タレントの大橋巨泉さん 死去 | NHKニュース http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160720/k10010601801000.html
大橋巨泉さんは東京都出身で、早稲田大学に在学中からジャズの評論を始め、大学を中退後、放送作家としてテレビの世界に入りました。
昭和40年から民放で放送された深夜のワイドショー番組「11PM」で初めて司会を務め、番組の顔として20年以上にわたって活躍しました。
また、人気クイズ番組やバラエティー番組などの司会にも抜てきされ、競馬やマージャンなどの娯楽を積極的に取り上げたほか、じょう舌で機転の効いたコメントや幅広い知識を基にした評論が人気を集めました。
昭和44年には、万年筆のテレビコマーシャルの出演で「ハッパふみふみ」という流行語を生み出したほか、政治的な発言や著書でも注目されました。
平成2年には56歳ですべてのテレビ番組を降板して「セミ・リタイア」を宣言し、ゴルフやジャズなどで余生を楽しみたいと、1年の大半をオーストラリアやカナダなど海外で過ごしていました。
また平成13年には、参議院選挙に当時の民主党から立候補し当選しましたが、「フリーな立場でものを言いたい」として半年足らずで辞職……
大橋巨泉氏は70年代の活躍の山と、80年代の活躍とふたつの山があると思う。このうち70年代のほうは年代的に知らない。
80年代は本来はリアルタイムだったのだが、自分はあまり「クイズ番組」が好きではなく、これらの番組を積極的には見てなかった。
しかし、おどろくべきことは、見ていなくても上のような大橋氏の軌跡はそれとなく伝わってきて、知っているということだ。
また、各種のクイズ番組やバラエティショーなどは、単に司会をするのではなく、ぜんぶ「企画」からかかわったのだという。
関口宏も、番組企画にかかわる一人でもあり、このへんも人脈的につながるのも面白い。
「セミリタイア」については、セミリタイア自体を売り物にして、その後「セミリタイアの巨泉が、特別にこの番組に出演!!」的なプレミア感を自分でプロデュースしたのだからすごい。
で、そこで業界内でもいささか鼻につくひとがいたであろう、「大物ぶっている」「自慢ばっかり」的な半分は事実であろうキャラクターをタモリやたけしが巧みにお笑いの文脈に変換し、それを許容して乗っかることで………という、ナンシー関がいった「業界内の人脈や人間関係自体のネタ、コンテンツ化」を仕掛けた中心人物にもはからずして??なったのではないか。
実際、うちの親なんかはたいへん巨泉が嫌いで、その理由は「ゲストに対する態度が失礼だ」と。
しかしフレッド・ブラッシーやザ・シークがそうであるように、観客はやつに対してブーイングするためにチャンネルを回し、そのたびにブーイング対象者のポケットはゼニで膨らむのでした。典型的なヒール人気ですな。
まあ、このへんのことは知らないことばかりなので、浅い知識で言ってるだけですけどね。
ここから本題。
大橋巨泉人脈に、藤子不二雄A氏が入っていることの不思議と必然。
大橋巨泉後期の成功作品のひとつが「ギミアぶれいく」で、この大人向けの夜のバラエティトークショーの中に、ミニアニメとして藤子不二雄A氏原作の「笑うせェるすまん」が放映されていた。それが放映されるまで、藤子不二雄A作品の中ではそれほど有名だったとは思えない。
だが、いまでは代表作品のひとつだ。
でも、そもそも元祖「ウェーイ系」「リア充」といってもいい(笑)大橋巨泉氏の華やかな人脈と、机に座って地味にカリカリやる藤子不二雄A氏がどこでつながったのだろうか…って、銀座かなあ、と思ってた(笑)。
追悼コメントを当然A氏も寄せているが…
藤子不二雄A氏「自分の人生貫いた」/巨泉さん悼む http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1681777.html
巨泉氏とはもう40年のつき合い。仕事上の接点はなかったが、ひょんなことから知り合いになった。「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造のモデルは彼。あの体形と独特な顔ね。性格はまったく違うけど。本人に言ったら「またあ、僕を使って」と笑っていた。巨泉氏はとにかくゴーイング・マイウエー。妥協せず自分の人生を貫いた人。それを何十年もやってきたから、満足しているんじゃないか。
私のブクマ
