さいとうたかを先生が亡くなられた。
彼は何しろ、半世紀を超える膨大なキャリア持ち主でゴルゴ13というのはある意味で後半の、ごく一部の仕事でしかない。それだけで語るのはあまりに中途半端である。
ただ自分の体験としては、 やっぱりほとんどそれである。ゴルゴ13を最初に知ったのは「こち亀」での一話だけにパロディ「ごるご十三(じゅうぞう)」…最初のゴルゴにどんな当て字があったのかなあ。何巻だったかなあ?今は調べればすぐ分かるんだけどね…後でやろう。なおその後出てきた「ボルボ西郷」とは別人です。
※調べた。「後流悟十三」です
【こち亀】24巻232話『ニューフェースの任務の巻』 どこかで見たような顔の新人・後流悟十三(ごるごじゅうぞう)が卒配になった。十三は見た目によらず笑い上戸で、くだらないギャグで表情を変えずに笑い、両さんに面白がられる。 pic.twitter.com/7oJcXvktRr
— 赤松 (@akmk2) May 1, 2015
「…」のセリフも、相手に背後に立たせない癖も、表情を全く変えないことも、報酬はスイス銀行に振り込まれることも、全てこの一回出てきたパロディキャラによって知ったのだから情報量が多すぎる(笑)
その後もこち亀では自分が長期連載になったこともあり何度も台詞などでは「 ゴルゴ13」の名前が頻繁に登場した。
こち亀の一コマ。ここではギャグとして言ってるけど、さいとう先生は機械のようにずっと描き続けてくれるだろうと、心のどこかで思っていた気がする。そんな訳ないのに。 pic.twitter.com/LDL8QeOCo4
— リアル集会所@味処富士屋 (@real_shukaijo_F) 2021年9月29日
なので、その後、簡単ないわゆる「コンビニ風単行本」が、なんの拍子にか…おそらく古本市ですごく安かったとかそういう理由だと思う…手に入ったのを見たときは、「ああ、あれか」状態だった。
そして読んだ時は、超人的な殺し屋のアクションやスゴ技よりも、むしろ圧倒的に「現実社会の国際情勢や社会問題を漫画のストーリーに落とし込んだ」ところが面白かったと記憶している。それは多分先にエリア88や パイナップルARMY&MASTERキートン、そして落合信彦のノンフィクション(笑)を読んでいたからだろう。
(それらの作品は、そもそもがゴルゴ13の影響下にあった、と言ってもいいと思う。)
その頃新聞や雑誌の国際面や政治面も読み始めて、すごく面白かったから、そういう時期の国際情勢の知識を知ることができる作品、というかなり浅い読み方しかしてなかった気がする。
だから自分はそれほどさいとう氏を追悼する資格がない。
あ、でもその前に「サバイバル」を飛び飛びに読んでいたか。子供にとってはあの作品は「怖い」ものだった。
さいとう・たかを氏の『サバイバル』は大名作のサバイバル漫画なので、未読の人はぜひぜひ。 pic.twitter.com/xTsnh5eyiB
— ウシムラユウ(ちくわうし) (@CHIKUWA_USHI) 2021年9月29日
その後「小説吉田学校」のコミカライズも読んだな。 戦後保守政治の流れを、リアルタイムで知らない世代が知るには、今なお最高の教科書である。政党間の駆け引きや党内闘争は、基本的にリアル教科書には登場しない(そんなスペースを割けるわけわけじゃない)からだ。
さいとう・たかをが描いた斎藤隆夫を、少しだけ。 pic.twitter.com/8aTSz0nXLc
— 小山俊樹 (@tkoyama3) 2021年9月29日
みなもと太郎氏らが語っていた、さいとう・たかをの革命性。なぜ2人が同時期に亡くなるのか…
さいとう・たかをの漫画史における業績全体を知るのは、故みなもと太郎氏の指摘によるものである。
…私が林さんに連れられ初めて先生にお会いした時からして、先生はもう怒っていらした。私が名乗るか名乗らないかのうちに「はい、どうぞよろしく。ところであなたはさいとう・たかをが起こした革命についてどう思いますか。今の青年漫画の隆盛は1960年代にさいとう先生の原稿持ち込みがなければありえなかったものです。漫画が子どものものとされ、大人向けの漫画としては8ページが長編と言われていた時代に、青年向けはこれから絶対に儲かるから週刊誌はまずわしの劇画に20ページ割け、60ページ割け、100ページ割けと、さいとう先生が出版社にかけあってこのジャンルを開拓して下さった。評論家は誰もこのことを言いません。なぜ見て見ぬ振りをするのですか。情けないとは思いませんか」。いきなり始まったので相槌すら打てずに…(後略)
