幾度も話したことだけど、二十代の初めの頃、住んでたアパートの一室を何人かの友達で借りて仕事場にしていたことがあって、そこに出入りしていたしげの秀一から漫画の書き方を教わったりした。お互いの作品を見て「面白ぇ〜っ!」とか「天才的!」とか褒め合ってたよ。僕にとっては有難い環境だった。
— ゆうき まさみ (@masyuuki) 2021年5月5日
見る人によっては馴れ合ってるように見えたんじゃないかな。まあこういう環境が合う合わないも人によると思う。何年か前に、亡くなった友人を偲ぶ会でしげの君にそれこそ30年ぶりくらいに会ったのだけど、会うなり当時と同じノリで話ができたのが嬉しかったなあ。
— ゆうき まさみ (@masyuuki) 2021年5月5日
このアパートの仕事場の前史として「まんが画廊」があったわけで、しげの君とはそこで知り合ったのだった。しげの君がデビューする以前には、こういう環境と関係性を「ぬるま湯」と断じた友達もいるけど、人によっては孵化するのにちょうどいい温度のゆりかごになることだってあるんだよ。おわり。
— ゆうき まさみ (@masyuuki) 2021年5月5日
まずもって「幾度も話した」この話題は……、このブログでも幾度もとりあげた(笑)話で、「マンガ餓狼」いやちがった「まんが画廊」や、豊田有恒が主催した「ぱられるくりえいしょん」といった、80年代のおたく文化を創造したある種の環境についての貴重な証言だということだ。
この時代の思い出が貴重な文化史であり、商業的にも可能性をこめたコンテンツであるという認識自体は相当に浸透しているのだが、まだ本当に体系化された決定版的な資料は無く…(たとえば、ゆうき氏・しげの氏らがたむろしたアパートの名前って知られてないでしょ?)それになろうとしているのが島本和彦「アオイホノオ」や岡田斗志夫がおもしろおかしく語る回想などであろう、というのは衆目一致してるが、あれがスタンダードになるのは大変にまずい、という認識も一致しているであろう(爆笑)
細野不二彦氏が「1978年のまんが虫」の連載を開始したので、並び立つようなものになることを期待。
細野不二彦が描く自伝的青春譚「1978年のまんが虫」、BCオリジナル増刊号で開幕https://t.co/hbmCbi1aiS pic.twitter.com/Xpl7IztrxN
— コミックナタリー (@comic_natalie) 2021年4月12日
ただ、実際にこのへんを取材すると、「諸般の事情」でまとめ難い部分もある、という話もぽつぽつと漏れ伝わる。80年代に「トキワ荘」も再現され得るが「大泉」も再現される・・・・・・ということもあるのかもしれない。
とにかく、まだ上記の文化運動には十分な資料がないし、待望されてる、ということだけ再度表明しておく。そのツイートをした本人が回想漫画を描けばいいじゃん、と言われるのももっともなことで、原稿の早さでしられる人(反語)なんだから「新九郎、奔る!」と並行して連載を立ち上げるのも造作もないことでしょう(反語)。今考えたんだが、しげの氏のほうにこの企画持って行ってもいいな。頭文字はなんだろうか。
「人によっては、ぬるま湯が孵化の温度」論
いやもう、そうだろうね。
古谷三敏「寄席芸人伝」にもこれに関するエピソードがあった。新弟子の辛い修業で知られる落語界だが、とある新人たちが入門した師匠のところはなぜか弟子2人を甘やかし放題。飯を師匠自らが作ってあげて、弟子は先に風呂に入ってビールを一杯……周囲からは「あんな甘やかし方をしちゃだめだろう!」と師匠のほうに文句をいうのだが、その師匠は「あの2人の才能は本物だ、おれが芸で教えられることはない。何をできるかを考えたら、のびのびできる環境を作ることだと思ったんだ…」と”確信犯”なことを明かす。そして2人は実際、同世代で厳しい修行をする他の師匠の弟子を、芸で圧倒するのだった…!!!
とね。何巻だったかなあ。
いまは議員の須藤元気も、パンクラスやリングスに”入門”するのではなく、海外ジムで学んで逆輸入ファイターとして戦うことを戦略的に狙い、そして格闘家として大成功した。
「正直言って、新弟子としてちゃんこ鍋作るより練習したほうが強くなると思うんですよ」という、圧倒的正論を残しつつ(笑)
実際、厳しい新日本道場、UWFインター道場から脱落した菊田早苗(前記のふたつ、ぬるま湯かぬるま湯じゃないかとかを超えた、煮えたぎる溶岩みたいなもんだがな…)が、ジムや体育館を借りた自主サークルで練習したら、対UWF系の勝率で圧倒したわけだしな(黒星はvs近藤有己の一敗ぐらいでしょ?)
まあ、そういうもんですよ…
しかし、ゆうき氏もいうように「人による」話であって、結局はこのへんは個々人でカスタマイズしていくしかないし、そもそもその人が、そのジャンルで大成するか否か、は結果論で、育った環境ゆえか、反対の環境だったかどうかは検証も難しい。
これが石黒正数かくところの「駄サイクル」になるのではないか、というのもまたもっとも。
"駄サイクル"ってやつですね pic.twitter.com/vZBtzbppgv
— kowa0202 (@kkoaA0201) 2020年1月25日
ほんとうに、これは「人による。」が最終の解なんだろうね。漫画家の卵と、編集者の相性も同じ。
「琴となり 下駄となるのも 桐の運」。
子路問、聞斯行諸、子曰、有父兄在、如之何其聞斯行之也、冉有問、聞斯行諸、子曰、聞斯行之、公西華曰、由也問、聞斯行諸、子曰、有父兄在、求也問、聞斯行諸、子曰、聞斯行之、赤也惑、敢問、子曰、求也退、故進之、由也兼人、故退之。
書き下し文
子路(しろ)問う、聞くままに斯(こ)れ行わんや。子曰わく、父兄(ふけい)の在(いま)すこと有り、これを如何(いかん)ぞ、其(そ)れ聞くままに斯れ行わんや。冉有(ぜんゆう)問う、聞くままに斯れ行わんや。子曰わく、聞くままに斯れを行え。公西華(こうせいか)が曰わく、由(ゆう)や問う、聞くままに斯れ行わんやと。子曰わく、父兄の在すこと有りと。求や問う、聞くままに斯れ行わんやと。子曰わく、聞くままに斯れ行なえと。赤(せき)や惑う。敢えて問う。子曰わく、求(きゅう)や退く、故にこれを進む。由や人を兼(か)ぬ、故にこれを退く。現代語訳
子路(しろ)が尋ねました、
「指示を聞いたらすぐに実行すべきでしょうか?」
孔子は、
「父親や年長者がいるだろう、まず彼らの意見を聞きなさい。」
と答えられました。次に冉有(ぜんゆう)が尋ねました、
「指示を聞いたらすぐに実行すべきでしょうか?」
孔子は、
「すぐに実行しなさい。」
と答えられました。
これを聞いていた公西華(こうせいか)が困惑した様子で、
「二人とも同じ質問をしているのに、先生は別々の答えをなさっています。どうしてでしょうか?」
と尋ねたところ、孔子は、
「冉有は引っ込み思案だからうながしてやった。子路は積極的すぎる面があるから抑制してやったのだ。」
と答えられました。
mage8.com