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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

私的読書録による、豊田有恒の想い出と追悼

豊田有恒氏が、亡くなった。覚悟のようなものは、できていた。
トキワ荘」世代と、SF創世記の作家世代は、先輩の層を手塚治虫星新一小松左京らとして、それに影響された後輩世代とすると、まあ同じ時代を生きた人々だ。トキワ荘世代、そしてSF創世記作家世代は、ここ数年で次々と亡くなっていく。こればかりはあらがいようの無い話なのだ。
今ご存命の人も、脳内で名前が挙がるが、なにか挙げることでへんなことにならないかと迷信じみた心配をしてしまい、触れないでおく。


そして、豊田有恒と私、でいえば、縁がはっきりとわかるんだよな。というか自分とSFのかかわりがすごくはっきりしてるんだ。
いい機会だから、最初から思い出してみよう。

・まず学校図書館でホームズとかを読んで「推理小説」に興味を持つ(浅い)。これが小学3年だか4年の話だな。ドラえもんシャーロック・ホームズセットと、ジュニアチャンピオンコースの「あなたは名探偵」がきっかけだったと認識してる。(プラス、学研の「名たんてい荒馬宗快」だ)

・そして自治体の公共図書館ポプラ社推理小説の読み方」を知り、愛読する(この本にまつわる記事、何度か書いたはず)


・おなじポプラ社のシリーズに筒井康隆が描いた「SF教室」という名著があった。その時、SFはロボットが出てくる、という認識はあったのかな。


・そこで章を分担して、豊田有恒伊藤典夫も執筆していた。そこで豊田有恒という名を知る。ブックガイドもついていた。


・そのブックガイドにある作品を読んでみようと思う。ウエルズのタイムマシン、ドイルの失われた世界…などは子供向けリライトがあってそれを読めたが、逆に当時現役の、日本作家のSF作品は子供向けリライトなんてなかったのだ。


・その公共図書館は子供むけ本のルームと大人の一般書ルームは完全に別の部屋だったが、子供も一般書を読めるし借りられる、と知る。そして探すとあったー!のが星新一筒井康隆。正確に言えば「全集」があったのだ。だからこの2作家の作品は、その全集にあるものなら細かいエッセイまで精読してるわ、おれ。


・ほか「気まぐれ星のメモ」とかエッセイが多かったなあ。ん?いま思えば、そもそもエッセイと小説のコーナーが分かれていて自分は「小説のコーナーにいく」という発想が無かっただけかも?その可能性は高いな(そういうこともわからんぐらい小さなお子様だったのよ)……だって豊田有恒の本は結局その図書館で一冊…「あなたもSF作家になれるわけではない」しかなかったのだから!さすがにそれほど小さな図書館でもない。豊田有恒の「エッセイ」は一冊だけ収納していた、なら合点がいく。


・ただ、結果的にいえばすごーく面白く、印象に残る本だった、この「あなたもSF作家になれるわけではない」は。
これは、日本漫画史がふつうの善男善女にとってはほぼ「トキワ荘史観=まんが道」になっているようなもので、おそらく「日本SF史=あなたもSF作家になれるわけではない」な人間は相当にいるはずだ。少し上の世代なら、福島正実らのほうを読む人もいただろうけど。


・なにしろ、まんが道や「ハムサラダ君」にも登場した手塚治虫ブラックジャックが現役の人気漫画だった手塚が、主要登場人物、豊田のメンターとして登場する。そしてそもそも当時のSF作家というか作家全体が、エッセイにおいては友人の作家仲間を面白おかしく誇張し、キャラ化して笑いを取る手法が流行ってた(SF作家以外だと遠藤周作阿川弘之北杜夫などがわちゃわちゃやってたアレね)。豊田もそういうのをベースにしつつも、ちゃんと「通史」としての軸はぶらさず、その上で自分の考える「SFとは何か」や、文明論も一緒に語ったりしてたわけです。
ウルトラ怪獣に「マイナス5千度の冷凍光線(絶対零度は?)」が登場することへの苦言とか「冥王星に海があるなんてアホな脚本が来たので、必死になって『液体窒素の海』という設定を考えた」とか、そんな小ネタが印象に残ったり、白人西洋文明(東洋の植民地支配)へのかなり素朴かつ極端な反発とかも書いてたな、あれ。


