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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「年上男性との恋愛」はオシャレ?か否か~WEZZY記事(北村紗衣氏)を読んでの感想と疑問

最近、こういう記事を読みました。

昔はオシャレだった年上男性との恋愛~『クルーレス』『トレインスポッティング』における問題含みな「カッコよさ」

 1990年代半ば……の映画やテレビドラマを見ていると、たまに今の感覚だとちょっと違和感を抱いたり、ビックリしてしまったりするような描写が……「今ならこういう作り方はしないだろうなー」と思うところがある名作というのは意外とあります。

 今回の記事では、ティーン向けロマンティックコメディの有名作『クルーレス』(1995)と、90年代のイギリス映画の中でも最も影響力があったと思われる『トレインスポッティング』(1996)を

wezz-y.com


うん、どちらも自分から観たりする趣味の範囲とはまるで違う。だから一種、異世界もので異世界の文化に触れるような興味深さがある(笑)。

と同時に、自分が以前からピックアップしていた話題ともつながるので、その面からも興味深かった

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ただ、上のリンク先に挙がっている、日本流の「歳の差恋愛」漫画と比較しても、
以下で紹介されている映画はすごく、攻めてるなァ


ダイアンはナンパ慣れしていないレントンをリードしてその夜、2人は関係を持ちますが、翌朝、ダイアンがまだ中学生か高校生くらいの年齢だとわかります(原作ではダイアンは14歳で、映画では15~16歳くらいに見えます)。レントンは性交同意年齢以下の女の子を成人女性と勘違いして性関係を持ってしまったことに怯えて逃げようとしますが、ダイアンは自分たちの関係を警察に言うと脅してレントンとの関係を続けます

ははは。この文章を字面通りに受け取ると、ダイアンという女性が普通に屑…と言ってはさすがによろしくないが、ふつうにアウト、人間性と社会性に大きな問題を抱えているようにも見えるのだけど……まあ、悪は悪で物語の中に存在価値がある。そこはよしとしておこう。

十代の女の子がやたら成熟していて成人男性に積極的にアプローチしてくるという点では男性の性的ファンタジーを描いているとも言えます。一方で、物怖じしない若い女性に対して成人男性が怯えてしまうという立場の転倒は、よくある性的な支配・被支配の関係を逆転させた諷刺とも読むことができます

ここは賛同する点でございます。
うる星やつら」のラム…が源流ってわけでもないが、主人公に積極的にアプローチしまくる女性は「男性になんとも都合のいい女性像」と思われがちだが、それまではいわゆる「白馬に乗った王子様」を待ちがちで「男性からアプローチをするのが常識、その逆はハシタナイ」となりがち…そんな陋習、ステレオタイプを崩すという面もございました。アジア系女性の黒髪は「従順を象徴するステレオタイプ」なのか「従順でないアジア女性は髪を染めているというステレオタイプの打破」なのか、みたいな、円環を描く話でありますが。
togetter.com

個人的に「?」がつく箇所は、たとえば以下のようなところだ。


1990年代半ばにおいては、十代の賢い女の子はなんとなく同年代の男の子を子供っぽいとバカにしていて、やたら早く大人になろうとしており、知的に対等な関係で恋愛すべく、少し大人の20歳過ぎくらいの男性と付き合いたがるものだ、という考えがあったらしい

「20代半ばでドラッグ依存症のレントン」は、ドラッグ依存症だけど知的な男性、ってことなのかな?
ただ、これらの作品の描写はわからないけど…まずその一、年上男性との恋愛って本当に「知的に対等」という点だけに集約されるもんなのやろか

「いやいや同年代にもまともな子がいるでしょ、そういう子と付き合っては?」と思いますが


ってえおっしゃいますが、たしかに全国模試の数字でも見れば、「知的に対等な関係」を結べる同年代のひとはマッチングできましょう。しかし恋愛関係って、そういうところで代替不可能な固有性があるから恋愛なんじゃないですかねえ(いま俺、ロマンチックなこと言った)。はい、同じぐらい知的な同年代が居ますので、その年上男性との交際やめなさい、とは……

