表題は、先ごろなくなった松本健一氏が、日本浪漫派の保田與重郎の名言としてしばしば紹介した「美しいものを見たいなら、目を閉じればいい」のもじり。
なんか書きやすさの関係で、はじめtwitterで投稿し、それを以下に転載しています。誤字を直したり形式を整えたりもしています。
「江戸しぐさ」とは、現実逃避から生まれた架空の伝統である
- 作者: 原田実
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/08/26
- メディア: 新書
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本書は、「江戸しぐさ」を徹底的に検証したものだ。「江戸しぐさ」は、そのネーミングとは裏腹に、一九八〇年代に芝三光という反骨の知識人によって生み出されたものである。そのため、そこで述べられるマナーは、実際の江戸時代の風俗からかけ離れたものとなっている。芝の没後に繰り広げられた越川禮子を中心とする普及活動、桐山勝の助力による「NPO法人設立」を経て、現在では教育現場で道徳教育の教材として用いられるまでになってしまった。しかし、「江戸しぐさ」は偽史であり、オカルトであり、現実逃避の産物として生み出されたものである。我々は、偽りを子供たちに教えないためにも、「江戸しぐさ」の正体を見極めねばならないのだ。
gryphonjapan@gryphonjapan
そうだ、2014年内にやっておくべきこと。原田実氏「江戸しぐさの正体」の感想書くことだった。だいぶさぼってしまった…今から連続ツイートしよう。
まず最初に本が出ると聞いた時、自分の率直な感想は「えー、togetterでもう十分論証済みやがな。鶏を割くにいずくんぞ牛刀…だよ」でした。
江戸しぐさに関連する45件のまとめ
http://togetter.com/t/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%81%97%E3%81%90%E3%81%95
ところが、やっぱり一冊の本になってみると読みやすいのね。そこは自分も、最後の?「紙本世代」だということもあるだろう。そして出版されてからの反響も、やっぱり本が出版社から出るのは、twitterやtogetterとは違いがあるんだわな。書評はあるがtogetter評は無いわけで。(一回、朝日の論壇時評が『今月の論文ベスト3』的なものにtogetterを紹介して「型破りだ!」と反響があったっけ)
考えて見れば当たり前だが、あらためて、「ネットでは常識やないか」的なことが一般書籍で問われることの意義や、影響力をリアルタイムかつ身近なテーマで見て実感したなあ、というのが「江戸しぐさの正体」が出たときでは面白かった 。
……さて、やっと内容の話を。
前述したように、すでに議論の枠組はtogetterで知ってたつもりだったのだが、作者の想定した構成で一から順番に説かれると、やはり抜けた知識が補充されていく。
特に『江戸しぐさはそもそも事実で無い』という論証過程は平凡な褒め言葉で情けないが「優れたミステリーを読む」ような感覚。
自分、この前
SFにおける「未来描写」の限界と時代性〜ゆうきまさみ氏らのツイートを中心に - Togetterまとめ http://togetter.com/li/760058
という「過去SFの未来予測と現実の差」のまとめを作らせてもらったが、逆方向ながら時代劇を含め過去を語る作品を「XX時代の話なのに、後世の○○という概念や小道具が登場してますなあ」という指摘も、三田村先生ではないが純粋に楽しい(笑)
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しかし、時代劇なら笑って済ませられる話だが、これが社会運動、教育運動になって、公共広告機構でCM打たれるとしたらそりゃ問題なわけで。ちなみに当然ながら、最初TVでこのCMが流れた時、無知な自分は「へー、そんな慣習がねえ」てなもんで、まったく疑ってなかったなあ。
文中の、実例の一つに「訪問時は事前にアポ、了解をとっておくのが江戸しぐさだ」「相手の時間を奪わないのが江戸しぐさだ」に、電話も、正確な時計も無い(少ない)時代にムチャな、という話があったが、
山本夏彦氏は昭和初期の実感として
「以前はとりあえず尋ねていった。その後電話が普及し…」
という話を書いていたな。
- 作者: 山本夏彦
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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(※註:この2冊に上の話が載っているとは限りません。山本氏の話は繰り返しも多いので、どこに載っているのかわかりにくい…)
- 作者: 山本夏彦,久世光彦
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2002/06
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昭和初期の実感ですらそうだというのに…こういう時間感覚の変化の議論は、一般論としては面白い。カタチにならず、変化に気付かないものを敢えて考える民俗学的な面白さだからね。第一次東京五輪が契機、とも聞くが…
あ、そうだ。森薫「エマ」では、元家庭教師の家をアポなし訪問した坊っちゃん(そこでエマと会う)が元先生から「この年でも淑女はいろいろ予定があるのよ、ちゃんと手紙を出しなさい」と叱るし、ホームズも大体事前の依頼状が来るな。アポは産業革命、郵便制度や電報を基盤に英国上流階級で始まった?http://www.221b.jp/h/copp.html
…しかし僕はついに落ちるところまで落ちたようだ。今朝来たこの手紙がどん底だ。そんな気がする。読んでみろ!」ホームズはしわくちゃの手紙を私に向かって放り投げた。
それは昨夜モンタギュー・プレイスから投函されたもので、次のように書かれていた。
ホームズ様
私に家庭教師になってくれという依頼を受け入れるべきかどうか、是非ご相談にのっていただきたいと思います。もしお邪魔でなければ明日の十時半に伺います。
敬具
バイオレット・ハンター
「この若い女性は君の知り合いか?」私は尋ねた。
「まさか」
「今十時半だな」
「そうだ。あのベルの音は間違いなく彼女だな」※これに関しては
原田 実 @gishigaku
