あとで追加というか文章を書くから、まずリンクだけ張っておくわ。(その後追加した)
「よふかしのうた」最終回
えーと、自分はそれなりのこの作品を紹介したけど、一貫してこのマンガの「愛読者」じゃなかったんだわ。でもなんというか、「おそらく中高生、サンデーの読者の核には、この作品は響きそうだなあ」という感じで”観察”してたというか。その中高生像はまったくの想像なんだけどさ(笑)それも、「サンデー読者の核」としたのは、何かの屈託を自分の青春、学校や社会に感じながら、それを表面には出さないというか。疑似優等生と言うか
それを端的に示したエピソードがこれだな。
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あとついでだから反響があったこれにもリンク(笑)。
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通算200話だったか。お疲れさまでした。
「龍と苺」重要人物・宮村(じーさん)の癌、余命はわずか…
途中で重要人物が、病気で退場していくというのは普通の話ではあるのだけど、この作品で宮村氏が癌で余命僅か、というのはちょっと重みが違う。
そのことに焦点を当てた回が、実は今の回の前だか前々回なのだけど、その時は紹介し損ねた。主人公以外にも、とがった才能があった問題児が、この老人によって救済され、道を開かれていた…という話が出てきた。
あだち勉物語、時代が1990年代半ばと2000年に飛ぶ。赤塚不二夫が”復活”、そして…
たしかに、赤塚不二夫の旧作品がリメイクで人気を博し、一時期”復権”した時代があった、あった。
だけどまあ、再度新作を描いて大人気、ということじゃなかったんだよね。画業40周年を祝う会には藤子・F・不二雄氏もかけつけた…彼は60歳で急死したから50代後半、赤塚不二夫はトキワ荘でもひときわ若いからその下…今の時間感覚だと「まだ全然できるじゃん!」だけど、当時は、そして漫画家という職業的には「一昔前の引退選手」的扱いもされてたんだよな。そもそも手塚治虫が1989年にF先生と同様60歳で死去。彼がその年にその年齢で死ぬ、ということは戦後漫画家の『老後』のロールモデルが、当時はほとんどなかった、ということでもある。
「(結果的に)最後の作品」を、有名漫画家になったかつての弟子が集まり、描くシーンが描かれた。
同時に、若くて颯爽としていた「あだち充」も、ハードな仕事も相まって健康状態に不安…
そして兄、あだち勉は、飛び回る忙しさがなくなり、暇になってパチンコ三昧。だが才能、意欲が完全に枯渇したならそれでいい。問題はそうでない、ことだ。
おもしろおかしいエピソードを座談で話せば「それを漫画にしたい、原作を買いて」と乞われる。
あだち充が「才能は俺より兄貴のほうがあるよ」とさらりという。しかし、それは形として残るのか…
あーついでにこちらも恒例で