星の数ほど 男はあれど  月と見るのは主ばかり
星の数ほど 女はいるが 星じゃ遠くて 届かない

・・・・なんか対称性無いな。

男 おれとカカアの馴れ初めなんざぁなぁ、こん畜生、仲人があって一緒になったんじゃねぇ、自慢じゃねぇがくっつきあいだ!!
幸兵衛 そんなことが自慢になるか!
おめぇじゃなくちゃいけねぇ、お前じゃなくちゃいけないと、好いて好かれて、好かれて好いて一緒ンなった仲でぇ。
www.niji.or.jp

てな具合で・・・・、もう少し話を絞って言うと、「年上との恋愛」ってドラマや映画のギョーカイの中で「それがオシャレ」「ナウくてヤングにバカウケ」みたいな意識が仮にあるにせよ、本質的には…特に現実社会においては「する人も、しない人もいる」「その出会いや相性次第」「オシャレとか、非オシャレ、とかには位置付けられない」というのが正解なんじゃないか、ということ。それはつまり「多様性」ってことです。
同年代で恋愛する人もいるだろう、
違う年代と恋愛する人もいるだろう。
恋愛したくてできなかったひともいるだろう(笑)。
(※ちなみに意識高いぼくは、意図的に上の文章などで「人」を多用し、「男」とか「女」とせばめない描写をこころがけています)

そして、その恋愛が性的な関係を伴うか、その関係が、当該国・地域内で法律上の罪を構成するか…ってのは、基本的に別問題でありましょう。


90年代にはこういうふうにイケてる女の子が年上の男性と付き合うのがもてはやされるようなこともあったけれども、今は性別や性的指向にかかわらず、大学生が高校生と付き合い始めるのは大人としての責任にそぐわない

これは……字面だけから判断しますよ。日本の学制から考えて、四年生の大学生は留年・浪人を考えなければ18~22歳、高校生は16~18歳…… 「大学生が高校生と付き合い始めるのは大人としての責任にそぐわない」かな?ほんとに?
高校時代、1年先輩だったひとが先に大学に入った場合、そこから恋愛はスタート不可能であり、あと1年待って、もうひとりが大学入学(相当の年齢)にならないとスタートできない??
これはもとの描写が言葉足らずで、このうちの、極端なる年齢差があった時の話限定なんじゃないかな?(極端ったって、浪人留年大学院など抜きなら最大6歳差だけど、まあその境界に成人/非成人の境を挟む状況ならね)
また「付き合い始める」は、性的な関係を前提条件にしてるのだろうか。
「大学生と高校生の交際において、そこに性的関係を結ぶことを含むと仮定した時、法律上の問題になる年齢差も一部には存在する」という、ごく限定的な趣旨なら、わからなくなくなくもないんですけど。



そして、あとひとつ、これは見逃せないところだが、

そもそも今の若者は触れているカルチャーや育ってきた家庭の形によってはこういう恋愛は近親相姦っぽくて「キモい」と思うかもしれないので、90年代にはこういうのはキモい扱いではなかったのだ、と説明することも重要です。

というか、
「シェールが最後に選ぶのは義兄で大学に行っている弁護士志望のジョシュ(ポール・ラッド)です。ジョシュはシェールの父メル(ダン・ヘダヤ)の前妻の息子で、2人の間に血縁はないのですが、一応兄妹として家族付き合いをしています。」


…この関係をみて、「キモい」というひとは、それは剛速球ストレートで「差別」と判定されないんですかね?同性カップルなんてキモいです」と、質的な違いありますかね?
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とはいえ「キモいと感じるのは本人の価値観であり、思想である」ともし得よう。そこは状況は説明しても、強権的に変えるものではない、変えようがないというスタンスも、またあるかもしれない。


