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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

「じゃあハンセンとホーガンの本当の仲は?」と重ねて聞かれたのでこれも答える/実は梶原マジックにはウラの意図が…?

m-dojo.hatenadiary.com
という記事…これはLINEの返信をそのまま載せたものだが、こんどはこんなやりとりを、したなりよ。

Q:ごめんやけど、ハンセンとホーガンの関係はどうだったのか?「ハルク、水に流そうや」とかあったんかね。


A: 鋭意準備中


Q: 問題意識としては、梶原マジックと言えど口から出まかせではなく、針小棒大主義であるならば、どの部分までが事実だったかを知り、あらためてセンセイ・カジワラの偉業を偲びたい、ということ。


A: 自分の仮説としては、梶原氏の……さらに壮大な戦略がありそうなのです

これについても私は自分なりの見解があるのでこの機を利用して述べさせていただきたいと思います。
実は、プロレススーパースター列伝のハルクホーガン編は、ある意味でブルーザー・ブロディ編以上に梶原マジック度が高い。


ただその梶原マジックに、隠された、大きな意図があったのではないかと私は考えております。



その上で最初にハンセンとホーガンの関係はどうだったのか?と質問されれば、「列伝での激しい対立関係からの和解というのは大いなるフィクションで、現実的には極めて良好な友人関係でした」というのが身も蓋もない回答となります。
良好というより基本的には二人が新日で行動を共にしていた時、スタンハンセンはなんといっても押しも押されもせぬ絶対的エースで、ハルクホーガンはその下のもっか成長中の若手、 という扱いでした。
その枠の中で、ぶっ殺すとか 口にチャックしなとか、そういう関係にはなりようがありません。ビールジョッキを傾けて「ワン・モア(おかわり)」の方が正しいのです。

ではなぜ梶原一騎はああいうストーリーをつむいだのでしょうか?
まず同作品の掲載された期間が、非常に重要な意味を持ちます。「週刊少年サンデー・1982年32号 - 1982年49号」でした。

つまりハンセンが移籍して翌年のことなのですね。

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プロレススーパースター列伝 ハンセンが移籍した蔵前事件

そしてホーガン編の始まる前にやっていたのは、まさに現実とファンタジーを行き交いながら、そのチューニングを自由自在に作者が行うという「タイガーマスク編」。その数年後梶原一騎アントニオ猪木新日本プロレスは絶縁し、逮捕監禁だ脅迫だというようなトラブルになるわけですが、 この時期はまさに一心同体、二人三脚!!!
梶原一騎自体はジャイアント馬場が主役となる「ジャイアント台風」の原作も手がけ、列伝の「猪木/馬場編」はまさにバランスの妙と言うべき両者を共に巧く”立てた”ストーリーを見せるなど、基本的には日本のプロレス界で、公平かつ超党派的な関係を保っている……、 という建前ではありましたが、実際には時期、時期によってやはり関係の濃淡はあり、しかもアントニオ猪木新間寿とはその前の「猪木vs 熊殺しウィリー」以来の”共犯関係”にあったと見て間違いないところです。
(それに加えて、やはり梶原一騎には純粋な強さへの憧れもあり、当時はやや衰えもあったとは言え、ゴッチの弟子・シューターとしての実力が猪木に備わっていたことも影響していると思います。馬場はその一方で、既に動きや肉体が笑いの種になっていた時期でした)

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プロレススーパースター列伝 梶原一騎

完全にガチなレスリングウォーであったといわれる、昭和の両団体の大物引き抜き抗争。その決定打は、やはりスタン・ハンセンの全日移籍でした。
新日本プロレスはそれを受けて、ハルク・ホーガン(彼も全日と仮契約まで済ませ、引き抜きれる寸前だったというのが皮肉ですが)を「外国人エース」、それもハンセンに匹敵する地位にまで「育てる」必要がありました。
非常に幸いなことに1982年は世界的に大ヒットした「ロッキー3」 出演という、ホーガンの世間的な格を引き上げる大きなトピックもあり、また本人のセンスも向上して、「ハルク・ホーガンを超一流のエース格に引き上げる」という新日本のプランはかなりスムーズに行われました。


ちなみにこの時期からホーガンはアックスボンバーを使用するのですが、実はこの時、ホーガンはプロレス界の仁義として、ちゃんとハンセンに許可を求め、ハンセンの方も「それを君が使ってくれたら嬉しいよ」とと快くOKしたといいます。うん、確かにこれは梶原が好みそうなストーリーではない(笑)


そして…おそらく…これは自分の推論ですが、おそらく梶原一騎新日本プロレスサイドは綿密な打ち合わせの上で「ハルクホーガンはスタン・ハンセンと五分五分…いやむしろハンセン以上の実力や将来性があり、それをハンセンは恐れ嫉妬した!」というストーリーライン に落とし込んだのだと思うのです。

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プロレススーパースター列伝 ハンセン移籍への新日のプロパガンダ

この「アントニオ猪木(談)」は、猪木本人は何もかかわってないとはいえ(笑)露骨に「ホーガンはハンセン以上なんだよ、だからハンセンは全日本に行ったんだよ」というプロパガンダ
ロシア大使館もびっくりですが、どうせならあそこのツイートも「プーチン(談)」にすれば・・・・・・あれ??けっこう似合いそうだぞ!!!


