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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「カリフの黒き旗のもとに!」8世紀の「アッバース朝vsウマイヤ朝」は戦国、源平のようで面白い(ムロタニ・ツネ象漫画より)

序章1 現在の「イスラム国」(IS)について

イスラーム国(IS)は、現在も中東の現実政治における大きな不安定要因であると同時に、その性質を廻っての議論も盛んである。togetterで最近目に付いたのは

異教徒は殲滅すべきであるとするISIS支持のイスラーム学者 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/709958


イスラーム国(IS)は、ウエストファリア体制(主権国家の共存)を破壊するか? - Togetterまとめ http://togetter.com/li/710839

後者は小生のまとめです。

どこの国、地域にもある「特に面白い時代」…イスラム圏のそれは「アッバスvsウマイヤ」では?

さて、今回のテーマはそこではありません。
かの"国"が掲げる旗は、黒い旗。

http://www.worldflags.jp/blog/12559/

この勢力の旗には多少デザインの異なるものがあるが、上部に黒字に白でアラニア語で「ライルウッラー・ムハンマドゥルラシルウッラー(アッラーのほかに神はなくムハンマドアッラー預言者なり)、下部の白い円の中には、「アッラー預言者ムハンマド」(外務省中東2課イラク担当官)、「アッラ−は偉大なり、イスラム法を支え守る、ムハンマド」(東京財団佐々木良昭上級研究員)などと書いてあるようだ

【10月追記】川内恵氏がISの黒旗を解説する記事がUPされた。
必読。
イスラーム国」の黒旗の由来
http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-203.html


んで、それが由来だという正式な説明を読んだことはないんだけど…近代的にはアナキズムなどを象徴する「黒い旗」は、イスラム圏においては「アッバース朝」をどうしても連想する。
アッバース朝」、その前の王朝「ウマイヤ朝」うんぬんは、高校で世界史を専攻していた人にはかすかに記憶のある名前ではないかしら。逆に言うと、高校で世界史をとってない人ぐらいだとまったく馴染みもない話ではあろう。


ところが、彼らの興亡にまつわる話題をたどっていくと…ISの騒動がある中では不謹慎に聞こえるかもしれないが、純粋にこのへんの歴史が「面白い」んですよ。
波乱万丈、
ドラマチック、
キャラが立ってる!


「歴史のおもしろさ」をランキング付けするのも不毛だし、客観的な基準はない…のはもちろん承知だが、それでも事実として日本人は日本史として「戦国時代」や「源平合戦」「幕末維新」時代を、他の時代以上に「面白い」と思って愛好しているだろう。
夜郎自大かもしれないが、世界の歴史の中でも屈指の面白さじゃないかい、という自負もあり、確かに海外にも「SAMURAI、SHOGUN」の時代の愛好家というのはいるみたいでしょ。


そして日本人だって「三国志」を愛好している。フランス革命やナポレオン戦史の愛好家もいるだろう。
しかし、ご当地グルメのように各地域にそれぞれ「特にこの時代は面白いぜー」な時代があると思うんですよ。いいかげんなくくりだが、ISの黒旗の起源になった…?かもしれない、アッバス朝とウマイヤ朝の興亡史は、日本の戦国時代、中国の三国志時代的に、とくに面白い時代ではないか、と思うのであります。


ムロタニ・ツネ象版「世界の歴史」は、なんかすごいのだよ。ほかと違うのだよ。

自分がそう思ったきっかけは、1990年代に描かれた学研まんが版「世界の歴史」(ムロタニ・ツネ象)に由来する。

イスラム帝国と預言者マホメット (学研まんが 世界の歴史)

イスラム帝国と預言者マホメット (学研まんが 世界の歴史)

集英社が文庫化した「世界の歴史」がすごい件。(学研も) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100331/p4

以前書いた上の記事では「集英社版」と「学研版」の画像が混在していて分かりにくく、申し訳ないが、集英社版は文庫になって読みやすい、入手しやすい…と同時に、漫画としては近代的な描写や演出が多い。
と同時に「教科書的な知識や出来事」を過不足なく追っている部分が大きい。

だが、ムロタニ氏は、無理くり説明的なセリフで「必須項目」も一通り記述するものの、そこから離れた印象的な小ネタとか、伝説的な挿話とか、人物ゴシップなどを盛り込むのがすごく好きらしい(笑)。というか、そーでないと「ウマイヤ・アッバース王朝興亡史」なんてさらっと流すべき話で「悲劇の革命家アブー・バクル」や「死の宴」や「偉大なるマンスール」「暁の矢」「クライシュの鷹」とか紹介しない。

では、そんな物語を駆け足で紹介しよう……。
言うとくけど、かなり解説はおおざっぱにやるよ!!


