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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

村上もとか「フイチン再見!」も完結。最終盤は手塚・赤塚などレジェンド漫画家の苦悩や、若き日の姿も描かれた。

尾瀬あきらどうらく息子」が最終回/「昭和元禄落語心中」と立川志らく - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20170321/p1

を書いたら、ブクマが自分の予想の何倍も来た(つっても17だけどさ)。ビッグコミック系の漫画は、皆さん読んでるのか読んでないのか、関心があるのかないのか…普段は読んでないから、こういうところで情報を仕入れている感もあるしな(笑)


実はそのとき、まとめて書きたかったが時間がなかった。表題のように村上もとか「フイチン再見!」も完結。

年度末できりよくおしまい、な感じもありです。
実際、最後の数回は駆け足でのダイジェストっぽい部分もあり、「ここはそんなナレーションで済ませていいの?」と思ったりしたところもね。


ただ、この作品はそもそも、村上氏の「JIN」、ドラマが世界的大ヒットとなった(のですよ、だいぶ海外で売れた)と。

https://www.newsweekjapan.jp/newsroom/2010/10/post-165.php
日本制作のテレビドラマから日本人審査員が選ぶ「東京ドラマアウォード」各賞と、アジア8カ国から30人のバイヤーたちが選ぶ「アジア賞」の受賞式が開催された。今年は、「東京ドラマアウォード」の連続ドラマグランプリと「アジア賞」のどちらも、09年10月から放送された大沢たかお主演のドラマ『JIN−仁−』(TBS)が獲得。『JIN−仁−』は、大学病院の脳外科医・南方仁大沢たかお)が江戸時代にタイムスリップして満足な医療器具も薬もないなかで人々の命を救うというストーリーで、勝海舟坂本龍馬らも登場する医療SFの時代劇だ。このドラマは、10月に仏カンヌで開かれた世界最大のコンテンツ見本市MIPCOMで、主にヨーロッパの審査員が「最も買いたい日本ドラマ」を選ぶ「MIPCOMバイヤーズ・アウォード」も受賞。今回のフェスティバルと合わせて3冠に輝いた


そんなヒットで余裕のある村上氏が、おそらくは「一般的に人気を博するかどうかとは別に、描きたいものを描く」つもりではじめたんじゃないかなあ、と思うのです。フイチンさんは自分も名前は知っているが、それは漫画史の研究書によるもので、たとえばサザエさんやアトムや鉄人28号がいまでも人気、というのとはちょっと性質が違うし、作者の上田としこ知名度がめちゃくちゃ高いわけではない。だからまあ、地味な反響だったような気がするけど、それは織り込み済みではないかと思います。


そんな中で、それでも高度成長期では女性漫画家の大御所的存在だった彼女は、多くのレジェンド漫画家と親交があり、また少女漫画の世界で、まさにいま大御所(御台所?)的な方々のデビューしたてのころを見てきた。
この作品の最終盤は、そういう光景を村上もとかの丁寧な筆致で眺められるのが楽しかった。

以下、点描。

手塚治虫、その大スランプと復活

 


手塚治虫のさまざまな評伝や研究を読んでいる人なら、「ブラックジャック」の大ヒットで奇跡の復活を遂げるまでは長期のスランプ期間があった(今の目で見ると、この時期もめちゃ傑作描いてるのだが、一般的な人気の話)ことはご存知でしょう。そもそもブラックジャックの連載も「うちで手塚の死に水をとってやろう」が編集部の合言葉であって…
 
少し前から、手塚治虫の評伝を「手塚を勝手にライバル視する架空の漫画家」の視点で描いているコージィ高倉氏の「チェイサー」でも、少し前からこの時代が描かれている。



そんな時代に、本当に上田としこ氏に苦悩をぶちまけた場面があったかはともかく、こういう形で村上氏の筆により、漫画史の一場面が描かれたわけです。
手塚の「才能ある漫画家への嫉妬」というアレも、もはや俺的にはおなじみのネタだが、あれやこれやを合わせて考えると面白い。
はい、手塚の嫉妬ということでは、こちらを参照。

手塚先生吼える http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_77ce.html
『ボクにいわせれば、白土三平氏や赤塚不二夫氏や、水木しげる氏を推賞する一部批評家ごとき、なんにもわかっちゃいない連中だと思う。あの作家達は優秀な作品を生んでいるには違いないが、それは現時点での評価であって、あと五年後にはどうなっているかわからない。そんなおとなに限って、手のひらをかえしたように、「ああ、そんな作家も、いたっけねえ」というだろう。』
 
『漫画は著しい進歩をとげて──と書きたいところだが、残念ながらそうは思えない。しいていえばぼくが戦後漫画の開拓をしたあとは千篇一律のごとく、ぼくの手法の踏襲でしかなかったと思う…(略)それは漫画にとって悲劇だ。も一度漫画に新しい息吹きを吹き込まねばならない。そして、それのできるのはぼくしかないと思っている。』

手塚治虫×石ノ森章太郎展」開催で、二人の関係を描いた作品などを振り返る。http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130630/p1

手塚の睡眠時間で、さらに不眠症になるってのが可能なのもすごいな(笑)


なお、上田としこ氏のアドバイスはかなーりざっくりいうと
「そんなに苦しいならやめちゃえばいいんだけなんだけどさ、どうせあんた絶対やめないでしょ?」(大意)

というもので、まさにその通りだった(笑)。

いま、引退だ復活だを繰り返す某アニメ作家も、こういう目で見てあげればいいのだ(笑)


赤塚不二夫「もう、笑わせられない。なら笑われよう」

昨年6月にこんな記事を書きました。

赤塚不二夫が率いた「よくわからないけど面白い連中が集まる場」の情景。「トキワ荘」や「ジャンプ放送局」もかな? - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160626/p3

赤塚不二夫の葬儀の時にタモリは弔辞で述べた「わたしも、あなたの作品のひとつ」という言葉のように、今でも「タモリが見いだされた場」として、赤塚不二夫が率いた「なんだかわからないけど面白いことをやってるグループ」のことはよく知られている。自分もまったく世代的に彼らの活動を見ていないが、これもレジェンドの一環として話を聞くことは多い。

しかし当時としては…特に漫画家仲間からは

「(漫画の)芸が荒れてる」
「本業をおろそかにしてる」
「というか最近はヒット作ないじゃない」
的な冷たい見方もあったようなのだ。


しかし!本人が、それを一番わかっていた、とこの漫画では描かれる。(リアルにこんな発言を上田氏が聞いていたかは、上と同様にどうでもいい)
 

「爆笑ギャグ漫画の傑作を描いた作家の、ギャグマンガ家としての寿命は10年」説はよく聞くがその典型だったのかもしれない…それを覚悟したうえでの、プロデューサー的、道化的立場に身を置いたのなら、その心境はいかばかりだったろうか。

上田としこ赤塚不二夫は、ともに満州からの着の身着のままの引揚者であった。ちばてつお氏も。
この作品では戦後、漫画の訪中団となった2人がともに大陸の夕日を眺める。


少女漫画家、若きレジェンドたちの台頭

   

みな、大物ですなあ。
この座談会は「COM」のためになされたというのが時代。ベルばらブームも、描かれている。


こんな時代時代を切り取った、「フイチン再見!」ともあれ、完結しました。


この作品についてうちのブログでは、べつに2回、まとまった記事にしていました。

二人の巨星、ついに出会う…「フイチン再見!」最新回で、上田としこ長谷川町子と対面。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160622/p5


フイチンさん作者は「戦争のために、男女平等を!」と満州で叫んだ…「赤と白」の旗と、その他の旗と。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140519/p2