・ただ、とにもかくにも「あなたもSF作家になれるわけではない」のおもしろさが抜きんでていた。藤子不二雄Aを「まんが道が最高に面白い」とする方は多いだろうけど、それと同様に本当に自分にとっては「あなたもSF作家になれるわけではない、…そしてその他もろもろ」を書いた人、なのである。…われながら思うけど、それ豊田有恒ファンと言っていいのか?な気もする。


・そんなことをしているうちに学年が上がり、高学年でかしこくなった僕はデパートなどに「古本市」が時々あり、「古本屋」なるものもあり、そこでは文庫本が150円とか200円で買えることを知る(※当時の古本って、結構その辺が相場で、ブックオフが何でも「一冊100円」で売るって、とんでもなく価格破壊だったのだよな。)


・そこで、やっと代表作やショートショート集を読むようになった。ただ、小説の評価は、ぶっちゃけそんなに高くない。あまり細部を凝らさないワン・アイデア・ストーリーだよね、という感じで…それをエッセイで自嘲自虐してたから、引きずられたのかもしれない(笑)。


・いま記憶で言うとね、
歴史がほんの少しだけ変わっていて、日本が現実の朝鮮半島のように東西分割されて多摩川?が国境線。時々亡命者が出る。それを(分割を免れて)高度成長した朝鮮半島から来た金持ちの観光客が、物珍しそうに興味本位で高級カメラを使って撮影する。それに国境監視の西日本の警備員たる主人公は内心反発を覚え、いつかの統一と、朝鮮半島に追いつき追い抜くことを誓う…みたいな話があった。
(豊田氏が、漢江の奇跡を高く評価し、独学で韓国語を学び、韓国が日本の強力な競争相手になる、ということをいち早く主張していたのは有名。逆に、民主化前の韓国体制をそういう形で評価していたことで、その後の韓国を見るまなざしが双方からねじれていく展開となる…)
その種の韓国文化論も読んだな。ソウルオリンピック前後だから、初期も初期と言える。関川夏央氏らが「新しい韓国論」を展開し始めたころでもある。




あと、人間が発音に意味を持たせて会話するように、音の高低で会話する宇宙人(つまり彼らの会話はすべて音楽のようになる)が地球を訪れて、そこの男性が、サプライズで女性にプロポーズをもくろむ。それはつまり音楽でいうと…なんて話とか

地球を回る人工衛星に、全世界を滅ぼせる核兵器が装備されている。そこに常駐し管理する軍人集団が理想に燃え「世界中で戦争をやめよ。さもなくば、ミサイルを発射するぞ」と全世界を脅迫し、世界を統一の平和に導くがたちまち彼らも堕落し……

みたいな話があった。質のいい悪いではなく、本当に覚えているものをランダムに述べた。

そういえば、李氏朝鮮を脅かした米のシャーマン号事件や、イギリス人が薩摩藩士に惨殺された生麦事件を「悪いのは傲慢な西洋・白人じゃないか」という視点で書いた歴史短編もあり、当時はかなり斬新な見方だったかも。


・そんなショートショートもそれなりに印象に残ったが、「タイムスリップ大戦争」「パラレルワールド大戦争」「スペースオペラ大戦争」の大戦争三部作は、これは本当に面白いエンタメだった(多少のアジア主義的文明論はご愛敬)。

どれぐらい面白いかというと、21世紀の漫画家や小説家が
ジパング

「ゲート~自衛隊 彼の地にて斯く戦えり」

ドリフターズ

…とリメークされ、すべてがアニメ化されたことで折り紙付きだ(笑)。いや勿論ギャグだけど、ギャグに収まらない意味合いがあることわかるでしょ?

ヒロイック・ファンタジーを日本にもたらした開拓者のひとりで、その際に日本神話、ヤマトタケルをモチーフにした、そうなのだけど、これは自分は全く読まなかったので、私的回想には含まれない。ただ、そうやっておもうとそもそも「ヒロイックファンタジー」という言葉自体が今や絶滅危惧種…なんじゃないかな?

