ブログタイトルを変更し「みなもと太郎追悼・特別編」としているこのブログの特別編成も、そろそろ締めくくりとなる。
現在、岡田斗司夫氏が追悼で特別公開している動画、この発言を紹介したら、だいぶ興味を持つ方が多かった。
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実はこのとき、もう一箇所紹介したかったんだけど、書き忘れたところがあったので、駆け込みで紹介して考えてみたい。
時間でいうと開始49分のところ。(ちなみに、この前フリで岡田斗志夫氏が語っていた部分も興味深いんだけど、それはみなもと氏とは別建てで後日紹介した方がよかろう)
岡田
貸本マンガが(昭和40年代に)週刊漫画に殺されたのはなぜでしょう?
みなもと
週刊漫画と言うかテレビに全部殺されたんですあの時。
紙芝居は息の根を止められて、あれだけ隆盛を誇っていた映画産業が、テレビの普及と同時に斜陽産業と言われた訳で。で、「漫画産業がそうならなかったはずがなかったものを、なぜ踏みとどまったのか」…ということに考えを及ばさなければいかんのです。.
一つは「シェー」(赤塚不二夫のおそ松くん人気)です。「シェー」がそれを食い止めた。
その後は劇画がくいとめた。
それがなかったら、「漫画は子供がおやつ代わりに、勉強の合間に読んでーーー」という手塚治虫的の頃までの、控えめな綺麗事を言っていたら、あのテレビの普及の時に、漫画も同じように映画や紙芝居のように滅びた可能性があります。
うーむ、自分はいま、マンガ大国日本の現実の世界線を見ており、みなもと氏の指摘する分水嶺の時代も生まれる前となるから、なんとも実感がないんだよな。
だが、みなもと氏は分岐点を見ているからわかるのだろう(我々の世代のテレビゲームや「アニメ絵」などの定着はそれに近いかも)。
(みなもと太郎)語るんだという。で、また自分自身がこういうものを書いている原点に、どういうものがあったかということはお伝えしたい。
(宇多丸)あと、やはりあれですよね。もう本当にずーっと漫画の歴史そのものを通史的にご覧になってるから。
(みなもと太郎)リアルタイムで見ているのでね。まあ、トキワ荘世代のあれには間に合っていないけれども、その次の世代だから。そっから後のことは……だから、漫画が劇的に変化していくわけですよ。「えっ、こんな漫画、これまでなかった!」みたいなものがいくつも、見てこれたし。
(宇多丸)いちばん激変期でね。そういう意味じゃあ、本当に。
(みなもと太郎)そうです。そうです。「これまでこんなものは許されなかったはずだ!」みたいなものを、子供の頃からずーっと見てきたから。そういう進化の過程を共に見てこれたというのは、自分にとっていい時代だったかなと思っている
miyearnzzlabo.com
紙芝居が滅んだように、マンガが滅んでもおかしくなかった、というのはわからんでもない。
潰れると言っても映画のように壊滅はしないだろうけど、ほそぼそとした存在感のないカルチャーで、「ほのぼの〇〇ちゃん」的なユーモアマンガとか、そういうものしか生まれなかった世界、というと納得もいく。
それを食い止めたのが「シェー」というのは、どんな含意があるのか。社会現象にまでなると、やはり存在感が高まるのか、赤塚不二夫的ギャグが、表現の範囲を広げたとの意味か。
劇画の方は、よくわかる。本人が別の場所で語っていたから。
私が林さんに連れられ初めて先生にお会いした時からして、先生はもう怒っていらした。私が名乗るか名乗らないかのうちに「はい、どうぞよろしく。ところであなたはさいとう・たかをが起こした革命についてどう思いますか。今の青年漫画の隆盛は1960年代にさいとう先生の原稿持ち込みがなければありえなかったものです。漫画が子どものものとされ、大人向けの漫画としては8ページが長編と言われていた時代に、青年向けはこれから絶対に儲かるから週刊誌はまずわしの劇画に20ページ割け、60ページ割け、100ページ割けと、さいとう先生が出版社にかけあってこのジャンルを開拓して下さった。評論家は誰もこのことを言いません。なぜ見て見ぬ振りをするのですか。情けないとは思いませんか」。
to-ti.in
そう、まずもって「ページ数革命」を、さいとう・たかを氏は起こしていたのだった。
で、たぶんこの辺のお話「マンガの歴史」でも触れていたはずだよ。いま、探してる最中。
みなもと氏よりよっぽど年配で、「語られる側」のさいとう・たかを氏はまだまだご壮健で、リイド社という場もつくり、現役でゴルゴ13や鬼平の世界を生み続けている。
みなもと太郎氏のぶんまで、お元気であれ。