to-ti.in
※上記引用記事では「さいとう・たかをが起こした革命」から、以下のところにリンクが張られている。
miyearnzzlabo.com
だからみなもと太郎氏の逝去直後に、さいとう氏も亡くなるなんてあまりに「神様ひどい」の話で、まずみなもと太郎を十分に追悼した後、氏の業績の一つとしての「さいとう・たかを再評価」にスポットライトが当てられ、その議論の一つ一つを整理検討していき、それをまずさいとう・たかを本人にぶつけて、「実は彼のいう●●は、XXXXというきっかけがあってね…」みたいな更なる証言をしてもらい、それが15年ほど続いて(笑)、それでやっと一区切りついたな、となるべきではありませんでしたか…先生よお……。
で、みなもと氏の指摘は微にいり細にわたるものであるけれども、あまり詳しくないと思うが「あー、なるほど。これがなかったら今のマンガ文化はないな」と納得するのは、上でみなもと太郎が力説しているように「さいとうたかをが『俺に60ページ、100ページ書かせろ』と強引にねじ込んで、今の漫画の『スペース』を確保した。それまでは、漫画は一回8ページぐらいが当然と言う固定観念がどの雑誌にもあった」というね。もちろん貸本の書き下ろしは違うのだろうけど。
同じくみなもと太郎が「漫画文化はテレビの登場で、紙芝居のように滅びてもおかしくなかった。それを救ったのは劇画と「シェー」(赤塚不二夫のおそ松くん)だ」と語ったのはこの前紹介したとおり。
「劇画革命」は最終的に、成功しなかった。それは、なぜだろうか……
そして、今回ゴルゴ13で「だが物語は続く」と宣言できた、プロダクションとしての堅固な制作システムを構築した件。
これもまたこち亀が、とんでもないパロディを描いて…いや名指ししてないけど「このマンガのモデルはさいとう・たかをだ!!」とずっと言われてて(笑)
ごくまれには「いや、これは美内す(略)」……
さいとうプロダクションは「さいとう・たかを本人はキャラの目しか書いてない」とギャグにされた事もあるけど(勿論そんなことはないのだが)、徹底された分業システムを確立するとたとえ作者が倒れても作品そのものは生き続けるってことだから、それって凄く素晴らしい事なんじゃないかと思うんだよな。 pic.twitter.com/l6rknw5s3U
— フジヤマタカシ@YouTubeやってる (@fujiyamax) 2021年9月29日
よくこれ、怒られなかったですねホントに。
このシステムは元々「誰でも手塚治虫になれるわけではない」というところから始まったと言われてる…それか本人もそういってた。
さいとう・たかを氏と、手塚治虫との関係も、様々な伝説に彩られて真相は見えにくい。手塚は手塚で人当たりが良いし、さいとう氏は露悪的だし、中間的な語り手である藤子不二雄A氏も含めて「話を盛る」しで…しかし手塚治虫がさいとう氏に代表される「劇画」に脅威を感じ、そしてその手法を大胆に取り入れたこと、ここは間違いないところ。
しかし、その一方で「最終的に劇画は天下を取り損ねた」ことも、令和3年のいま、客観的事実として確定させてもいいのではないか。
自分がそのメルクマールとしているのは何と言っても「いわゆる”アニメ絵”が、世界に進出し、一つの技法として国際的に共有されることになった」ことです。
関連の記事を何度か書いているので、そちらに詳細は譲るとして…
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自分らの世代は「アニメ絵って、別の絵柄との競争を戦って戦いぬいて、最終的に勝利したよね」と言われれば「ああ確かにそうだね」と答えられる最後の世代なんじゃないだろうか。我々より下の世代は、アニメが主流に治っているのが当然、生まれながらのアニメ絵世代。というかこの「アニメ絵」という言い方自体がめっちゃ古いのはわかってるんですけどね。今更ちょっと、個人的には治しようがないので見逃がせ(笑)
劇画が、こうなる可能性だって十分あった。画風的にはさいとう氏と似ても似つかないだろ、と言われるのは分かってるし、ある種のアニメ的影響もある人だが、「池上遼一劇画風の絵柄」が、香港台湾などある時期のアジア漫画圏を席巻していたし、このスタイルも未だに堅固な人気を誇っている……ただこれらの文化圏でも、次第にアニメ絵のほうが浸透している感は十分にある。