“仕事上の接点はなかったが、ひょんなことから知り合いになった” いや、その「ひょんなこと」を教えてよ!しょうがないから稲垣高広(仮面次郎)http://d.hatena.ne.jp/koikesan/ さんに聞く
http://b.hatena.ne.jp/entry/295126456/comment/gryphon
相手の迷惑はこの際かえりみない(笑)。実際にA先生とも交流の深い、koikesanのブログにとつげきー。
以下、氏のブログ記事のコメント欄。
http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20160720 (※のコメント欄)
gryphon 2016/07/21 00:11
(略)
…A先生の盟友である大橋巨泉氏が逝去されましたね。
実はよくわからないのですが、お二人はどういうきっかけで交流を深められたのでしょうね?ゴルフだったり銀座の飲み会だったり、なのかもしれませんが。
A先生の「わが大橋巨泉」の回想をうかがってみたいし、A先生の中では地味だったような気がする「せぇるすまん」を、大人向けの短編アニメとしてバラエティの中で放送すればウケる、と巨泉氏が発案したのなら、さすがの慧眼だといわざるをえません。
いまや代表作のひとつなのだから。
id:koikesan
>gryphonさん
(略)
…A先生は大橋巨泉氏ととても親しかったので、今回の訃報に触れて、寂しい思いを抱かれていることと思います。
A先生によれば、巨泉氏とは「11PM」にゲストで呼ばれて会って、初対面だったけれどなにか気が合ったのだそうです。たぶんゴルフの企画だったんだと思います。
A先生も巨泉氏も昭和9年3月生まれなので、それも気が合った一つの要素だろう、とおっしゃっています。「ギミア・ぶれいく」内で放映するアニメ作品として『笑ゥせぇるすまん』をセレクトしたのは、A先生ご本人のようです。
巨泉氏から、近々大人向けのバラエティ番組をスタートさせるので参加してほしい、と電話で依頼があって、そのさい、10分間のアニメ番組をやってほしい、と言われたのだとか。そこでA先生はいろいろ悩んだ末、『黒ィせぇるすまん』(『笑ゥせぇるすまん』に改題)を選んだのです。自分の作品のなかで、遅い時間帯に放送するのに合った大人向けのモノとなればこれだろう、というご判断です。大橋巨泉氏のご冥福を心よりお祈りいたします。
塁塁 2016/07/21 11:05
失礼します。
大橋巨泉さんといえば、藤子不二雄A先生原作の、笑ゥせぇるすまんの主人公の、喪黒福造のモデルとなった方として有名ですが、A先生は巨泉さんには、その事を教えていなかったようですね。
巨泉さんは、後年テレビでその事を知らされて、「初めて聞きました」と驚き、その後A先生に、「僕を、使って」と、笑っておられたそうです。
A先生は巨泉さんの事を、「態度が大きく横柄そうだけど、性格は全く違い繊細だった」と、人柄をしのばれていました。A先生も、照れ屋な方ですので、その点でも意気投合したのかもしれません。
巨泉さんとは、A先生とは親友でしたが、F先生とは1度しかお会いしたことがなかったようですね。
喪黒福造を演じた大平透さんとも、親友だったそうですが、大平さんの後を追うように亡くなりましたね。
同じく親友だった、永六輔さんの訃報を聞かされていなかったようで、今ごろ向こうで再会して、驚いているのかもしれませんね。
巨泉さんの、ご冥福をお祈りいたします。
(ただ、11PMには、よく騙されました。)
A先生も、体調がおもわしくないようで、年齢も年齢だけに心配です。
MIDO 2016/07/21 14:18
昨日の大橋巨泉さんの訃報に触れて、A先生のコメントはないのかなと思っておりましたが、本日の読売新聞朝刊に載っておりました。単なるコメントではなく、追悼記事として大きく紙面をとっていました。
koikesan 2016/07/21 16:32
>塁さん
A先生にとって同世代のご友人や関係者の訃報に触れる機会が続き、A先生のご心中察するに余りありますが、A先生には心身ともに末永くお元気でいていただきたいと願うばかりです。
>MIDOさん
記事の情報をありがとうございます。
A先生と巨泉氏の親交の深さを思うと、先生のコメントの奥にある、言葉にならないご心情が想像されて、なんとも胸が痛みます。A先生の末永いご健康をお祈りしたいです。
「世代が同じ」というのは大きいんだろうね。
自分がここに興味があるのは主に二点。
まず
