巽 孝之が書いてるのか
日本の小説が世界で爆売れし、英米の文学賞を席巻...「文学界の異変」が起きた本当の理由
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2025年9月23日(火)12時00分
巽 孝之(慶應義塾大学文学部名誉教授、慶應義塾ニューヨーク学院長)
<「クールジャパン」を超えて世界的人気と評価を勝ち取る日本文学。その背景にある文学市場と英訳者の知られざる変化とは?>
……素顔のパールは、あの残虐極まる小説の作者とは思われないほど、元気いっぱいでさわやかな青年だった。ハーバード・スクエアのカフェで2時間ほど話し込んだが、話題が現代日本文学のことになると、彼が挙げたのはただ1人。「桐野夏生が最高だよ。『OUT』にはブッ飛んだ」
1980年代末から英訳が相次ぎノーベル文学賞候補にもなっていた村上春樹については、読んでもいないという。新世代の日本作家がいるように、新世代の日本文学読者が生まれていることを実感したゼロ年代末であった。
なるほど私は既に04年の時点で、『OUT』(原著97年)のスティーブン・スナイダーによる英訳が、アメリカ探偵作家クラブが贈る北米ミステリー界最大の文学賞エドガー賞の長編賞最終候補になったことについて、新聞取材に応じている。この時の受賞作はイギリス作家イアン・ランキンの『甦る男』(02年)で、桐野作品は惜しくも受賞を逃した。
www.newsweekjapan.jp
その前のこれ
今年8月、この作品のルイーズ・ヒール・河合による英訳が、ペンギン・ブックスから刊行された。作者の松本清張は日本で抜群の人気を誇る作家で、著作は450以上にのぼり、無数のテレビドラマや映画を生み出す源泉となっている。
その彼を、同社は大胆にも英国に紹介したわけだが、これはうまくいっているようだ。ひょっとするとそれは、陽気な司祭や好奇心旺盛な年金生活者を主役にした「心地よい」英国の推理小説に対する解毒剤なのかもしれない。
2022年に出版された『点と線』の英訳は10万部を売り上げ、続いて刊行された英語版『砂の器』と『疑惑』も批評家から絶賛されている。推理小説家のリー・チャイルドは『砂の器』を、「間違いなく傑作中の傑作、まったく新しい未知の世界」だとしている。
courrier.jp
英国でここ数年、日本の文学、ミステリー小説が人気博し「おっ、この分野ならちょっと見てみるか」となったんでしょう。韓流・中華ドラマと同様、まず一旦その「一度目を止める」ブランド、信頼の地位を得るのが重要
https://b.hatena.ne.jp/entry/4776400842690940673/comment/gryphon
これはゴジラマイナスワンのヒットも、「鬼滅の刃」の大人気もしかりで。
別の言葉でいえば、「0を1にするのが最も難しい、それを突破すれば1を1000にするのも、それよりは容易だ」ってことだと思うんです。
日本小説の海外人気はその「1」が100とか200になる状況なのでしょう。
そしてたとえばK-popや韓流ドラマも中国の美少女ゲームやキャラクターグッズも、すでに日本では、いや世界中で十何年も前から「0⇒1」の段階は既に突破している。この後も、成長と定着は続くでしょう。
そして次の0⇒1はどこからでしょうか。それを目ざとく見つけて、後押ししたいもの。
で、再度以下の記事をの説。
【再論】SHOGUN人気は「SAMURAIは知ってる」という「大前提」を培った、先人の成果でもある
【AFP=時事】第82回ゴールデングローブ賞の授賞式が5日、米ロサンゼルスで開催され、17世紀の日本が舞台のドラマシリーズ「SHOGUN 将軍」が、テレビ部門で4冠の快挙を遂げた。
【写真】授賞式で笑顔を見せるアンナ・サワイら『SHOGUN 将軍』のキャスト
「SHOGUN 将軍」はテレビ部門で作品賞に加え、真田広之さんが主演男優賞、アンナ・サワイさんが主演女優賞、浅野忠信さんが助演男優賞と主要4部門での受賞となった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/64759f5e4a8495542a31373b6979952412097b84news.yahoo.co.jp
ゴールデングローブ4冠で過去記事も読まれてるんで、簡略化のため一部を省略して再投稿しよう
※前半略。興味ある人はリンク先へどうぞ
「SHOGUN」大ヒットで最初に感じた感想ってのは俺の場合ね……これは「ゴースト・オブ・ツシマ」「ニンジャタートルズ」「アサシンクリード(&弥助)」「るろうに剣心」「鬼滅の刃」…もろもろのヒットのたびに思ってるんだが…「日本スゴイ」の逆、大前提としての「日本スゴクナイ」が念頭にあるタイプなんです、わたくしというかわたくし以前の世代というか
そもそも、日本のような小さな島国の古い歴史に、世界のほとんどの国が興味をもつ『筈がない』。【それなのに】16、17世紀の日本の歴史を下敷きにしたドラマが世界で大ヒットしたり、サムライ、カタナ、ニンジャ、ゼン、ジュードー、カラテなどが世界の共通ワードになっていること自体がなんとも不自然だなあ…
こういう大前提の自己認識があって、
【それでも】SHOGUNやゴーストオブツシマ、アサシンクリードといった作品の人気を見ると、あれっと思う訳。…そういう人いない?