・モンゴルの残光はいわゆる”ゾルトレーク現象”と今ではいうのかな?まさにそれで「世界史が途中で現実から分裂して、壮大な架空史が編まれる」という仕掛け自体が、自分が読んだときにはその「モンゴルの残光」その他によって一般化してしまってた時代なので、そういう受け止めだった。ただ、それでも一番覚えているのは、ちょうど西洋列強の側にモンゴル、アジアを置くと、ヨーロッパでイギリスが日本的な立ち位置(早めに近代化して、周辺への帝国主義に加わることも含め独自の道を歩く)になる、というアイデアだった。

"宿題"として残された「パラレル・クリエーション」という梁山泊を記録する仕事。

【推奨】いま「パラクリ」もしくは「パラレルクリエーション」で検索してみる  @nakatsu_s
※いや、知らない話が沢山出てくる出てくる…


豊田有恒氏は、そういう自分の仕事をしながら、1980年代に「若い世代にSFの仕事で活躍する場を与えたい」という志から「パラレル・クリエーション」を設立する…らしいのだが、これはまったく自分的には後付けの情報。パトレイバーのムックに、豊田氏が登場して初めて知ったし、それ以上の情報も知識も無い。
というか、パラレル・クリエーションが実質的に何をやったのか全然くわしいことをしらんのよ。
証言の多くは「ダベッてた」ってだけで(笑)。光画部かよ。2DKのアパートの一室、そのスペースが、何よりも貴重な秘密基地だったらしい
パトレイバーのムックに、ちょっとだけ豊田氏本人の記述があった。これ、実はシン仮面ライダーのリアリティ論を語るために画像として保存したものだったんだけど…

パトレイバーのムックで回想を書いた豊田有恒


自分の見立てでは、これは赤塚不二夫タモリ所ジョージを見い出したことで知られる…1970年代にタニマチとして行った「面白グループ」の活動・功績に匹敵する、のではないかと思うのだ。
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Yutaka Izubuchi

SF作家の豊田有恒さんが逝去されたとSF作家クラブから公式に発表がありました。
先週奥様から自分を含めて、本当にごく限られた方にのみお知らせがあり…
(略)
豊田さんの作品に最初に触れたのは、小学生の頃?に読んだ『時間砲計画』だったと思います。
自分がこの業界に入ってのち、豊田さんの書生(のようなポジション)だったSFファンダムの先輩である星敬さん(彼もすでに故人です)から、「豊田さんのSF設定を絵にできるやつを探している」「なにせ相手は絵にして説明しないと理解できないやつである」「なのでそういう形でだがお前さんの大好きだと公言してる『宇宙戦艦ヤマト』(つまりヤマトⅢ)に参加しないか」と声をかけてもらい、それが豊田さんにちゃんとお会いした最初ではなかったかと思います。
(そのためヤマトⅢでの自分の表記はメカデザインではなく「SF設定協力」なのでした)
後年、その星さんにまた誘われる形で、豊田さんが若手のSFクリエーターに活躍の場を作りたいと立ち上げた『パラレルクリエーション』略して『パラクリ』に参加。豊田家のご家族とも懇意にさせていただききました。
パトレイバー』も実は最初はパラクリとしての企画として立ち上げ、豊田さんも若い頃に在籍していた元虫プロ系列で自分も当時懇意にしていた『サンライズ』にプレゼンしたりもしたのでした。(現在の『パトレイバー』は、その後知り合った伊藤和典さんや高田明美さんが参加していまの形となったものです)
いま思い返してみると、パラクリで出会った人々や、その時期にできた人との繋がりが現在の自分を形作っているんだと気付かされます。
そして、気恥ずかしい物言いになってしまいますが、あの時期が自分の青春時代というものだったのではなかろうかとも。
その時期に様々な(中には原田知世流行性感冒のような)経験をするプラットフォームであったパラクリ。そのパラクリに、自分のようなペーペー(実際パラクリでは最年少)を向かい入れて…(後略)

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このへんのことを深く知りたい、書いてほしい…と願うのは、最近のブログではほぼ持ちネタ化していた(笑)
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豊田有恒氏に、ここを中心に語ってもらうような書籍が編まれなかったのは痛恨の極みだが、まだ残っている、その想い出と記憶のかけら…SF的オーパーツ…を拾い集めていくしかあるまい。
それが、氏への追悼となるだろう(たとえば、夫人の回想録というのは不可能だろうか)。


あらためて、私的な思い出としても、さまざまなる作品をありがとうございました。