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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「白票」なども含めて、選挙に関する原理的なことを簡単にまとめてみる

おなじみ 日本国憲法第十五条の4 後半部。

……選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

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もう、この種の記事が読まれるのも明日以降はないだろうから。

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でも既に書いたけど、過去記事に描いたものも含め箇条書きで


・まずはてなの2024年の白票論で話題になったのは橋下徹氏のこの談話記事だが、記録として残しておこう

president.jp
「そんなこと言ったって、俺(私)の1票が、選挙の結果を左右するわけないじゃん。自分が投票に行ったくらいでは、世の中は変わらないよ」

綺麗事はなしで言いましょう。実際、そのとおりなんです。投票所に行っても、「あなたの1票」が現実を大きく変えることはほとんどありません。

あなたが遊びの予定をわざわざずらして投票所に足を運んで、「○○党の◎◎さん」に票を投じても、夜の開票速報では落胆することになるかもしれない。

「ほら、やっぱりね。俺(私)の1票なんて、そんなもんだよ」と。

でも、「だから無駄だった」わけでは絶対にないんです。あなたの投票が短期的に夢の社会を実現することはほとんどない。だけど中長期的に見れば、「あなたの1票」は政治家をジリジリと圧迫するプレッシャーになるからです。

あなたが「投票」をしなければ、あるいは無投票の人が大勢いれば、政治家はあなた方の存在をまるっきり無視することができます。

でも、あなたが毎回確実に「投票」をする存在に変われば、そしてあなたの周囲の若者の仲間が確実に投票するようになれば、あなた方若者の存在は政治家にとって無視できないものになっていきます。

(略)
その意味では、投票用紙にどの候補者の名前も書かずに真っ白のまま投じる「白票」だって、意味があるんですよ。「白票は無責任だ」という声も聞きますが、「選びたい人物がいない」事実を表明する「白票」は、政治家を脅かす十分な威力を持っています。

橋下徹『13歳からの政治の学校』(PHP新書橋下徹『13歳からの政治の学校』(PHP新書
「あなたの主張・政策を私たちは評価していませんよ」
「いま選びたい候補者はいませんが、私たちはちゃんと政治に関心を向けていますよ」
「私たちが選びたい候補者が出てくれば、あなたではなくその人を選びますよ」

そう意思表示する「白票」は、政治家にとっては想像以上にプレッシャーになるんです。実際に、選挙を通じて選ばれる立場も経験した僕だからこそ、その脅威を肌感覚でひしひしと理解しています。「白票」は何も書かれていない真っ白な紙などではなく、「あなたを評価していません」という強烈なメッセージだからです。

政治家は白票の数を見て、「ちゃんとやらないと、次の投票では自分のライバルにこの白票が流れるかもしれない。この人たちの声を真剣に聴かないと、次の選挙に負けるかもしれない」とビクビクすることでしょう。


・これはまあ、(下に書いてある「ピタゴラ理論」を前提にするなら、である。重要だが後述)その通りというほかない。
言ってることが事実に即しているか、という点でいえば即している。



・まず、白票は「投票所に行かない、完全棄権より」マシだという話であって、それはそう。



・現実として投票所までまずいかせれば、そこで白票はもったいないので、普通の投票をする可能性も高まるんだから。



・デパートの店員が「商品をご覧になるだけでもけっこうです、どうぞお入りください」と呼びかけて客を呼んだら、それはGJであり「客が買わないなら来てないのと同じだ!」と経営者がその店員のトークを叱責したらあまりに近視眼である。


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・それで、白票はなぜ棄権よりマシか。原理的にいえば、投票したという結果自体は記録に残り(それが白票だったかどうかは残らない)、よく想定されるように「20代の投票率」などの数字が上がる(地域の数字も記録されるな、丸々県4区は投票率が高い、とか)。そうすると政治家がそれを気にして、そこを想定した政治(利益誘導といってもいい)をする、からだという。



・しかしこれはピタゴラスイッチみたいなもんで、本当にそうなるのかい?と言われたら根拠はない(笑)



・だけど、そう批判してる人が見落としてることがある。それは、白票でなく、たとえばこのとき落選した、野党候補?に投じても同じことなんだ、ということ(笑)



・批判者はいう。与党A党が80%の得票率だった時より、65%に下がった時のほうが野党支持者に配慮するから、野党(落選候補)に投じた票も無駄ではない、と。



・でもそれは「白票を投じればプレッシャーになる」と同種というか同レベルの『ピタゴラスイッチ』論法。



・だってさ、そう思うかどうかわからんよ。接戦となった与党当選者は「うーむ野党支持者も増えてるな」と思ったら「より、今の岩盤支持層を喜ばせて票を固めよう!」と、野党支持者が喜ばない政策にかじを切るかもしれないし、とらないかもしれない。それはピタゴラスイッチの組まれ方次第だ。


