毎回、選挙となると棄権(白票)の話が出てくる。
今回は有名人、知識人の東浩紀氏がそう表明したのでちょっとした騒ぎになった。
東浩紀さんが白票を表明してカウンター運動に失望した流れ - Togetterまとめ http://togetter.com/li/752074 @togetter_jpさんから
【総選挙】東浩紀氏「白票や棄権にも意味がある。“ぐだぐだ言わず投票しろ”こそ考停止だと思う」 http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-28622.html
ああ忘れてた、白票論が盛り上がったのは、なぞの団体が出没してたから、も理由だった。
選挙での「白票」を「社会を変える力がある」とミスリードする謎の集団「日本未来ネットワーク」のサイトが突如出現 | BUZZAP!(バザップ!) http://buzzap.jp/news/20141127-mirai-senkyo/ @BUZZAP_JPさんから
自分はこれまでも結構この話題をかいている。
わたしゃ一度も棄権したことも白票を投じたこともないのにな(笑)
というのは、そもそも民主制度は基本的に制度がまずどーんとある。投票して、多数の獲得者が当選して、国会で首相を指名し…と。その中でどうふるまっても基本的に法などの縛りはすくない。
しかし、国会における「憲政の常道」と同様、その制度の中でどのようにふるまうのがデモクラティックであるのか、というのは法的な話ではなく、哲学というか道徳的な話になる。私は「床屋法哲学」のネタとしてこの話をするので(だって実務的には自分が投票すりゃいいんだし、そうしてる)、空理空論度が高いのはあらかじめお断りしておく。
というか空理空論として論じるほうが、棄権とか事前予測の話って面白いんだよ。
白票は「すくなくとも理論上、棄権よりは」意味がある/その理由
今回、白票論に一方から火をつけたのは未来なんちゃらの組織を批判的に報じた
上のBuzzap!記事だった。こういうのを見つけて記事にしたのはおみごとだ。
ただ自分は当時、こうコメントした。
gryphonjapan @gryphonjapan
@BUZZAP_JP さんの http://buzzap.jp/news/20141127-irai-senkyo/ の記事は面白いし、実際に自分は全選挙に棄権したことも白票を投じたこともない。ただあえていうならあの記事、http://buzzap.jp/news/20121209-ock-the-vote/ の記事の立論(前提)と微妙に矛盾してるんだよね(笑)
http://buzzap.jp/news/20121209-rock-the-vote/
矛盾してる記事とはどういうものか。
「若者が選挙に行かない」とずっと言われてきましたが、それが実際にどれだけヤバいのか、極めてシンプルなデータから検証してみました。
不安定な雇用や先の見えない年金など、若年層を囲む現状は決して良いものではなく、かつて一般的なライフスタイルとされた「学校を出て就職・結婚し、家庭を築いて子どもを育てる」ということすらままならなくなりつつある今、積極的に声をあげる必要があるのではないでしょうか。
(配信先での記事など、各種関連リンクを参照できない方向け:オリジナルの記事はこちらです)
まず、こちらは総務省統計局が11月20日に発表した「人口推計」をベースにした、有権者の割合を世代別で示した最新のグラフです。20〜29歳の割合は少子化の影響もあり、わずか13%に留まっています。30〜39歳を加えたとしてもいわゆる「若者」と呼べる世代の割合は30%を下回っているのが現状です。
この時点で既に投票者全体の中ではマイノリティと言っていい程の少なさですが、これに投票率をかけるともっと大変なことになります。20〜29歳の投票率は全ての年代の中で最低で、選挙への関心が高かったとされる2009年の民主党が大勝した第45回衆議院総選挙でさえ49.45%と5割を下回っています。……
政治家というのは当然のことながら自分を支持し、投票してくれる層を重視します。よって、ただでさえ少ない若者が選挙に行かなければ、政治家にとっての若者の重要度はより一層低下し、その世代への利益の保証は後回しになります。
ふむふむ、なるほど、世代別の投票率はそんなふうな数字になっているのか…。で、聞くとする。「そのうち無効票、白票は何%なんですか?」
といったら答えを予想するに、たぶんこうだろう。