もちろん梶原一騎ですから「そういうふうに新しい才能を抑え込むのは、プロとして当然の態度!」みたいなエクスキューズも、また様々に仕掛けていて、ちゃんと全日本プロレスとハンセンに対してももフォローはしてるのですが、逆に言うとそういうフォローをしなければ、やはりハンセンを悪者、ホーガン以下に貶めてる…と言われても仕方ないストーリー展開でした。


その辺の意図的な演出が明らかなのはハンセン対ホーガンの後楽園シングルマッチの描写で…ホーガンはハンセンのラリアットを見事に場外でかわしたが、 なんかひん曲がった椅子が砲丸の腕、及びフェンスと絡まって「泣いても泣ききれないリングアウト負け!」を喫したことになってるんですけど…実はまともにラリアットを食らってる写真を俺見たことあるんです(爆笑)。というか、今でも覚えているけど「ビッグレスラー」に掲載された読み物では、ホーガンが「俺はハンセンと親しいからできれば戦いたくない」→新間「だが君たちは友人である前にプロフェッショナルレスラーではなかったかね」→ホーガン「……」→新間「だが、君の気持も分かる。よし!試合は行うがノーテレビマッチにしてあげよう!」
これはこれでぜんぜん信用し難い(笑)。
おそらく、(旧)タッグパートナー同士の対決って、確かに興味もひくけど、その後のアングル的にはあまり大きく扱いたくない、というのもあるし、その後の成長株たるホーガンが負けて黒星がつくのも大きな扱いにしたくない、とかあったんだとおもいます。ただ、あまりにもプロレススーパースター列伝との扱いが違ったのでね(笑)。この記事にハンセンのラリアットを場外でもろにくらうホーガンの写真があり、まだプロレススーパースター列伝を信じていた子供心に衝撃だったゆえ、こんな無名の読み物を覚えているのです。

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プロレススーパースター列伝 ハンセンvsホーガン後楽園、この結末はホントか?

今は「ハンセン対ホーガン」とゆーと、その後のビッグマッチ「日米レスリングサミット」での映像になってしまい、その写真や記事をネット検索などで見つけることも困難なわけですが…証言は発見できた。

そんなこんなで実現した夢の対決は、最後は場外でホーガンのイス攻撃を交わしたハンセンが間一髪に(昭和的表現!!)ラリアットをぶち込んでリングアウト勝ちし試合後まだ熱くなってるふたりが最後は握手して健闘を讃え合い先にリングを降りて控室に戻るハンセンを指差しながら余韻に酔いしれて拍手喝采を浴びせる観客に向かって「スタンはさすがだよ」というような仕種とポーズを見せるのがまた胸を熱くさせられるわけですが
https://ameblo.jp/orixlovers/entry-10992091362.html


逆に言うと梶原一騎が「調子に乗っていた」時代…… 実はこの辺から、原作者としての梶原一騎はそれほど世間を揺るがすような大ヒット作品を出してはおらず、こういった映像や興行、出版にまつわる「フィクサー」的なことで存在感を示すことが多くなってきました。


プロレススーパースター列伝はある種、逮捕後の「男の星座」を別とすれば「最後のスマッシュヒット作品」とみなされることもあるほどで……。

しかしまだビデオも未発達、マニアが声をあげてもその声がメディアに載るようなことは少なく… SNS などは影も形もない時代。

「俺の原作で真相はこうだと書けば、たった1年や2年前の話でも、メディアが多数詰めかけた後楽園の試合で写真が残っていようとも…俺が書いたことが事実になるんだ!」という自信と言うか強引さがなおも梶原一騎にはありました。

そんな梶原一騎の…いやセンセイ・カジワラの「虚と実」を楽しむ上でも、実はハルクホーガン編は重要かと思われます。

なお蛇足ですが、先ほど少し紹介したハンセンとホーガンの2回目のシングルマッチ…すなわち東京ドームで行われた 1990年の試合で、両者は再会します。

しかしこの時は WWFはすでに超巨大なメガ団体に成長しており、そこのエースであるハルクホーガンは、もはや絶対的に価値を傷つけるわけにいかないスーパースターとなっていました。
だから勝者もホーガン、それもピンフォール勝ちということになるわけですが…それでもホーガンはハンセンを軽んじることなく、敬意を払ってフレンドリーに接したということです。
まあ今で言えば、 ゴールデンタイムの番組は三つも四つも持ち、主演映画も大ヒット、書いた本もベストセラーというお笑い芸人が、かつての先輩芸人に「いやーほんとに演芸場ではお世話になりましたわ。あの時はもうほんと会場をドッカンドッカンと先輩わかせてましたもんねー。それ見て私ら必死にメモしてましたよ!!」みたいなもんで、先輩芸人もそのリスペクトに感謝しつつ、今ステージの中心にたつべきなのはその時の若手なのだろう、と納得してる…といった感じなのではないでしょうか。


ハンセンの自伝を抜粋しているかたがいらっしゃったので、そちらを。

ホーガンとは、新日時代にとても仲が良く、ツアーを回るときは
いつも一緒だった。

その後ホーガンはWWF(当時)に入ると、世界王者に就き、ア
メリカン・プロレス界の顔的なレスラーとなり、「リアル・アメ
リカン」と呼ばれ、プロレス業界を超え、アメリカ国民に知られ
る存在になった。

知らない人が多いだろうが、実はホーガンはなかなかの苦労人な
のだ。
(略)
ホーガンと久々に再開したのは、1990年、東京ドームで開催
された「日米レスリングサミット」だった。

日本の団体の代表として、メーンで対決することになったのだ。

5万人近いファンの前で、ホーガンとメーンを務められたのだか
ら、誰よりも恵まれていたと言えるだろう。


https://ameblo.jp/kusuke6/entry-12570944685.html

ちなみにこのかたは、この前語ったブロディとハンセンの関係についても、ハンセン自伝の「大学時代のブロディとの出会い、そして若手プロレスラーとしての再会」
を抜粋しており、何ちゅうか…かなり笑えます(笑)

https://ameblo.jp/kusuke6/entry-12569590578.html

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