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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

再論【あだち勉物語】~赤塚不二夫と弟子の「愉快ないたずら」は、一種の「大人のおとぎばなし」

とりあえず第一報として書いた「最近の『あだち勉物語』19,20話が面白いから読んでくれ」は、やはり途中からネット連載漫画を読み逃した層などにそれなりに響いたか、反響もあった。読んでくれた人も多いだろう。

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その時は、時間が無くて論評に手が回らなかった。その捕捉をこれから

【19話】赤塚不二夫は誰とでも仲良くなって「遊びに来なさい」と声をかける。その結果…

あだち勉物語 ホームレスの取材
あだち勉物語 ホームレス取材

ぶっちゃけ、この時代「ホームレス」なんて言葉は使われてたはずがなくて、別の単語だったと思うが…それはさておき、いやそれとも繋がるけど、実際の所この取材が本当に創作活動に必要だとかではなく、やはり悪趣味な、冗談半分、興味半分のホームレスとの接触だったと判断するしかない。
そういうアティチュードが、今どのように評価されるかといえば、非常に怒られというか、糾弾されるように思われる。
しかし実際に交流すれば、赤塚不二夫は凡百の知識人や名士ではおそらく不可能なほどにホームレスと意気投合し、そして「いつでも遊びに来なさい」と手書きの名刺を渡したり、高級腕時計を友情の証としてプレゼントする。
その結果としてリアルな「レ・ミゼラブル」あるいは「ジョジョの奇妙な冒険 第一部」状態が発生する。お巡りさんの余計な手間が増える(笑)

あだち勉物語 リアルなレ・ミゼラブル
あだち勉物語ホームレスとも仲良くなる赤塚不二夫


「雑誌に載ってる『ファンレターのあて先』は、作者のリアル住所だった」という時代もあり、電話帳その他、「居住地へのアクセス方法、そこを公開する意味」は確かに昭和はいまと全然違うけど、それを差し引いても赤塚不二夫があんまりにもオープンマインド過ぎることは間違いない。
いまでは、いや当時でも、普通ならマネジャーや編集者がブロックする。
それを可能にしたのは、赤塚不二夫が「みんなと酒を飲んでバカ騒ぎする」が好きなことが第一だったろうし、そこで「面白いやつを積極的に仲間に加えたい!」という変な時代精神があったのも間違いなさそう。そこから「タモリ」が生まれたのも間違いない訳だろうが……

たとえば、ここで、単に声を掛けられたのでフジオプロに遊びに来て、伝説の赤塚作品を手伝ったあんちゃんたちって、年齢的にはご存命の筈だ。
市井にいるであろう、「この当時の、飲み歩いていた赤塚不二夫とどこかで関わり、交流を持った人」
の証言が、もっと発掘されていい筈なんです。

あだち勉物語 赤塚不二夫が誰にでも「遊びに来い」と言った結果


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一方で漫画家の仲間からも一部では「赤塚は飲み歩いて有名人とつるんで…なんか無理してるんじゃないか?」みたいな心配や、冷ややかな目もあったという。
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ここは実際によくわからないので、タモリの笑っていいとも終了の時に、巷間にあふれた「タモリ伝」からの再構成も含めて、やはりもう一度「巨匠となった赤塚不二夫周辺の『面白』人脈の歴史」に関する決定版の記録が欲しい、と再度要望しておきたいです。


過去記事で引用した記事の、さらに再引用。

11.杉江松恋の『芸人本書く派列伝』
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【プロフィール/杉江松恋

1968年生まれ。ライター、文芸評論家、書評家。
ミステリー小説の書評を中心に雑誌やWeb上で執筆活動を行う。
また、映画や漫画などのノベライズ作品も執筆。



山本晋也『カントク記 焼とりと映画と寿司屋の二階の青春』(双葉社)から以下の情景を引いていく。

 197×年某月某日、新宿2丁目にそのころあった、ひとみ寿司の座敷で怪しい集会が開かれていた。
 怪しいといっても過激派・カルト集団というような物騒なものではなく、漫画家・赤塚不二夫を中心とする「面白グループ」の人々である。これは赤塚の交友関係から自然発生した親睦集団で、当時としても豪華な面子が顔を揃えていた。NHKの演芸ディレクターでありコント55号の育ての親としても知られる滝大作放送作家兼評論家の高平哲郎、ピンク映画監督の山本晋也、ジャズマンの山下洋輔坂田明、コメディアンの内藤陳、歌手の三上寛といった面々である。そこに九州から上京してきたタモリが迎えられ、デビュー仕立ての所ジョージTHE ALFEE坂崎幸之助といった後に名をなす人々が加わっていった。山本晋也も自身の監督作品常連であったたこ八郎柄本明らを伴っている。
 寿司屋といってもそこでは誰も寿司は食わず「ブッカキ氷の上にキャベツの千切りを載せて、塩と胡椒と味の素を混ぜた赤塚先生特製の香辛料を付けて食う」だけ、酒は焼酎「白波」の番茶割りだ。つまりグルメや贅沢とは程遠く、大のおとながどれだけ馬鹿なことだけを言い合いして時間を浪費していけるか、ということを競う場だったのである。