「いやいや、世代ごとの投票率は投票管理上補足できるし、発表されます。だけどそのうちの何票が白票だ、無効だとか、A党に投票した、B党に投票した…なんてわかるわけないじゃないですか。分かったらそっちのほうが問題ですよ!!」
そのとおり。正解。
そしてそれに対して、こうつなげる。
「なるほど、A党、B党に投票したとか、白票とかに関係なく、たとえば世代(あるいは地域)の投票率が高まるだけで政治家はそれに影響を受ける、プレッシャーを感じる、というご趣旨なんですね。なら、未来なんちゃらの結論とだいたい同じじゃないですか」
むろん「支持政党に投票したほうが『白票よりいい』」「支持政党がなくても比較に比較を重ねて、より拒否が少ないほうに投票したほうが『白票よりいい』」という比較論でいうならその立論は簡単だと思うし、実際にそれに自分も組みしている。
ただ少なくともBUZZAPさんは、「白票に意味が『無い(ゼロである)』」とは過去記事との整合性を重んじたら書けまい(笑)
それに対してBUZZAPの方はなんと答えるか。
どこかで答えがあったら、あとで紹介したい。
もう一回ならべておくので、上の文章が分かりにくいという方はよく比較して読んでほしい。
http://buzzap.jp/news/20141127-mirai-senkyo/
http://buzzap.jp/news/20121209-rock-the-vote/
この「白票」を「投票率は補足できるから、そこが高まるだけでプレッシャーになる」という視点から意義を説くのは、自分のオリジナルではない。たしか数年前、はてな内の…はてな匿名だったか? その文章で論じられ、はーなるほどそういう視点もあるか、と思った、というのが源流だ。その文章は端的で分かりやすかったのだが、だれか覚えていたら教えてください。
今似たような議論…少なくとも白票は投票率にはカウントされるから、それがプレッシャーになる、という議論を検索したら
■白票には意味がある
http://passions.hatenablog.com/entry/2012/12/05/032054
■白票の是非についてのまとめ - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/34764 @togetter_jpさんから
なども見つかった。参考までに。
あとこれ重要な論点。「白票、棄権者は政治に文句をいえない」?じゃあ「落選候補に投票した人」は…?当選候補への投票者も
「白票や棄権は全面的な白紙委任と同様。以後、当選したやつが何を言おうと文句をいうなよ」という議論をそれなりに目にします。
うむ、なるほどそうかもしれない。
だが、じゃあ当選候補に投票した人はどうか。落選候補に投票した人はどうか。その人たちが首班指名に参加した国会で、だれが首相になるかは結論に関係ないのでどうでもいい。
実をいうとだ、民主主義体制においては、落選した人に投票しようが何しようが、結果的に当選者は「われらの代表者」になる…と考えるのが理想の姿じゃないかい(笑)。
理想の民主主義者はこうふるまうのである。
ヤン・ウィンリーさん(仮名)とでもしておこうか。
ヤン・ウィンリーさん(仮名)は国民、市民の権利としてこれまで一回も棄権したことがない。
いつも熟慮に熟慮を重ねて、最善の候補、政党と思ったところに一票を投じる。最善がいない場合は次善、次々善…を必死で選んで投票している。
ところがその選挙区、ヤンさんが考えに考えて最善だと信じ一票を託したジャスカ・エドワーズさん(仮名)は毎回敗れ、ヤンさんが最悪だと考え顔も見たくない悪徳政治家・ヨビ・トリャーニヒトさん(仮名)が当選する。
さて、そこで理想の民主主義者であるところのヤンさんはこう、心から考えたのだった。
『ああ、民意はヨビ氏を選んだのか。私の考えとは違うが、自分がそのシステムを認めて参加した選挙の投票という仕組みの中で多数をとったのは彼だ。だから彼も”わたしの代表”なのだ。当選を祝福し、彼と彼らの応援者にはおめでとうといいたい。そしてこれからの活躍を心からお祈り申し上げたい。もちろん個別に政策や思想が違えば批判はするが、それでも彼が”わたしの代表”であることには変わらない』
これだよ、これが理想の民主主義者なんだよ。
わたしたちも及ばずながら、有権者として、その理想にむかって日々精進すべし。
そして上のヤン氏(仮名)の独白は、彼が「棄権者(白票投票者)」であっても「ヨブ氏への投票者」であっても原理的には変わらないんでないかい??
