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葛藤も不安も、恋愛もあった…伝説から史実へ。「手塚治虫とトキワ荘」中川右介

手塚治虫トキワ荘」という書籍がつい最近集英社から出ました。作者は中川右介

手塚治虫とトキワ荘

手塚治虫とトキワ荘

日本のマンガは、このアパートから生まれた。
手塚治虫藤子・F・不二雄藤子不二雄A石ノ森章太郎赤塚不二夫
……若き日の巨匠たちが集った聖地・トキワ荘
日本のマンガ出版史を描き切る決定版評伝。

東京都豊島区椎名町にあった木造二階建てのアパート、トキワ荘
1950年代、ここに住んだ手塚治虫の後を追うように、
藤子不二雄A藤子・F・不二雄石ノ森章太郎赤塚不二夫らが居住したことで、
このアパートはマンガ史に残る「聖地」となった。
戦後、日本のマンガ雑誌が、月刊誌から週刊誌へと変貌していく過程で、
トキワ荘に集ったマンガ家たちがたどった運命、
そして、今もトキワ荘が伝説となって語り継がれるのはなぜか。
膨大な資料をもとに、手塚治虫トキワ荘グループの業績を再構築し、
日本マンガ史を解読する「群像評伝」!

彼らはみな東京以外で生まれ育った。
マンガ家になろうと東京に出てきたとき、どうして同じアパートに住んだのか。
まるで神の見えない手に導かれたかのようだ。
しかし、広い東京で偶然ということはありえない。誰かが、彼らを一箇所に集めたのである。
「マンガの神様」と称された手塚治虫なのか。どこかの雑誌の編集部なのか。
手塚治虫トキワ荘』は、この「誰か」を突き止めようということから出発した。
〈「青春と読書」2019年6月号より抜粋〉


面白いけど伝説に彩られ過ぎな「トキワ荘物語」を、どう厳密な事実に基づいた「正史」とするか。完全ではないが一つの試みだろう。
ただ…この本を評論するのに正直自分は、ふさわしくないと思う。
というのは各種のプロレス本なんかもそうだけど(笑)、この有名なトキワ荘を巡る物語―群像劇なので証言者も多数だ―に対して、かなり自分は いろんな本やドキュメンタリーなどを見たり読んだりしている。
そのせいで、1から説き起こした通史本を読むと、正直大抵のことは知ってるんですよね。ただし、この一冊でトキワ荘のことを知りたいという人には、 そういう部分は欠くべからざる情報なわけで、初めから受け止め方にギャップはある。
そういう意味で、自分はこの本に熱狂するには、エピソードや話の流れを『知り過ぎて』しまっていたけど、本来的には「一冊でトキワ荘の歴史を知る」という第一義的な意味においても、なかなか堅実な作りがされた本だとは思います。

伝説と正史という話でいえば、「トキワ荘をめぐる物語」は、ほとんどが クリエイターとその周辺にいた人が語ってきた。つまりお話を大げさに、ドラマチックにすることの専門家…有り体に言えば嘘つきの集団ということだ(笑)。
だからこそこの物語が面白くなったんだけれども、それはそれとしてそうゆう部分を、ちゃんとした事実に戻すという作業も行なっている。そして当然、少なくとも私個人が知ったり、再確認したり、既に知識としては知っていたことだけど改めて印象に残った事実もある。



以下、メモ代わりに、自分が改めてしったもろもろのことについて箇条書きしていきたい。


手塚治虫藤本弘安孫子素雄赤塚不二夫の四人は、思春期に父が不在となり母との関係が強いという点で共通する(手塚、赤塚の父は存命していたが、戦争との関係で不在だった時期が多かった)

手塚治虫のデビュー作「マアチャンの日記帳」は、自分から積極的に売り込みをして掲載されたようだ。その後の作品も結構自分から積極的に売り込んでいる 。

新宝島の原作者だった酒井七馬手塚治虫は、その再版の扱いをめぐったりしてトラブルになり、絶縁した。自分もその手塚からの伝聞で、 極貧のうちに亡くなったと思っていたが「これは事実ではない」そうである。

トキワ荘が漫画家の巣窟になったのは偶然ではなく、寺田ヒロオが大家さんから絶大な信頼を受け「空き部屋が出たらいち早く寺田に教えて、寺田ヒロオの紹介の紹介する人物を優先して入れた」からではないのかと同書では推測している。だから寺田は、もちろん性格もあるが、新しい漫画家の生活や経済状態全般の面倒を見たわけだ。