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・というか、落選票の数が多ければそれに配慮すべし、って本当に真実かい?今回の衆院選、かなりの確率で「改憲勢力」同様にかぞえれば「夫婦別姓推進勢力」が多数派になるだろう。もっと単純化して「別姓賛成党」と「別姓反対党」が55vs45で前者が勝利したとする。そのとき、賛成党が「反対党にも45%の票が入った。これを尊重した政治をせねば」とかいって法案提出を保留にしてたら、ふざけるなって賛成党の支持者は怒りだすわな。



・だいたい、「数字が○○だから、その数字を意識して政治家は(慎重/積極的)になってくれるだろう(なるべきである、そう要求する資格がある)」というピタゴラスイッチ論法だと、寝てるだけの完全棄権にも意味が生まれてくる(笑)…いやほんと、新聞や識者がそういう論法を使ってる。
このことを指摘した傑作記事(自画自賛)を過去に書いてるので、詳しくはそっちを読んでくれ
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・じゃあ選挙の意義は何かと言えば「自分の望む政策に少しでも近い政治家に投票して、その人間を【議員に当選させた】時、初めて成果が得られる。そうでなかったときは棄権も白票も、第一野党への投票も泡沫政党への投票も、結果としては政治には直接の影響を与えない」…というのが原理的な解釈としては、そうなるしかない。(もちろん、比例代表はその欠点を大きく解消する制度である)

皇国の守護者 まったく無益 全く無駄

・それじゃ、落選者に投じた票は無駄? そもそも数万票で争う中では自分の1票は誤差にひとしいから、投じても投じなくても同じこと?(国政選挙で同数や1票差だったことは、まあやはりレアケースだろう)…そうかもしれない。ただ、そうであることに耐えられない人がいる中で「落選候補の票も多ければ当選候補の行動も(意識の中で)制約されるよ」「白票で、年代別の投票率が上がることは政治家が意識するから意義があるよ」という「ピタゴラスイッチ」の論法が生まれた、のだろうと思う。
これは政治家の「意識」の問題だから、ぶっちゃけいかようにでも言える。ただ、投票して選挙で代議員を送るという原理の中にはそもそもなかった、後付けの意味でありましょう。


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・じゃあ、投票に意味がないのか。自分が考えるに「投票した、でもその候補が落ちた。自分の投票に意味が無かった」という原理に沿って認定してもそれでけっこう。「次は勝たねば!」と頑張ればいい。敗者には何もやるな。こんなハードボイルドな考え方じゃだめかな?というのがひとつ。



・あとは投票というのは、その選考プロセスへのコミットであり、そうである以上結果を受け入れる、ということなのだろうと。それを無視したのが2021年のトランプ派議会襲撃なわけで、それが蛮行とされるゆえん。ここでいうべきは、当選候補でなく落選候補に投票しても、それはコミットなのだ、と。



ニクソンウォーターゲートで失脚した時「私はニクソンに投票しなかった」と胸を張る人物がいたそうだ(アシモフ黒後家蜘蛛の会」にユーモラスに描かれている)が、そうではなく、ニクソンに投票しなかった人も投票によってニクソンの権威を高めている。だから発展途上国で、政治対立がもっと激しいところ、不正選挙が疑われることははしばしば反対勢力が「選挙ボイコット」を呼びかける。



・だから「白票は白紙委任」という言い方があるけど、むしろ「ほかの候補に投票した人も(人こそ)、『意思は示したが、出た結果に対して(全面)委任するよ』という意味になる」「むしろ棄権(ボイコット)・白票以上に当選者に政治を委任している」という考え方もありんす。それじゃ困る、と言ってもしらん(笑)



・ほかに選挙の意義、白票や棄権を良くないこととするには…ふわっと、「選挙」に「神聖さ」をまとわせ、よくわからんが、有権者たるもの、神聖な投票をしなきゃいかんのだよ!という宗教的情熱を動員するしかない、とも思う。けっきょく自分の投票も、かなりそういう部分はあるかと思う。これは「トイレの神様」方式と呼んでいる。トイレの掃除は皆が嫌がるけど、そこに「女神様」がいることにして、そこを掃除すると女神様の御利益で美人にしてくれる、という形で動員する。
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・以上のような話は、これまでの過去記事で書いたことの要約です。下の一覧の記事では、それぞれの論点をもっと詳しく書いてあると思います。