(1)驕れるウマイヤ王朝

ウマイヤ王朝とは…まあざっくりいうと、預言者ムハンマド(彼の魂に平安あれ!)から4代続いた「正統カリフ」から、とある有力一族であったウマイヤ家がカリフの地位を強奪。そしてそれを世襲化したと。これを「彼らもカリフであったのは事実」とする側と、「最後のカリフ、アリーの系譜こそが正統」とするのがスンニとシーアの違い、となる。
ともあれ、ウマイヤ王朝は栄えた。
しばしば忘れられがちだが、ムハンマドから続くイスラムの宗教としての拡大は国家としての進撃でもあり、ムハンマドやその後継カリフはアレクサンダーやナポレオン、ジンギスカンのような軍事指導者としても(善悪を)評価されるべきなのだ。



(2)革命の狼煙

ところが、ウマイヤ王朝は「マワーリー」問題という大きな難題を抱えていた。イスラムの教えは「全ての信者は平等」だったが「アラブ国家」でもあったウマイヤ王朝は、アラブ騎士…当初からのムスリムと、マワーリー(新改宗者)の間に、税金などの差別待遇を維持していた。
その不満が大きくなっていたときを捉えて、ウマイヤに負けない名門アッバースが、反乱を計画する…巧妙なのが、上記シーア派との協力関係を作ったことだ。どうも「ふさわしき人をカリフに!」という曖昧なスローガンによって、悪く言えばシーア派を「だまし」て、同盟を結んだらしい。これは吉法師をかついで織田の連枝衆を攻めた豊臣秀吉のようなアレか…。


(3)謎と悲劇の革命家アブー・ムスリム


奴隷出身とも言われるアブー・ムスリムは未だに出自などがなぞで、当人も聞かれたときに「私の系図より、私の行動のほうが重要だ」と言葉をにごしていたそうだ。
面白いことに、まだ日本では奈良時代だというのに、アブーのやったことは「地下運動の組織化」「潜入オルグ工作員」とでもいうしかないものだったようだ。人間のやることは同じとはいえ「三国志の時代に日本は卑弥呼」的格差も感じるな。
シーア派、マワーリー、あるいは異教のマズダク教などとも連携し、747年6月、アブーは黒い旗を掲げ蜂起!!瞬く間に勢力を拡大。

アッバースは「黒い旗」、ウマイヤは「白い旗」という、非常にビジュアルというか象徴的なシンボルカラーの対象があるんですって。あちらの運動会も黒白で分かれるのかな(笑)…ちなみに「預言者の色は緑」となっているところも多いのだが、古いアラブ社会では濃い緑と黒の区別をあまりしなかったそうだ。イラク平野は緑の多さから「サワード(黒い土地)」とも呼ばれる。
ISはスンニ派だから、このアッバス朝のカリフ体制を理想としてるんとちゃうか?

そうそう、その革命側における「新カリフはシーア派のいうアリーの血統か、それともアッバース家か?」という問題を解決する決め手にもなったのも結局、アブー・ムスリムの力なんだそうですね。


ちなみにこの人の部下が、中国(唐)を破って紙の製造方法を西方に拡大させた「タラス河畔の戦い」の指揮官。そんな功績もある。アッバース朝成立直後、異文明の軍勢を退けました。
しかし…ネタバレすると、革命成立後、アブーは処刑されたという。革命の悲劇はいずこも同じ。
しかしまあ、ウマイヤの鼎の軽重を問うて成立したアッバース王朝は、マワーリー問題を解決し、出自や人種によらない、全ムスリムの平等化をまがりなりにも推進させた。それゆえにこの政権交代は「アッバース”革命”」
と呼ばれるのだそうだ。「徳川革命」とかは言わないよね。
ウィキペディアにも「アッバース革命」という項目がある。

