄貴