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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

「物語」って誰のもの? スターウォーズ新作に再登場のルーク役俳優、勝手に”非公式”の『過去設定』決めて演技してた。映像に映った真実は…

スター・ウォーズ/最後のジェダイ」に向けてマーク・ハミルが考えたルークの過去はあまりに重たかった - GIGAZINE http://gigazine.net/news/20171208-luke-skywalker-backstory/


……2015年に公開された「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」から連なる続三部作には、1977年から1983年にかけて公開された旧三部作の主人公であるルーク・スカイウォーカーが登場します。公開時期はかなり離れていますが、作中の時間も相当に経過したという設定なので、どちらもマーク・ハミルがルーク役を演じています。この間は作中でははっきりと描かれていませんが、マーク・ハミルは年を取ったルークを演じるにあたり、かなり重い背景を想定…(略)………マーク・ハミルは「『ジェダイの帰還』後のルークの物語」をいくつも考えたそうです。その中の1つが、「ルークは幼い子どものいる未亡人と恋に落ちた」というものでした。ジェダイは原則として結婚・妻帯などが許されていません。しかし、ルークは未亡人と結婚して子どもを育てたいと考えたため、ジェダイを抜けたようです。

幸せな家庭を手にしたかにみえたルークでしたが、その幸せは長くは続かず、子どもはライトセーバーを触っていて事故死…(略)「最後のジェダイ」のルークを生み出す上で、自身をそこまで追い込む必要があった…あくまでこの設定は、役作りのためにハミルが創作したエピソードであり、公式設定ではないという点には注意が必要です。ただし、ハミルはルークの変化を考えるにあたり、「最後のジェダイ」のライアン・ジョンソン監督に相談をしたと…

さて、私としては、この絶好の例を受けて、またも「物語は誰のものか」を考えたわけです。

…物語は誰のものか。実際にルークを演じた役者が「彼はこの間、こんなことがあったのだ」との前提で演じれば、当然それは演技に反映される。なら公式設定『ごとき』が何を決めようと、映像としてはそれが真実になる?

個人的な歴史になるけど、自分がこういう『俳優さんが、映像には映らない部分まで想定し、考えて役を作っている』ということを知って大層に驚き、上のような「物語は誰のもの?」を考えるようになったきっかけははっきりしていて「12人の優しい日本人」という小劇場で公開された映画、三谷幸喜の劇を映画化した作品のパンフを買った時でした。
そのときに、この映画に登場する12人の陪審員(警備員も含めた13人だったかな?)の、「役の履歴書」がはっきり掲載されていて、実際のストーリーの中に登場する陪審それぞれの来歴や趣味思想などが載っていて、意外だったり、さもありなんだったりと感心したわけです。

もちろんこの前に「シャーロックホームズ」を考察するシャーロキアンの活動も、機動戦士ガンダムの中で実際に登場しない「砂漠専用グフ」などが登場する後の「宇宙世紀」物語は知っていて、だからこそ「実際のストーリーには関係ない裏設定の楽しさ」の一つとして「役の履歴書」も「ああ、あのことか」と理解できたのだと思う。

これはおそらく演劇の世界で発展したものなのかもしれない。
ただその一方で、同じく三谷幸喜作品なのだが「古畑任三郎」シリーズが始まる時、主演のあの人は古畑役を気に入って出演を快諾したものの「この男の設定については聞きたくない。役の履歴書なんて送ってきても読まないから」と念を押したそうです。古畑任三郎には、 むしろ生活感のない役として演じたかったから…いろいろ、あるものだね。


で、だ……
最初に言い尽くした話だけど、ルーク役のハミルが(監督と打ち合わせはしたとはいえ)自分の脳内設定に基づいてルークを演じたと。その演技がフィルム… もうフィルムとは言わないか、画像に焼き付く。そうしたら、 公式設定がどうだろうと、それが映画としての真実じゃないのか???とね。
サッカーの監督がどんな強権的でも、選手が一度ピッチに上がったら、後は選手が戦うしかないように、俳優とはいつでもこういう「クーデター」を起こし得る。そのクーデターに恐れたからこそ、黒澤明はあれだけ俳優をコントロールすることに熱心で、故にカツシンとも影武者で衝突したのではなかろうか。

とはいえ公式設定こそ神であり聖書である、というのも一つの考え方。
だが・・・・・・・・・・という話が以前紹介した「トクサツガガガ」におけるクロスオーバーやゲスト出演、公式設定をめぐるエピソードに繋がってます。

物語世界の「クロスオーバー」「後日談」に関するモヤモヤを語った「トクサツガガガ」が興味深かった - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20170122/p2


 



しかし、作者や作り手は「神」であり、読者はその信者にすぎぬ。
「我らは神から幸いを頂いたのだから、不幸も頂こう」(旧約聖書ヨブ記」)


しかし、そうではない!と神に叛旗を翻し、自分たちが想像した世界も、作者の公式に負けないものだと言い出すルネッサンスな人も出てくる。

それを「テクスト論」「作者の死」と、世の人はいうらしい…(後略)

公式設定といえば「後出しじゃんけん問題」にも繋がるんだけど、上の「画面に映った俳優の演技が真実」という話を拡大したら、例えばリアルタイムで梯子外しを目撃した…ジョジョの奇妙な冒険のツェッペリ男爵が「結婚もせず家族もなかったが初代ジョジョが息子のように思えた」という最初の設定…、それを後から「ツェッペリ男爵は 結婚もし子供もいたが、石仮面の脅威と戦うためにそれを捨てた」と変形したとしても、荒木飛呂彦画伯は、当初その絵を書くときは「結婚もせず子供もなかった男爵…」というつもりで絵に書いてるわけで、じゃあそれが真実なんじゃね???と。

ジョジョの奇妙な冒険 4巻、「おわびのためのあとがき」

ジョジョ』のご愛読、ありがとうございます。
 なぜ、突然、作者のぼくが、この4巻のあとがきを書くのか?
 それは、現在、本誌(週刊少年ジャンプ)に連載中の『ジョジョ』に シーザーというツェペリさんの孫が出てくるのですが、そのシーザーの存在について、 大変重大なミスが、この第4巻に収録されている中に、あったためです。

 そのことについての抗議の手紙や電話をたくさんいただきました。
「ふざけるんじゃねえ!」とか「いいかげんな話をかくな!」とか 「おとなはウソつきだ!」とかの、少年少女の絶望と怒りと悲しみの声でした。
(おっと…ミスに気付かなかった読者のみなさん!「へぇ〜、そーなの、どこかな?」とかいって、わざわざ探したりしないでください)

 そこで、その箇所を訂正して、ここでおわびするために、このあとがきを書いたのです。

ジョジョ』は、壮大な構成と緻密な計算のもとにつくられている作品ですが、長くかきつづけると、そこにヒズミやキズができてくるということでしょうか…。
「おとなはウソつきだ」と思った少年少女のみなさん、どうもすみませんでした。 おとはなウソつきではないのです。まちがいをするだけなのです……。

 それでは、これからも『ジョジョ』の応援、よろしくね。

第1版:1988年6月15日
ジョジョの奇妙な冒険の疑問点、矛盾点の解釈「第一部」 - NAVER まとめ https://matome.naver.jp/odai/2135750845001551901

果たして、 物語は誰のもの・・・・・・・・?