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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「師匠は一人ずつ、違う魔法をかけた」「イリュージョンは逃げ」…春風亭小朝の『談志論』が温かくも手厳しい(藝人春秋)


ところが、
「今日だけ」のはずが延長されているのか、なにかの技術的なことで戻っていないのか、とにかく2月15日現在、幸運にもまだ読める。


note.com


舞台は、新幹線車中

…人懐っこい笑みを浮かべ、小声で「宜しければ、こちらへお座りになりません?」と、ボクを空いた隣席へと招いてくれた。

「ということは、貴方は談志師匠のお話を書くのね……。もうすぐ亡くなられて七回忌ですね。私も師匠には大変可愛がって頂きました。亡くなられた後、ご遺族やお弟子さん、それぞれに想い出話があり、皆さんがそれぞれにお書きになっている」
「ボクも読んでいます。それぞれの談志像に違いがあるんですね」
「そう。それも、人それぞれの解釈です。
 師匠はふたりきりで話す時と、大勢の前で話す時では別人でした。人を見て話を使い分けていらした。ひとりひとりに談志という魔法をかけていらっしゃったと思うの。だから一概には言えないんです。このことは、落語界の外部の人にはなかなか分からないでしょうし……」


こういう教育の在り方は釈迦孔子の時代からお馴染みで、ある意味で当然とはいえる

子路問う、聞くままに斯(こ)れ諸(これ)を行わんか。
子曰わく、父兄の在(いま)すこと有り、之を如何ぞ、其れ聞くままに斯れ諸を行わんや。
   冉有問う、聞くままに斯れ諸を行わんか。
子曰わく、聞くままに斯れ諸を行え。

公西華曰わく、由や問う、聞くままに斯れ諸を行わんかと。
子曰わく、父兄の在すこと有りと。求や問う、聞くままに斯れ諸を行わんかと。
子曰わく、聞くままに斯れ諸を行えと。赤や惑う。敢えて問う。
子曰わく、求や退く、故に之を進む。由や人を兼(か)ぬ、故に之を退く。



先進第十一   仮名論語151頁3行目です。

伊與田覺先生の解釈です。

子路が「聞いたらすぐに行おうと思いますがどうでしょうか」と尋ねた。
先師が答えられた。「父兄がおいでになるではないか、どうしてすぐ行ってよかろうか。よく考えて行うようにしなさい」
   冉有が「聞いたらすぐ行おうと思いますがどうでしょうか」と尋ねた。
先師は考えられた。「すぐ行いなさい」
   公西華がこれを聞いて不審に思って尋ねた。「由が聞いたらすぐ行いましょうかと尋ねましたら、
先生は父兄がおいでになるから、よく考えて行いなさいと仰せられました。
一方、求には聞いたらすぐに行いなさいと仰せられましたが私にはどうも先生のお気持ちが分かりません。どうか教えて下さい」

先師が答えられた。「求はとかく引っ込み思案だからそれを励ましたのだが、由はとかく出過ぎるくせがあるから、それをおさえてやったのだ」
ameblo.jp


のだが、逸話として残ると「ん?」となることは事実。上だって、公西華がGJしてくれたから真意がわかるわけでな。

赤めだか (扶桑社BOOKS文庫)

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談志も、自分の記憶では、ある場所で「俺の世話とか、御機嫌取りとかに心を使ってる暇があったら芸を研究しろ!」と言ってる一方で「俺一人を気持ちよくさせられねぇで、何千何万のかんきゃくをきもちよくさせられるわけがねぇだろう」と、雑用の重要性を語ってたりしたはずだが。
そのへんは、やはり意識的だったのかもしれないな。
それを
「ひとりひとりに談志という魔法をかけていらっしゃった」
とする小朝師匠の表現力はさすがで、孔子のときの公西華の役割をみごとに果たしてらっさる。



そして、ここ。

「談志師匠ほど芸を観察し、盗み、研究してきた方はおりませんが、本人には志ん生にも志ん朝にも敵わないことも分かっていたはずです。私も晩年のイリュージョン(談志独自の落語観)は落語から逃げているのではと思いました。ま、演者が自分で批評すると言い訳になりますし、本来、芸は演じてしまえば説明などしなくても良いはずです」
 まるで自問自答しているかのように小朝が虚空を見て語る。


立川談志古今亭志ん朝、もう少し年齢差があると思ったが、2歳談志が年長なだけらしい。
親も落語家で、全身を「江戸の風」にさらしつづけたサラブレッドと、そうではないたたき上げ、それも理論派でもある革命児……これが同時代にいるというのが、歴史とドラマの妙だ。

ウィキペディア記事としてかなり充実しているこちらでも、両者のドラマがあった。
ja.wikipedia.org


にしても、その両者をじっと至近距離で観察し、
「本人には志ん生にも志ん朝にも敵わないことも分かっていた」
「イリュージョン(談志独自の落語観)は落語から逃げている」

と”判決”をくだす、その厳しさと温かさよ。

これは落語の世界においては、先に逝ったものに、後を託され、残されたものが負う、「義務」なのかもしれない。

藝人春秋3 死ぬのは奴らだ (文春文庫)

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藝人春秋2 上 ハカセより愛をこめて

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藝人春秋2 下 死ぬのは奴らだ

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藝人春秋 (文春文庫)

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