ウィキペディアの「アッバース革命」
これは単なる王朝交替ではなく、イスラーム世界における反体制諸勢力やウマイヤ朝の支配に不満を抱く人々を広く巻き込んだ運動であり、アッバース朝の成立によってイスラーム世界のあり方が大きく変化したことから革命と呼ばれる。
(略)
またアッバース朝治下では、それまでの非アラブ人に対する税制上の差別待遇が撤廃された。すなわちムスリムであれば非アラブ人であってもジズヤ(人頭税)は課されず、一方アラブ人であっても土地を所有していればハラージュ(地租)……多様な文化や民族の融合と一体化が促進された。歴代カリフもそれまでのようなアラブの部族制を重視せず、ペルシア人をはじめとする諸民族から妃妾……しばしばウマイヤ朝がアラブ人による征服王朝、すなわちアラブ帝国であるのに対し、アッバース朝は人種を問わない普遍的世界帝国、すなわちイスラーム帝国であると論じられる。

またアッバースは、結局「アリーの子孫を押しのけてカリフになった」体制なのでその正当化から、「血統によってカリフが決まるのではない。奴隷だって庶民だって、よきムスリムならカリフに成る資格はあるぞよ」という神学に至ったのだそうですね。ただ、そのイデオロギーは、さらなる内乱の芽も生む…。



(4)恐怖!!「死の宴」




大河ドラマイスラム圏にあったとしたら、この回の視聴率が跳ね上がるだろうね。
かなり、わが国の文化から見ると「ひく」感もあるが…あっちはあっちでハラキリとかにもびびるのだろうな。ちなみにムスリムの宴会だから、たぶん両方とも素面だろう。
そして、落ち延びた一人の若者が、この後……



(5)一代の英雄?「中東の徳川家康」?偉大なるカリフ、マンスールとは


革命の一大功労者、「中東のゲバラ」であったアブーを謀殺したのが、アッバース朝二代目カリフ・マンスールだった。彼はその後、ウマイヤ朝残党などの勢力を抑えるため、バグダッドに首都を位置から建設し、瞬く間に唐の長安を超える繁栄の都を作り上げる。このマンスールの事跡を、実はムロタニ氏は非常に丁寧にページを割いているのである。
バカ息子の放蕩から知事の怠慢まで、張り巡らせた情報網によって把握、管理する。そして質素倹約と公正で財政事情を豊かにした。
「わしが不正をしたら、わしがわし自身を牢にぶち込む」という、上で引用した画像コマの言葉は、どこに出典があるのかわからないが、今でも見習えという国家指導者が多すぎるだろ(笑)。
そして、学者を尊重し、さまざまな記録や文献を集め、学問を栄えさえる……というのはアッバス朝を通じての特徴だが、その元祖であったらしい。後のルネッサンスも、バグダットで翻訳されたギリシャ哲学や天文学などがひとつの助けになったのでしょうな。
あとをついだ息子が、ほどよく馬鹿で放蕩っぽいのもなんかドラマティック(笑)
マンスール=家康、はムロタニ氏自身の評だ。


(6)そのライバル…「亡命の若き王子、ヨーロッパに新王朝を築く」後ウマイヤ朝


さっきも言った高校教科書レベルにも確かに「イベリア半島に後ウマイヤ王朝が成立し、アッバース王朝と対峙した」とは1、2行書かれていた。自分は「あー、A王朝のあとはB王朝、と綺麗に変遷しろよ!旧王朝のナントカが部分的な後継政権を作ると、ややこしいんだよ!!」とこの創始者を呪ったものだったが(笑)
着の身着のままで逃れた亡命者の王子が、いきなり亡命政権を打ち立てて、その都に繁栄を築く、というのはよーく考えたらすごいことだわね。よっぽどその王子が英邁だと考えるべきで、たいへんこの人もドラマチックでキャラが立っている。
まあ簡単にいうと「リアル・アルスラーン」とでも考えるべきかと。
日本の教科書で、後ウマイヤ朝が数行で片付くのは仕方ないが、この人の生涯に興味を絞ると、もっといろんなドラマがあるみたいよ。以前、「スペインの都市紹介」本を読んだら、詳しく出てきました。(ほとんど細部を忘れてしまったが)
 
画像にあるように最大の敵、マンスールがその器量を認め、この若きライバルに「クライシュの鷹」(※クライシュとは、預言者ムハンマドもウマイヤもアッバースも属する大きな一族のくくり)という中二的なあだ名をつけたというムロタニ氏の記述は、史実に基づくようであります。だからなんで、氏はこんな小ネタを追うんだ(笑)それと関係があるのか無いのか、後ウマイヤの支配者はある時期まで「カリフ」と自称することはせず、一段低い「アミール」を名乗り、絶対的な対立を避けたのだといいます。