 面白グループが残した足跡については、まだ未評価の部分が大きい。私的集団で表立って行ったことが少ないのがその一因だろう。赤塚という庇護者をつけてタモリを世に出したことが最大の功績であるのは間違いないが、タモリだけではなく、所、坂崎らにオールナイトニッポンのパーソナリティを持たせ名前を周知させるなど、グループが人脈を駆使して行ったことは決して少なくなかった
 その一方で赤塚不二夫は、面白グループに熱中していた時代が、人気が頭打ちとなって下降する時期と重なっている。
(略)
決して順風満帆な時期ではなかった。1974年に「週刊少年サンデー」で連載していた『レッツラゴン』が終了…
(略)
 見ようによっては、少年誌では発揮できなくなった才能を面白グループという集団の中で発散することでバランスをとっていたようにも思える。…(略)赤塚の弔辞でタモリが「私もあなたの作品の一つです」と読み上げたのは、正鵠を射た言葉であった。この時期の赤塚が、タモリという創作物を世に出すために力の多くを使っていたことは事実だからである。

この話、そして次の記事、ここにつながる。
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かつて銀座などで消費された「有名人の面白悪戯」~フジオプロの遊びに「飲み屋で『お仕事は?』と聞かれたら相手に当てさせ、最初に言われた回答の職業になり切る」があった

あだち勉物語 飲み屋で職業を当てさせ、最初の回答の職業になり切る
『お仕事は?』と聞かれたら相手に当てさせ、最初に言われた回答の職業になり切る」 あだち勉物語


これもまた、飲み屋での「いたずら」である。コンプライアンスとポリティカルコレクトの概念からいえば、こういういたずらも「よくないこと」とされる可能性もありそうである。いや、さすがにこれはギリギリ、いまでも許容されるかな?


ただ、これ読んでふと思ったのは
遠藤周作を起点として…北杜夫とか阿川浩之とかそのへんかな? またSF作家周辺とかも、「飲み屋や旅先で〇〇のふりをして……」みたいな体験記やエッセイを、70-80年代だろうか、いろいろ書いていた気がするんだよね。
というか、自分は小説家ってのは、原稿用紙に創作の物語を書く人というより、みんなで集まって飲み会をして、大騒ぎの中でこういういたずらやなりきりゲームを、現実社会の中で演じて、それをエッセイのかたちで面白おかしく報告する……というひとだと思ってたな、最初は(笑)


で、俺的な個人の感想では、その最後に位置するのが「中島らも」だったと思うの。

上のあだち勉の「相手に当てさせた「自分の職業」になり切るゲーム」で思い出したのが、何かの文学賞の選考帰りに、年齢不詳の風貌を活かして同乗者と「頑固な老作家とその担当編集」になりきり「今の文学はどれもこれも…」「やはり、大陸からの引き揚げを経験した先生から見るとそう思いますか」「うむ、あの脱出行こそ儂の文学の原点じゃ」とかなんとか適当にやりとりして、タクシー運転手を感心させた……みたいなエピソードでした(かなり記憶曖昧です)

ま、その延長で、天下の朝日新聞紙上で「死を呼ぶみそじゃがいも」事件というのを起こしてしまうわけですが(笑)
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自分の知ってる範囲でいうと
遠藤周作などを中心とする「面白エッセイも書く文学者集団」
・SF作家集団
赤塚不二夫と「面白グループ」
・ジャズメン

のようなひとたちが、上にあるような、半分ぐらい現実と関わるような罪のない?いたずらジョークを、酒宴と共に行って、それを「芸のこやし」にしていた。
その上で、何しろ銀座赤坂というふうに場所が重なるし、ホームレスやラーメン屋店員とまで「こんど遊びにおいで!」になるぐらいだから、そういう有名人同士だって当然顔を合わせ、交流を生んだ。


たとえばそういう中で「大橋巨泉藤子不二雄Aが無二の親友となる」というような、不思議な交友関係が生まれたりもするんですね。


いや、もっとそういう集団はあちこちにあったと思うんですよ、
ただ「こういうことをしました!おもしろかった!!」と語る語り部がいなかっただけで。



あだち勉物語」は、トキワ荘と同様に重要かもしれない、「赤塚不二夫が大成功して「日本の顔」となった後、彼と彼の周辺はどのように「おもしろ」を模索したか?」を、交友関係や実際の酒場での遊び方などを含めて記録してくれる。
ここが図らずも貴重なので、そういう点からも連載が長くつづいてほしい。


そしてそれは日本の漫画史のみならず芸能史、お笑い史などの空白を埋める、貴重なミッシングリンクになるかもしれない。


いまはもうできないか、実はそれでも続いているのか…「大人のおとぎばなし」。


調子がよくてイマイチ信用できない、でもなぜか懐にはそれなりのゼニがある…という人が雀荘や飲み屋で、周りの人間にちょっとうるさがられながら、何とも面白い話をしている。
それの悪友というか兄貴分は、誰でも知ってる超有名人!! 「いつでもうちに遊びに来てよ」と仕事場の名刺を渡され………なんてことは、治安もマナーもよくなった令和の御世にはちょっとありそうもない。
といいつつ、我々の把握できないどこかで、こういう関係性はまだあるのかも…どうだろう。



「いつでも遊びに来たまえ」と鳥山明尾田栄一郎が名刺をわたしてくれますかっ。
板垣恵介が…これは、「武」や「侠」を鍛えた漢なら、まぁほんのちょっとは、あり得るかもしれない(笑)
藤田和日郎島本和彦は微妙にありそうなので、周囲が止めてあげてください(勝手なイメージ)




でも、そんな出会いが、それでもどこかに生まれているかもしれない。
あるいは、20話のように、飲み屋で不思議なトークをして帰っていったあの男の自称や半生の記は、単なる与太話だったのかもしれない。


そういうことをひっくるめて、「あだち勉物語」の19話、20話は【大人のおとぎばなし】と認定したい。
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