当時のロンドンでは朝出した手紙がその日のうちに届くくらい郵便制度が円滑に運用されていたのです(もっとも電信が出てくると緊急通信はそれにとって代わられる形になったわけですが)
https://twitter.com/gishigaku/status/549354340029173760
そういえば、江戸しぐさ創始者は米軍GHQでのバイト経験があり、そのせいか「英米の社交クラブ」的なマナーが入り込んでいるという話も同書の中には出ている。
結局、江戸しぐさが虚構と分かった上では、その後は「フーダニット(誰がこんなことを)」で創始者を、さらには「ホワイダニット」かな?つまり「なんでこんなことを?」というのが出てくる。本書中盤、後半はその話だ。
ただまあ、創始者芝三光氏が単純にマナーにうるさい人で、それを啓蒙したいと思ったのは分かるが、なんで江戸に仮託したのかね…それは基本、70年代末から80年代にかけ、従来左翼的な体制批判が衰えて逆に「前近代」に現状への批判を仮託しようとした動きとも通底してるらしい。
浅羽通明や大月隆寛氏の、このへんの分析を知ってる人にはおなじみだな。
当時生まれた江戸の再評価は間違いなく有益な部分もあった(ここ重要)けど、野放図な拡大をされると内田樹氏「江戸時代は偉かった…Back to Edo era! 」…それへの賛否 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/684110
になる。
しかし「事実で無い過去を想定し、そこに仮託して現状を批判する」というのはある種普遍的なものではある。
以前感想を書こうとしたときに書きかけたのだがhttps://twitter.com/gryphonjapan/satus/524318165338050560
にて「さかのぼれば、孔子と儒教が『周しぐさ』だよな」と書いたとおりで(笑)
東北大教授・浅野裕一の本から。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/2013110/p6
孔子の礼学は、彼がかき集めた一知半解の断片的知識を、自分の想像力でつなぎ合わせただけの、空想の産物でしかなかった。このように孔子の思想活動の出発点そのものが、極めて詐欺的な性格の強いものであった。
しかも孔子は、魯に周に代わる新王朝を樹立して自ら王者となり、わが手で復元した周初の礼制を地上に復活させようという誇大妄想に取り付かれる。孔子はこの狂気を帯びた妄想を引っさげて諸国を流浪し、各国の君主にその採用を求めたがどこの君主からも全く相手にされず、もとより実現はしなかった…
- 作者: 浅野裕一
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- 発売日: 2005/04/20
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実は論語にも、それをにおわせる記述がございまして
http://www.geocities.jp/rongo21/rongo/_15.html
子大廟に入りて、事ごとに問う
子入大廟、毎事問、或曰、孰謂聚人之知禮乎、入大廟、毎事問、子聞之曰、是禮也。
子大廟に入りて、事ごとに問う。
或るひと曰わく、たれか聚人の子を礼を知ると謂うや、大廟に入りて、事ごとに問う。
子これを聞きて曰わく、是れ礼なり。訳
「大廟」とは君主を祀る廟のこと、聚人の子とは孔子のことです。儀礼事をよく知るはずの孔子が、大廟で、たぶん先任の小役人に一々質問する場面での出来事です。次のように訳します。
孔子が大廟に入って礼を執り行う際、一々質問した。
ある人が言った、孔子は大廟で一々質問するが、孔子は礼をよく知っていると言ったのは誰だ。
孔子はこれを聞いて言った、これが礼だ。このくだり、芝の後継者である越川氏が「神より紙を信用する日本人が多い」とかわしたという106Pの記述となんとなく似てる気も(笑)。
まあ過去にユートピアを仮託する、こういう運動自体は時代的には必要なものもあるだろう。
「アダムが耕しイブが紡いだ時、誰が領主だった?」は、過去へ仮託したから説得力を持ち得た。アシモフの雑学書で「数々の新発見を記した中世の本があるが作者が『古代の魔術師の書』と偽ったので、歴史に名を残した筈の著者は正体不明のまま」という話が(笑)。ま、そんなふうに仮託するなり「寓話だ」として作るならそれでいいが、要はそこにツッコミが入るかどうかでしょう。
だからこそ同書が出たのだが、結局最後に出てくる「公共活動、公教育への浸透」こそが問題でありましょう。
「思いつきで考えたフィクションが、いつしか公のものになる」というのを一種反転させて考えると、ある意味この書は一転して「ピカレスクロマンの超大作」となる。
いや実際、こういうのを見ると「俺もいつかは、もっともらしい偽史を、追及するよりは作る側に回りたい!」と欲望を刺激される(笑)
参考
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/2011123/p3
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120330/p5http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130924/p4
こんなふうにね。
そしてこいつを見事に採用することになったACやTOSS、育鵬社のパネーさは驚きだ。EM菌なんてのも似た経歴があったり「武器を持たない琉球王国」http://obiekt.seesaa.net/article/10884199.html
にも通じる?
育鵬社の本とかは「その後どうなったか」の続報も、作者には追っていってもらいたいものだ。(同社公民教科書担当者と、原田氏の対談とかどうだろう)
交代させるチャンスが何度もあったのに、なぜか、というか或いは必然、というかで留任した下村博文文部科学大臣の認識も気になるところだ。
総計何ツイートしたんだ(笑)? まあブログよりはある意味書きやすい。
これにて
原田実『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書) 』
http://www.amazon.co.jp/dp/4061385550
の感想終わり。著者インタビュー http://blogos.com/article/96470/