年齢差がある相手同士の性的関係は、浮世の法によって、制限すればいい。時計で年齢を測って、1秒でも当該年齢を過ぎてればリーガル、満たなければイリーガル、ってだけで。


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絶対可憐チルドレン」における年の差恋愛問題
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絶対可憐チルドレン」における年の差恋愛問題

この、年下の女性の方が積極的に関係を迫る、というのが、上に紹介した「トレインスポッティング」にも似ていておもしろい。

しかし原則は揺るがないし、揺るぎようがないのだ。

法哲学的な部分で議論するなら、かなり平々凡々な結論になってしまうからなぁ。
「その被保護者的な人物が、自由意志を尊重できる年齢―――18歳だか20歳になったら、性的な関係を含めた恋愛・婚姻関係になったっていい。そりゃ自由である」
「むしろそれでも反対嫌悪するならエイジズムという差別偏見である」
「そのいい・悪いを区分するのは、単純かつ唯一の基準がカレンダー、生物学的年齢である。上のような区分の年齢に一日でも足りなければ不可、一日でも超えれば可」
「性的な関係抜きの、精神的な恋愛ならどうか? まあそりゃ、それを妨げるべきものはあるまい」


そして同時に

これは恋愛結婚だけでなく、アルコールでも深夜労働でもギャンブルでも同じ部分はあるのだが、
「年齢による区分はどこかで定めねばいけない一方で、間違いなく個体差が大きい肉体的・精神的成熟を一律に年齢で判断し、全く同じ行為が基準に一日足りなくても違法だが、一日でも到達したら合法という事自体に矛盾や滑稽味を感じざるを得ない」ものではある。

ここは何をどーしても、不自然な話であり、そこに滑稽さや不自然さ、偽善性などが感じられるのも、これは構造的に仕方ないところではあるんです。
そのへんは飲酒に似ている。まさに未成年飲酒ネタも、物語の中での扱いの変遷を見ると大きな変化があって興味深いところだ。だが、―ー年齢差恋愛も同様だがーー描写が変化したのは事実であっても「いい方向への変化」であるかは…。

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フラワー・オブ・ライフの高校生飲酒描写1
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フラワー・オブ・ライフの高校生飲酒描写

承前。未成年と成人の性的関係も問題だが、「未成年同士」も結局は問題となる(ならざるを得ない)

「いやいや同年代にもまともな子がいるでしょ、そういう子と付き合っては?」と思いますが

この「付き合う」が、性的な関係を含めてかどうかはわからないけど、含んだとしたら…アウト。
なんでだ、って? アタマが溶岩石のように固い、古い道学者的発想だって?
さにあらず。
なぜ、成年と未成年が性的な関係になるのは、法律で禁止されるか。

それは、未成年(その年齢設定は諸国諸制度で違います)は、自由に選択してるように自分では思っていても、判断力も知識も不十分で、自分の性的な自己決定をするだけの能力や責任を供えていないからである。そしてその行為の結果として、性感染症や、望まぬ妊娠、中絶などのリスクが発生するからである。

では、未成年と未成年の性的な関係はどうか。
「双方ともに判断力も知識も欠けているなら、片方がそうであるのと同様かそれ以上に悪い」のではないでしょうか(爆笑)

いや、「ロミオとジュリエット法」があるのは知ってるねんで。だけど、それはただの緊急避難、現実追認の便法としては認めるが、理屈の整合性はぜんぜん立ってない…と考えるのですが、いかがでしょうか。
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こっちの理屈のほうがわかりやすい

そうなると…結果的にいにしえの道学者先生、キリスト教保守派(一部新興カルト)の大勝利である。ついでに壺買うと悪縁が断ち切れるっ。

さいごに

これと関係をつなげる感じで「いろいろ物議を醸したらしいことで知られる『うさぎドロップ』を読みましたの記」を書こうと思ったのだが、ひたすら長いんでここで打ち切る。
あとで書く機会があったら、ここからリンクを張ろう。