ただ、これに関しては、自分で答えを4年前に用意している(笑)。
これは再度読んでいただいたほうがいいので、一番重要なところを装飾で強調しつつ再掲載する。
日本への「元寇」をモデルにしたゲームがPS4で作られ、話題を呼んでいる。元寇そのものについての話や、剣術や、時代考証や、「文化盗用」についてまで…
(略)
それはそれとして…今回のその話題で強く思ったのは「そもそもアメリカのゲーム会社に『モンゴルvsサムライをテーマにゲーム作ったら面白いんじゃね?』と思わせる基盤があったのは有難いことである」というものだった。
こういうのを強く思ったのは、そもそも「ウィザードリー」だったんだけど、実はパロディ、おふざけ的な意味合いもあったらしいウィザードリー(当時は知らなかった)に、まずプレイヤーの属性的にそのまんまサムライやニンジャがあり(たしか戦士や盗賊の上位互換だったよね?)、また敵の怪物に「ドラゴン」とは別の、オリエンタルな「ロン(龍)」がいたりした。
なんでそうなったかといえば、近代的なメディアやエンタメの中心が西洋だった近代初頭、新渡戸稲造の「武士道」から嘉納治五郎の「講道館」まで、非西洋文明の中では比較的早く、あちら(西洋)のルールに入り込んで知名度を高めることができたこと、戦後に映画やテレビドラマが発展した時も、クロサワやザトーイチ、そしてサニー千葉が知名度を高めたことがあるだろう。
この時代には「眠れる超大国」である清、チャイナも相当なもので、チャーリー・チャンやフー・マンチューらが活劇で活躍したりもし、「東洋の神秘的なアレコレ」を中国人が体現していたので、そういうご都合主義的な魔術で解決したり犯罪を実行させたりするなよ!!との意味で「推理小説に中国人を出してはならない」とノックスが言ったりした。
このへんの時代、そういう情報に地域や国ごとの濃淡があるのは、ある種已むをえないことといえる。中国人は拳法とかそういう部分で「漫画的に映える文化」あるから登場する確率多いんですよね。アメリカ人やフランス人も同様。
— もへもへ (@gerogeroR) 2020年7月2日
すごい残酷なこと言うと韓国は漫画というかエンタメ的に受けそうな「わかりやすいネタ」がない。 https://t.co/k3OUC8SFZHドイツ人なんて日本のエンタメでは「ナチ絡み」じゃないとなかなか出れなかったからなwwwwとくに70-80年代。
— もへもへ (@gerogeroR) 2020年7月2日
だが、それは「グローバリズム」のおかげで、相当に解消されてきている。
いまだにエンタメやメディアの中心が英語圏的なものであるのはやや残念ではあるが、ここでのギミック、設定…想像力に、非西欧圏のあれこれが加わっていくのは慶賀の至りだ。ブルース・リーやジェット・リーもそうだし、チュモンやチャングムや、例の「愛の不時着」もそうだろう。
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(中略)
ちょいと興味があるのは、
外国人がありがたいことに、逆にjapanの「サムライ」「チャンバラ」「ニンジャ」を愛してくださるじゃないですか。でも、ノブナガ、ヒデヨシ、イエヤス、シンゲン、ケンシン・・・などのイメージや意味、あるいは「センゴクジダイ」をどの程度把握してくだすっているのか、とか、幕末の「ローシ」「シンセングミ」、あるいは「イシンレボリューション」をどう把握してるのか…そんな知名度やイメージが、なかなか計りづらい。こっちも測りづらいんだから、あっちも計測しがたいでしょう。
m-dojo.hatenadiary.com(略)
長々と書いてしまったが、もう一回我と我が身を振り返ればいい。タイにも、日本の明治維新やリンカーンの奴隷解放令に負けないぐらいに、国家をドラマチックに改革し、民衆の生活を向上させた「坂の上の雲」な物語がある。
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中東にも、源平合戦に負けないぐらいに、ふたつの一族が、その存亡をかけた大戦争を行った叙事詩(ウマイヤ王朝からアッバース王朝への交代)がある。
m-dojo.hatenadiary.comアッバース革命
英雄王二人が、武田信玄と上杉謙信のごとく、お互いに認め合いつつ対峙した攻防がある(マンスールとアブド・アッラフマーン)
m-dojo.hatenadiary.comマンスールとアッラフマーン しかし、これらの話も詳しく調べれば血沸き肉躍る物語だろう。だが、それに材を取った物語は無いとは言わないが、残念ながら世界に広く知られ、見られ読まれているとはいいがたい。特に英語圏、いわゆる「欧米圏」では……たとえば「ハリウッドの企画」に挙がるまで、実際にハリウッドで映像化される前の段階で、力尽きてるんじゃないかいな?
