とり・みき先生のインタビュー面白い。
— syuumei (@syuumei1976) December 22, 2022
下北沢の下宿のそばに豊田有恒先生主催のパラレルクリエーションの事務所があって、出渕裕先生とかゆうきまさみ先生とはそこで出会ったんだとか。https://t.co/H1dSso5xiA
下北沢の下宿のそばに豊田有恒先生主催のパラレルクリエーションの事務所があって、出渕裕先生とかゆうきまさみ先生とはそこで出会った
これだけで「その時歴史が動いた」な話であること、おわかりでありましょう。永久保存版な動画。
けっきょく彼らは「ケミストリー」が合ったのだろな。
最初に売れたとり・みきが締め切りにヤバいと、ゆうきまさみは助っ人として手伝い……このマンガ、どこで読んだんだっけかな…
↓
いまだに覚えているのは、この作品の中でみんなは「餅をホットプレートで焼いて食べてた」こと。旨そうだし、手軽な良い工夫だとなぜか印象に残っている。
とにかくこのブログ内には「パラレルクリエーション」という言葉がよく出てくるが、それはある意味「80年代サブカルチャーの黎明期が、重要であるのにまだ語られていない、記録が残っていない」ということの象徴だった。
m-dojo.hatenadiary.com
m-dojo.hatenadiary.com
m-dojo.hatenadiary.com
ここに「聞き手」として、漫画家インタビューをずっと続けている吉田豪氏が本格参戦してくれるなら百万の味方である。伏龍を得たようなもん。
そして「鳳雛」として、29日に細野不二彦自伝漫画「1978年のまんが虫」発売、と。
漫画家への道を決めた、あの運命の一年。
『Gu-Guガンモ』『さすがの猿飛』『ギャラリーフェイク』の
細野不二彦が初めて描いた、
若き日の親友、家族、恩人、そして自分自身。1978年、東京の有名私立大学に通う、細納(サイノ)青年と仲間たち。
彼らは、のちに漫画家やアニメーターとして大活躍する才能の持ち主だが、
その頃はただ、マニアックな学生生活を謳歌する若者たちだった。
時代は日本のサブカルチャーが勃興する70年代後半。
アルコール依存症の父、障がいを持つ弟、複雑な家庭環境の中、
細納青年は、悩み迷いながらも、自ら漫画家の道を歩き始める。
高千穂 遙 氏(スタジオぬえ)推薦!!
「事実と虚構を巧みに交錯させて、人生の物語を紡ぎだす。
この才能をデビューへと導くことができた。それを誇りたい。」