そうそう、性表現においても「劇画」が「アニメ絵」にとってかわられてるわけでしょ?劇画のその種の専門雑誌、いま何誌残ってるやらです。
※絵柄でなく「読者層を高く、青年にまで広げたことが、劇画革命の中心では無かったか」との指摘ブクマあり。興味深き視点
さいとう・たかを氏逝去。「劇画」革命はならずも、ゴルゴ13や多くの作品は… - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-b.hatena.ne.jp
- [comic]
革命はなったのではないかなあ “劇画と漫画の相違は技法面でもあるでしょうが、大きくいって読者対象にあると考えられます” <a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%87%E7%94%BB%E5%B7%A5%E6%88%BF#%E5%8A%87%E7%94%BB%E5%AE%A3%E8%A8%80" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%87%E7%94%BB%E5%B7%A5%E6%88%BF#%E5%8A%87%E7%94%BB%E5%AE%A3%E8%A8%80</a>
2021/10/01 12:52
また、そもそも
「全員が手塚治虫なわけじゃない。話作りが上手い人、人物の絵が上手い人、メカが上手い人がそれぞれ役割分担して描くのが『主流になるはず』『主流になるべきだ』」と言う信念のもとに行われた劇画革命が、最終的には成就せず、未だに原作作画の分離作品は、非主流派の位置を脱していない。それに業を煮やして晩年、そういう作品を対象にしたさいとうたかを賞を設立したわけだから。
そして、何と言っても…自分で「これは誤算だった!」と認めるように、傘寿を過ぎても「さいとう・たかを本人がペンを握っていた」のであります(笑)。
さいとう・たかを氏は、ゴルゴ13の目だけしか描いていないという噂が未だにあるけど本人が漫勉で否定してますよ。ゴルゴを眉毛から下書きなしで描いてて凄かった pic.twitter.com/J6Eo69gSFE
— 社畜のよーだ (@no_shachiku_no) 2021年9月29日
そうでなきゃ読者が納得しない。そんな絵の個性と才能が、一番本人を呪縛していたというのがなんとも楽しい”皮肉”です。
「物語」や「キャラクター」って、誰のもの?
今回さいとう氏の訃報とともに 報じられた「だがゴルゴ13は、今後も継続していきます」という話。大方は拍手喝采している。おそらくはコミック乱の「鬼平犯科帳」も同様に続くんじゃないかと思う。考えてみると、鬼平犯科帳はとうの昔に池波正太郎の原作は消化しているわけで…
さいとうたかお先生が亡くなってもゴルゴ13はそのまま続くと聞いて、420話の「HAPPY END」に出てきたゲーリー・ライトニングを思い出した。 pic.twitter.com/fRMmuztWcD
— yotiyoti (@yoti4423yoti) 2021年9月29日
それが作り手を変えて継続するのは確かに嬉しいことだけど、
ただ「さいとう・たかをではない人が作り上げたゴルゴ13って『二次創作』とどこが違うの?」
という問いは、内心で自問自答しておきたい。
「それは著作権の面で違う。マルCがつくかつかないかだ」というのは、お仕事上の話としては満点、ファイナルアンサーであるが、創作の本質の面では、果たしてどうであろうか?…いやこれは、さいとう氏がご存命の時でも、同じように問うことができるのだが。物語…「おはなし」は本質的にウソであり、それに「本物のウソ」も「偽のウソ」もあるのかい?と。
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ただこんな問いをするためにはその作品世界とキャラクターが、 そもそも他人が作りたがるほどのクオリティと人気を持たなければならない。
(久米田康治が「一番理想的なキャラは、作者が何もしないでも、勝手にどんどん金を稼いで来てくれるキャラだ」という、すごく身も蓋もない指摘をしていた)
そんなことを考えさせてくれるような作品を、さいとう・たかを先生は生み出した。
ありがとうございました。