(SHOGUNと、問題点も含めて色々似てる部分もある、タイがモデルとなった「王様と私」についてもいろいろ考えがいはあるが省略)。
そういう点では、やはりSHOGUNがヒットする大前提として、カナタを手に下げて、エキゾチックなヨロイカブトに身を固めたウォリアーがチャンチャンバラバラとファイトするコンテンツを「おっ、ジャパンヒストリーのアレか、面白そうだ、見てみっかな」と、世界中の人にまず第一印象で思わせる、おやっと目を引くようにさせたことが「キセキの時代」であり、極めてまれな僥倖だったと思う。
この部分で「いや、俺は世界各地の古い歴史を、たとえば平均的なアメリカ人の『サムライ』レベルで知ってる。それぐらいは基礎的教養だよ」と言える人がいたらすごいが。
ともあれ、まず大前提としてうっすらとサムライニンジャカラテのイメージが世界中にある、というのがすごいことでさ。
そこにはカノージゴローもマダム・サダヤッコも、ニトベイナゾーの「BUSHIDO」も、戦前から作られた時代劇映画のフィルムも、黒澤明の映画も座頭市も、サニー・チバ、ショー・コスギも、マス大山も、ミフネトシローも……そういう蓄積と継続があって、初めてまず最初に「まあ、ちょっとは見てやろうか」的な印象を相手に抱かせることができたんだ、と思うのよ。
漫才漫画「べしゃり暮らし」の中に端的な、そういう場面がある。
べしゃり暮らし 面白いというイメージを最初に持ってくれてるか 4巻 べしゃり暮らし 面白いというイメージを持ってくれてるか 4巻
「あかね噺」でも、同様の話があった。あかね噺 会場をホームに あかね噺 会場をホームに
ここでいう「いつの間にか身にまとった空気」「顔と名前を憶えてもらっている」「会場をホームに」という段階に、「ジャパンの”時代劇”(サムライ・ストーリー)」は、よくも悪くも世界のエンタメ史上の中で達していたんだろうと思う。
それは偉大な先人に感謝し、それを発展させた真田広之にあらためて感謝、という話にもなる。
そしてまた、それを受け入れた側の凄さでもある……とは、上の過去記事にも書いた通り。
そして、1990年代以降、まさに韓流ドラマ、華流ドラマが「そういう空気」を身に纏うことに成功してるではないか。
いろんな国で、チュモン、チャングム、冬ソナ、そしてパラサイトやイカゲームによって「ふーん、よく知らないけど、コリアのドラマなら、とりあえず一話は見てみるか?」という層が恐らく世界中にできている。
「韓国時代劇」の鎧や武器などのビジュアルイメージや基本設定も浸透しているだろう。すでに韓流ドラマファンの朝鮮史の知識は、半端な世界史オタクのおれなどでは、とてもかなうものではない。タンザニアを旅行するバックパッカーが、同国の映像関係者と知り合って話すには…
タンザニアではインド映画、アメリカ映画、韓国映画 (海外縁に任せて歩くだけ)
(略)
そういう大前提を、あらためて思ったエミー賞でした。
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