だから橋下徹氏は大阪市長選挙で、投票率が高まることを期待したし、野党候補が出るのも歓迎した。
もちろん負けては元も子もないが、勝てば正統性が得られるからだ。
面白い、いい記事なのに批判が多くて恐縮だが
http://buzzap.jp/news/20141127-mirai-senkyo/
例えば今年3月に行われた大阪市長選挙では投票総数の1割を超え、2位候補の得票数の2倍近い45098票もの白票が投じられました。しかし再当選した橋下徹氏は「白票が多かったのは、メディアの責任だ。皆さんも反省してほしい」と述べて自らの責任とは考えておらず、政策にも大きな変更はありません。
これ、完全に大阪市長を交代させることが可能だったのならともかく、仮に白票が野党票だったとしても橋下徹氏は同じようにいったんとちゃうのん(笑)??
もし選挙(およびその結論としての開票結果)に文句があるなら当初からその選挙の正統性を認めず完全ボイコットするしかない。白票も含めた参加自体が正統性を認めることだ、というのはウクライナ、アフガン、カンボジア…などなど内戦の中でよくゲリラが使う論理ですな。ただし、その場合はだいたい武装闘争とセットだけど。
あとひとつ 棄権率の高さと「有利な政党」について
棄権で有利になる政党はどこか。
自民党や公明党だろう…と言われていてそのとおりなのだが、自分が読んだ石川真澄氏の本では「共産党」もそうだったんだよな。川の水が多いと沈没してしまう(埋もれてしまうが)、少ないと頭を出すのになぞらえ「棒杭政党」という表現をしていて印象に残っている。というかその棒杭政党には自民党は入ってなかった。
たしかに雨が降ろうが槍が降ろうが、革命および広宣流布のために投票所にいく、というのはその2党の印象だ。
「棄権は与党と共産党を利するだけ!!」というほうが正確なのか?
…だが書かれたのはたぶん80年代後半だったからな。そこから組織も変わり、高齢化もあり(共産党は公明党と比較して「代の継承」により多く失敗したのは確実だろう)、そして共産党は「反自民の受け皿」としての浮動票、橋下徹いうところの「ふわっとした民意」に頼るようになっているのかもしれない。
共産党がいまなお棒杭政党なのか、それとも投票率との相関がある浮動票を取り込む系の政党になっているのかは誰か調べてくれ。
白票は「候補者は認めないが、選挙という国家システムの正統性は認める」という証になるかも?
下にリンクを張っているが、自分の論考に影響を与えている浅羽通明氏は「デモクラシー教の儀礼への参加」と見立てている。
デモクラシー教の根本儀礼・・・・(キリスト教の洗礼や聖体拝領)同様に宗教的な儀礼・・・・・それは国民ひとりひとりが、かけがえのない国政の主人として平等に選ばれているという教義ですね。そして選挙とは、この教義がお題目や建前でなくて本当なんだと皆が身体で実感する疑似体験というわけです。
- 作者: 浅羽通明
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 1995/07
- メディア: 単行本
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (16件) を見る
思考実験〜白票、棄権に現行制度では今、権限(意味)がない。では権限があったら?
というのを、東氏は書いている
http://togetter.com/li/752074
東浩紀 hiroki azuma @hazuma 2014-11-29 02:27:22
選挙については、そもそも、全候補に不信任という選択肢を作り、それが1位ならやりなおしとかにすればいいと思う。
東浩紀 hiroki azuma @hazuma 2014-11-29 02:30:40
とか思いつきで書いたけど、それってどこでも実践されてないのかな。全候補に不信任という選択肢を作り、それがトップなら選挙やりなおし。そのときの候補者は2度目には出馬できない。2度目も不信任がトップなら、その選挙区はそもそも次の選挙まで議員いなくなるとかどうだ?