藤子不二雄手塚治虫と初めて会った時のことは、「まんが道」でも詳しく書かれているけど、 当然それは 藤子側から見た描写に過ぎない。徹底的に手塚治虫を神格化したとも言えるこの作品では、手塚の創作性に最初から最後まで二人は圧倒されて、自分の未熟さを恥じているのだが、手塚側から見れば持ち込まれた「ベン・ハー」などの原稿を見て驚愕し、こりゃとんでもない書き手が現れると「怖れ、期待し」「最初から僕のライバルだった」と証言している。これは最近、twitterで映像が少しバズったね。
これな

ジャングル大帝の最終回を藤子不二雄A先生が手伝い、クライマックスシーンではチャイコフスキーの悲愴が流れた 、という 話も漫画道で描かれているが、これは出版社で缶詰状態で書かれていたので、そこを偶然「つげ義春」が訪れていた。もちろん当時の安孫子素雄をつげが知るわけもなく、互いになのるでもなかったらしい。

まんが道 2 立志編 1 (My First BIG SPECIAL)

まんが道 2 立志編 1 (My First BIG SPECIAL)


石森章太郎手塚治虫のアシスタントをしたことがあったが、三つ子の魂百までで当時から書くのが速く、すぐ仕事が終わってしまった石森は「なんだか手伝った気がしない」とヒゲオヤジその他までペン入れをしてしまい、手塚はそこを書き直し。その後石森はデビューも早かったため、あまりアシスタントをしないで済んだ。

藤子不二雄が漫画家になるために本格的に上京したその日二人は手塚治虫と一緒に映画「素晴らしきかな人生」を見ている。

・あまり描かれない話ではあるが、まんが道の登場する森安なおやは、作品ではそりゃ「いろいろ傍若無人だが、憎めない人物」として描かれている。ただ現実にはやっぱり周囲と金銭的、感情的な軋轢になることもあったようで、1回は森安なおや寺田ヒロオの葛藤から「新漫画党」は解散の危機になったこともあったそうだ 。そして最後、森安なおやトキワ荘の家賃を6ヶ月滞納して逃げるように去り、これにはさすがに寺田も激怒して「新漫画党」から、彼を除名し「二度と付き合わない」としたそうな。だから森安なおやは「新漫画党除名者」なのである

藤子不二雄は上京してから基本的に仕事がひっきりなしに入る、 すぐに売れっ子になったと言っていい。伝説の原稿落とし干され事件も、客観的にみれば「謹慎」は1年ちょっとで済んだ。

トキワ荘の貧乏物語は、 客観的に見れば売れるのが遅かった赤塚不二夫から発信されたものが多い。石森章太郎と特に仲が良く、売れっ子石森を手伝っていたのだが、友人関係から続くトキワ荘の漫画の「手伝い」はまさに相互扶助の手伝いで、アシスタント代は発生していなかったのだ。今から思えば理不尽かもしれないが、この本の作者は「金銭関係が発生しなかったから、 二人は対等の友人関係でいられた。もし支払いがあったらギャグ漫画家の赤塚不二夫は生まれず、石森プロの有能なアシスタント赤塚不二夫だったかもしれない」と指摘している。

・一方石森章太郎も収入はものすごいけれど、計画性なく本や映画やレコードにと使っていたので、そういう面では苦しかった。 寺田に相談すると最初はにこやかに貸してくれたがそのうちに「もう少し計画性をもって」と説教されるようになったと言う


・石森の世話をするために上京して、 喘息で若くして亡くなったお姉さんは確かに美人でトキワ荘の皆の憧れだったそうだ。 で、実はこのお姉さんも…あくまで石森章太郎がその後小説という形で書いた記述だが…以下引用する。

石森の「章説・トキワ荘・春」には、言えからトキワ荘の仲間の「XXさんが好きなの」と打ち明けられたとある。藤本か我孫子らしいのだが明らかではない。打ち明けられた石森は「病気なんだから」と言った。恋愛より治癒が先という意味だったかもしれないが「姉の恋愛」に嫉妬したのかもしれない。そう言われた由恵は泣き続けた、と石森は書いている。

章説 トキワ荘の春 (石ノ森章太郎生誕70年叢書シリーズ)

章説 トキワ荘の春 (石ノ森章太郎生誕70年叢書シリーズ)