赤塚不二夫が率いた「よくわからないけど面白い連中が集まる場」の情景。「トキワ荘」や「ジャンプ放送局」もかな? - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160626/p3
という話ともつながるのだろうけど、70年代か80年代に、やはり「飲み会」的なもので文化人、有名人が集い、飲み、語り会う中で文化的な企画やアイデアなどが固まり、そこから実際に番組につながる…ということがあったようだからだ。いや、今でもあるだろうし、当時も無数のこういう「飲み会結社」はあったのだろうけど、赤塚氏や大橋氏はその派手好きゆえに、そういうものの存在が「可視化」されている。
その中の交流、実際に銀座で飲むような仲間の雰囲気が「ギミアぶれいく」にはただよっていたと聞く。
そこに藤子不二雄A氏がいるわけだが…漫画家と銀座のクラブ。
つながるようでもあり、つながらないようでもある。
そもそもクラブで飲むのが好き、とか「おれも銀座のクラブで飲むようになったか…」というのが成功の象徴な文化は…いまもあるんだろうな、どこかには。
しかし、やや衰えているような気がする…。
もちろん、今だって「重版出来!」にも「まんが家総進撃」にも「編集王」にも、飲み屋(とそこのおねーちゃん)が大好きな漫画家、そこには何の興味も、そこでのふるまい方もわからないような漫画家両方が出てくる。後者が前者にクラスチェンジすることもままある(笑)

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しかし、藤子不二雄A氏の世代、大橋巨泉氏の世代は、やはりその価値が大きかった世代の人だった。おかねもあるのに、飲まない手はあるまい。
多忙を塗って、銀座で一杯やるうちに、漫画の世界とは違う大きな人脈を藤子A氏は自然とつくりあげ、それが映画「少年時代」にもつながった、ということなのだ。
しかし!
藤子A氏は、もとは非常に漫画家らしく??非社交的で、人見知りするタイプだったという…
それがなぜ、社交的になったのか?
その秘訣、興味ありますね・・・・
実は、「藤子・F・不二雄氏が、自分に数倍する人見知りで、編集者や業界人との交渉はすべて、『安孫子、おまえやってくれ』だった。そこで無理して人に会って話しているうちにだんだんと社交的になっていった」のだという(笑)
あまり参考にならない社交術、人間関係生成術でありました(笑)。もちろん漫画家として謙遜し、おもしろおかしく語っている面もありましょう。
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20121224
http://ch.nicovideo.jp/fujipon/blomaga/ar372698
「阿川佐和子のこの人に会いたい」(文春文庫)より。
(1996年10月の藤子不二雄(A)(安孫子素雄)さんとの対談から。)
(東京に出てきた当初のことを回想して)
藤子(A):「藤本君は、非常に人見知りが激しくてね。昭和29年に、東京に出てきてトキワ荘に住んだ頃は、編集者が来る頃になると、「ちょっと散歩してくる」って出ていっちゃう。自然と僕が応対して、編集者が藤子不二雄は僕だけのことだと思ってた時期もありました」
F先生は、かなりシャイで人見知りが激しい人だったようなのですが、遊び好き、社交家のA先生がパートナーとして、F先生をうまくフォローしてくれていたのです。
F先生がもしひとりで漫画家になっていたら、漫画家生活の入り口のところで、挫折してしまったかもしれません。
あまりにそういうことをやっていったため、こんな不安も一時はあたまをよぎったとか。
ドラえもん大ヒット時、藤子不二雄A氏は「このままだと藤本君のマネージャーになるかも…」と不安だったという(読売新聞) - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100709/p8
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「明日にはあがります。」の小光栗夫先生も、あのあと多少は社交力を身につけられたのでしょうか(笑)。アシスタントの彼女も含め、やや不安だが…

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以上、
大橋巨泉氏の訃報から、やや脇道にそれて藤子不二雄A氏との交流、そしてそこから、「漫画家の社交」や「文化人の飲み会交流が文化を生んだ時代」についてちょっと思う所を書かせていただきました。