本日はタイでは奴隷解放の日なのですが「奴隷は君主制がなければ生まれない!!奴隷は君主制の産物!」というような言説を見かけました。
— シンベエ@タイ貴族愛好家 (@OnionKnightTH) April 1, 2024
いやぁ、アメリカ合衆国に君主制があっただなんて知りませんでした。
奴隷解放は王室が勝手に言ってるものとかじゃなくて当時としても海外に認められた実績なわけですが、これはラーマ五世が15歳で即位してからおよそ37年かけて地道な内部改革と中央集権で成し遂げた結果なんですね。
— シンベエ@タイ貴族愛好家 (@OnionKnightTH) 2024年4月1日
一番すごいのはやはり内戦が起きなかったことですねー。どれだけの根回しをしたのか。 https://t.co/WL7wL4t2zO
ラーマ5世(21)「アンクル・トムいいなぁ、奴隷解放したいなぁ...でも普通にやると○し合いになるからなぁ...そうだ!」→
— シンベエ@タイ貴族愛好家 (@OnionKnightTH) April 4, 2024
『朕が即位せし2411年より後に生まれし全ての奴隷身分の子らは、毎年その身価を定められた額減額し、21歳にその身価がそこを尽きた時、その子らは自由市民となる。」
↑天才
そこから数回この法律を地道に改定して範囲を拡大したからこそ最終版「奴隷解放宣言」が受け入れられたんですね。
— シンベエ@タイ貴族愛好家 (@OnionKnightTH) 2024年4月4日
ちなみにアンクル・トムのくだりは有名な俗説ですが、動機づけとしてわかりやすいので入れました。
ラーマ5世(21)「アンクル・トムいいなぁ、奴隷解放したいなぁ...でも普通にやると○し合いになるからなぁ...そうだ!」→
— シンベエ@タイ貴族愛好家 (@OnionKnightTH) 2024年4月4日
『朕が即位せし2411年より後に生まれし全ての奴隷身分の子らは、毎年その身価を定められた額減額し、21歳にその身価がそこを尽きた時、その子らは自由市民となる。」
↑天才
ラタナコーシン124年版サイアム王国奴隷法
— シンベエ@タイ貴族愛好家 (@OnionKnightTH) April 4, 2024
第4条
『これより先自由市民が奴隷になること、自由になった奴隷が再び奴隷になること、これらを固く禁ず』
↑ここ大好き https://t.co/SqRpP4WIvK
ま、これは余計な感想。(でもタイトルにうたっちゃった)
「タイに、リアル・アルスラーン解放王あり」と呼ぼう(老害的連想)https://t.co/Iam6FjmsSi
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2024年4月4日
実際の所、アルスラーンの「解放王」の称号に対して、ラーマ五世は「歓喜大王」の二つ名を持っているとか。
しかし、自分の無知か不勉強ゆえかわからんが、学校の世界史でラーマ五世を習った記憶が無いんだよな。
教科書に載っていいし、多分載ってるんだと思うのだけど、たとえばこの前紹介した「学習マンガ世界の歴史」的なところに、リンカーンとはいわんが、英明の名君として、たとえば李氏朝鮮の世宗大王とか、国家の近代化に尽力したとしてケマル・アタチュルクぐらいの扱い、数ページにわたっての事績紹介はあっていい気がするのです。そういう作品無いかな?
下の資料を読むと、じつのところ「王様と私」のモデル、という側面からの知名度が一番高そうではあるのだ。
だが、結局この作品はそのラーマ国王の業績を西洋人の家庭教師に帰している(現実にもそれは違うらしい)として評価がタイでは大層悪く、というか上映・上演すらされないとか。
ja.wikipedia.org
奴隷・人民解放
タイにはタートと呼ばれる一種の奴隷がいた。これは、厳密には奴隷ではなく、契約によって一時的に身体の自由を奪うことを承諾したものであり、売り買いが許されていた。これは当時のブンナーク家を中心とする王侯貴族の主要な財産であった。ラーマ5世は人道的意義を理由にこれらの奴隷を解放し平民に加えた。また地方では入れ墨と戸籍により知事の監督と労役の下に縛り付けていた、プライと呼ばれる人民を解放した。結果的に、欧米での評価が上がり、もはや「野蛮な国」ではなくなった。これは後にスムーズな不平等条約改正を助けた一要因でもある。この業績により、タイではラーマ5世を慕うものが未だに多い。この業績によりラーマ5世はナリッサラーヌワティウォン親王から歓喜大王の称号を得た。ちなみに、欧米では創作である『アンナと王様』の記述に基づいて、当時王宮の御雇い教師だったアンナが少年時代のチュラーロンコーンに『アンクル・トムの小屋』を読ませ、奴隷解放を促したという説が信じられているが俗説である。
(略)
結果的には、チャクリー改革はほぼ成功したといえる。ブンナーク家の支配を離脱し、完全な王権政治を樹立した。また、インドシナ諸国が次々と侵略される中、近代化を成し遂げ、欧米の勢力を進入させなかったことは大きな進歩であるといえる。ラーマ5世が明治天皇と同時代の君主で、明治天皇と同じく近代化を成し遂げた点から、日本の明治維新とも対比される。