ウィキペディアの「アブド・アッラフマーン1世」
……アッバース軍指揮官の首級を塩漬けにしてマンスールへ送りつけた[7]。これを見たマンスールについて、ヒッティ(英語版)の『アラブの歴史』では、「アル=マンスールが今は「余と、かような恐ろしい敵を、海で隔てたもうた神に感謝し奉る」と叫んでいる。」と記している。
(略)
アブド・アッラフマーン1世であったが、東方も含めたイスラーム世界全体に君臨する存在ではなかったために、カリフを称さずアミールのままで統治した[12]。これは、アッバース朝カリフの存在を認めたものではなく、複数のカリフがイスラーム共同体に存在することは、その統一を損なうものであるという考えであった[12]。アブド・アッラフマーン3世までの後ウマイヤ朝の歴代アミールは、この考えに基づいてアッバース朝のカリフを認めず、イスラーム世界全体の正統なカリフは存在しないという立場でアミールと称し続けた。
マンスールから『クライシュの鷹』と称された[11]アブド・アッラフマーン1世は788年に58歳で死去し…

史上最大の偉人、英雄王が一度は滅ぼした旧敵国。
そこの若き亡命王子が、新帝国を組織して自分に逆らうのを、いまや皇帝になった英雄王のほうは、警戒しつつも賞賛した…ってえのもかっこいい史実じゃありませんかね。徳川家康真田幸村、とでも模しましょうか。ちょっと違うか。ロードス島戦記でいえば「新生マーモ帝国」。ショッカーで言えばゲルショッカー

あとは女性?イラストレーターが、アッラフマーン1世やマンスールをイケメンに描けば一丁上がりではありませんか(笑)。いや、冗談ではなく、実際に歴史人気を左右するのはそういう人たちの作った映像イメージであることは間違いない。リスペクトである。


ムロタニ・ツネ象さんはことし80歳?ご健在なりや。この人のインタビューとかは無いか。

これを紹介したいというのは以前からの、数年越しの念願であり、イスラム国はきっかけになったにすぎない。
ひとつには先に書いたように「どの国、地域にも日本の戦国時代や中国の三国志、フランスのナポレオンのように『この歴史は鉄板で面白い』時代があるはず。今はマイナーでも」という実例としての紹介。
そしてもうひとつは「ムロタニ・ツネ象はすごい」ということです。
例によって、資料はウィキペだよりだが

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%AD%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%83%84%E3%83%8D%E8%B1%A1

ムロタニツネ象

ムロタニ ツネ象(むろたに つねぞう、本名:室谷 常蔵、1934年 - )は、日本の漫画家。ギャグ漫画を主として発表してきたが、歴史漫画、学習漫画、SF漫画、恐怖漫画も執筆している。

なんか代表作に「地獄くん」というのがあるそうだが…知らない、というかイメージわかないなァ(笑)逆にこっちのほうしかしらない、という人もいるのかもね。

完本 地獄くん

完本 地獄くん

昨年「完本」が復刊しているのだから、やはりすごく人気があったのでしょう。
それから、こういう権利関係がスムーズなのなら…希望的観測だが、まだご健在なのではないか。
漫画サイトもたくさんある。どこか、インタビューしてみませんか?
「地獄くん」も『かみなり坊やピッカリ・ビー』もいいが、あの独自の「ムロタニ史観」はどうやって生まれたのか?どんなふうに資料を集めたのか?どのように挿話や人物をピックアップしたのか??
聞いてみたいことはたくさんありますよ。



彼に比すべき歴史学習漫画の一人者カゴ直利氏は1920年生まれ、
ちょっと不謹慎ながら、まだご存命かどうかもうたがわしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B4%E7%9B%B4%E5%88%A9
ウィキペディアもこんな貧弱ぶりだ。
(※のちに2013年没と判明、ウィキペもそれが反映されています)


彼の作品を、それこそ旧Jコミが電子書籍で復刊してくれればうれしいのだが、難しい。


せめてムロタニ氏のほうの、すぐれた歴史漫画にはもっと光が当たってほしいものだ。