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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

立川談志が認めた「江戸の風が吹く爆笑王」…橘家圓蔵逝く

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151016/k10010272211000.html
ギャグを連発する爆笑落語と明るい芸風で親しまれ、テレビやラジオでも活躍した落語家の橘家圓蔵さんが今月7日、心室細動のため亡くなりました。81歳でした。
橘家圓蔵さんは昭和9年、東京で生まれ、家業の紙芝居を手伝うなかで、昭和28年、落語の道に入り、昭和40年には真打ちになって月の家円鏡を襲名しました。
黒縁めがねがトレードマークで、毒舌を交えたギャグや機転の利いた謎かけなど、明るい芸風で知られ、ラジオやテレビ、コマーシャルなどに数多く出演して爆発的な人気となりました。「よいしょっと、円鏡です」。「うちのセツコが…」などのギャグでも知られています。

以下は一度このブログで紹介したんだけど、それは「江戸の風」に喩えて「SFの風」とか「ミステリーの風」という勝手なオレ概念を持ち出すための例示だったので、今回追悼の意味を込めて、ストレートに再紹介しよう。

立川談志は晩年の著作で「落語は江戸の風が吹く中で演じられるべきものである」と説いた。談志が「江戸の風を感じる演者」として五街道雲助を挙げ・・・(略)他にも意外な落語家の名が挙がっていた。橘家圓蔵だ。圓蔵は「江戸の粋」を感じさせるタイプではない。むしろ正反対の爆笑派だ。その圓蔵に「江戸の風が吹いている」と談志が指摘したことは、極めて大きな意味を持つ。

噺家のはなし

噺家のはなし

落語という大衆芸能において、個々の演目は作品として独立して存在しているわけではなく、噺家が高座から観客に向かって語りかけるための素材(ネタ)に過ぎない。演目という「素材」に生身の噺家が生命を与えることで落語というエンターテインメントは初めて成立する。目当ての演者のパフォーマンスを楽しみに行くべきものなのだ。〉
1970年代以降、ほぼ毎晩寄席やホールに通っているという広瀬氏が厳選した「いま訊いておくべき落語家50人」の持ち味、得意演目、聴きどころから、将来への展望までを詳説、さらに現代の落語界の潮流や問題点などにも言及している。
従来の落語家ガイドと違うのはそのラインナップ。真打としてのキャリアも長く、テレビなどでの知名度が高くても、最近の高座を評価することができない落語家は取りあげられていない。一方、旧世代の評論家が切り捨てた落語家を再評価していたり、将来性豊かな二つ目をとりあげているケースもあり、落語好きが納得するだけでなく、初心者にとっても落語の面白さを堪能するためのかっこうの入門書となっている。
一人当たり4ページとコンパクトにまとめ、連載中も好評だった南伸坊氏の似顔絵イラストも収載。

しかし、こういう議論の前に、自分が圓蔵といって思い出すのは、眼鏡をコーティングするメガネクリンビューのCM。
鍋を囲んでいる際に、トレードマークの眼鏡(これをつけて高座に上るのが彼以前はタブーだった。「江戸っぽくない」ゆえに)がくもってしまった当時「円鏡」の師匠がこのコーティング液を塗って

「メガネすっきり曇りなし」
しかし、既にからっぽになった鍋を覗き込んで
「料理すっかり食うものなし」

このときの間の取り方、口調、表情どれもが、まさに爆笑を誘うような一流の芸だった、という気がしている。

魂安らかならんことを。