これは制度の思考実験としては面白い。私は安売りしがちなことばだが(笑)「SF的発想」も感じられる。
今の制度を前提にいた上で「白紙・棄権は白紙委任だ!与党を利するだけだ!」という人は、それはそれで正しいが、もし上のような制度を白紙投票や棄権に適用し、少し改良して「白票、棄権が○○%以上の選挙区からは当選者を出さない」という制度だったら。
そして自分の選挙区に銭銭欲次郎、と極悪魔太郎しか立候補してない、というとき。
このときも「少しでも悪くない候補者に投票するべきだ」となりますかね?
まあ、これは架空の設定である。
しかし、だけど、、もう少しこの話がリアルに感じられる想定がある。
安倍政権がもしこの選挙にも勝利したら、「改憲」が政治日程に上ることもあろう。
一、低投票率により憲法改正の正当性に疑義が生じないよう、憲法審査会において本法施行までに最低投票率制度の意義・是非について検討を加えること。
ですね。
んで、架空の話。SFショートショート。心にマイケル・サンデル。
すったもんだの末、改憲が有効になる投票率は「50%」になったとしよう。
んで改憲案が国会の2/3の多数によって決議されたと。で、情勢的に…賛成が35%、反対が28%、ほかは「興味がない、わからない」だったとしましょう。これも選挙情勢的には、投票率が55%−60%ではないか、という正確な予測が出ていたとする。
この時、憲法改正反対派は二つの意見に分かれた。
「そのまま争うと改憲派のほうが多いが、棄権者と自分たちの『改憲反対ボイコット』をあわせれば、有効投票率を割り込ませることはできる!!ならば棄権だ!」
とすべきか
「いや、棄権はダメよ〜ダメダメ。倫理的に棄権は許されません。勝負は時の運、兵家の常。負けようが堂々と反対票を投じるのが、民主主義者の誇り!!」
さて、あなたがもし改正反対派だったら、どっちのほうが「民主主義者の倫理」としては正しいだろう??
まあ、憲法を仮定したSF話を書くまでも無く、既に吉野川の住民投票でこの実例はあるんだけど。
http://www.local.co.jp/news-drift/highlight99-4.html
このときは「ボイコットはけしからん」的な論調が多かったという印象はある。
東浩紀氏、再度この問題に言及
まとめました
【続編】「白票」騒動後の、東浩紀氏の再論考 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/754279 @togetter_jpさんから
過去の関連記事です。
■「選挙に行く・行かない」の是非に関する、原理的な議論
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090902/p5
※このエントリは他ブログ「正・続 選挙にはいかない」
http://d.hatena.ne.jp/takuya/20090825/1251227230
http://d.hatena.ne.jp/takuya/20090826/1251308604
それへのブックマーク
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/takuya/20090825/1251227230
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/takuya/20090826/1251308604を読んで展開したもの。
キケン(棄権)な話。〜総選挙を前に、浅羽通明「思想家志願」から
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20121213/p3
- 作者: 浅羽通明
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 1995/07
- メディア: 単行本
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (16件) を見る
ロフトの席亭、今選挙も「棄権宣言」
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20121214/p4
23日の浅羽通明講演会で、たぶん「棄権・白票」の再論があると思う
上の「思想家志願」で語られているから、自分はリクエストはしてなかったけど、ほかの人がリクエストしてたんで。
************************
・日時:12月23日(火・祝) 14時開場・14時半開始・17時45分終了
・場所:KKベストセラーズ本社ビル2階第一会議室
2000円だったかな質問7 白票について
東浩紀さんが白票を表明してカウンター運動に失望した流れ
12月2日の今日、総選挙の公示がなされましたが、東浩紀氏が「ま、いろいろ考えたけど、今回の総選挙は投票所に行って白票ですかね」とツイッターでつぶやき物議をかもしています。正直、東氏の言論はとるにたらないものと認識しておりますが、白票の効果は完全に無視できるものではないのでは、とも思っております。例えば、14年の大阪市長選挙で橋下徹氏が圧勝しましたが、白票を含む無効票が約6万7000票にまで上り全体の約13%に達しました。無論、白票は選挙自体にはなんら影響はありませんでしたが、大阪での橋下効果も陰りが見えたような印象を持たせました。このように白票も全く意味のないものとは思えませんが、浅羽先生はどうお考えですか?
最後に日本国憲法15条(4項後半部)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html
選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。