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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

自由意思を巡る諸問題ーアイリーン・パーカーの統一教会研究と、ストックホルム症候群と

メモ的な、覚え書として。この前、ごく一部…韓国系キリスト教の系譜について紹介した櫻井義秀の「統一教会」に、こういう記述がある。

統一教会を巡るアイリーン・パーカーの研究とは

アメリカほど派手な活動を行わなかったヨーロッパでは、特にイギリスで布教活動を行い、千人規模の信者名簿を用いた調査がアイリーン・バーカーという研究者によって行われた。
布教された後に二泊三日程度のセミナーで離脱したグループと、複数年にわたって信者となっているグループ、および一般の若者グループを比較した結果、統一教会信者が洗脳されているとは言いがたく、人生に意味を求めている若者たちのうちで「自分では探すことができない」 と感じていた若者が最後まで残り、真理に出会えたと感じていることを明らかにした。
後に、 この研究は統一教会研究の古典となり、欧米では統一教会信者の洗脳疑惑を払拭することになった。バーカーは統一教会をはじめ新宗教信者の人権を擁護する立場を終生崩さず、アメリカの新宗教研究者とともに宗教的寛容や信教の自由を主張してカルト批判陣営と対峙した。
これらの研究の詳細に本書で立ち入ることはしない。興味がある読者は、拙著『統一教会 ―日本宣教の戦略と韓日祝福』 『カルト問題と公共性裁判・メディア・宗教研究はどう論じたか』(いずれも北海道大学出版会)を参照されたい。

ここは統一教会に限らない、大きな意味を持つ重要な論点で、以前から興味を持っていた。
なぜなら「マインド・コントロール」という概念の成立そのものにかかわるところだからだ。
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だって、その現象の「ある・ない」はそのまま、こういう考え方に直結するわけで。

(略)……意思を「外部から持たせてしまう」”マインドコントロール”が「ある」なら…そしてその人が本当に「マインドコントロールされている」のなら…その手法と法律との整合関係はともかくとして、基本的には彼の表明する”自由意志”は自由意志ではないとして、その意に反して彼にたいして強制的なアプローチをしても「許される場合はある」のだろう。

けっこう、考え方としてはシンプルなのだ。
しかし、どうやって「貴方は今マインドコントロールされている(ので、貴方の意に反して強制的な措置をするのも仕方ない)」ってえのを見分けるのか。


だから、マインドコントロールのある、ないは重要なんだけど、上の新書記述から「アイリーン・パーカー」という人の研究が統一教会研究の古典となり、欧米では統一教会信者の洗脳疑惑を払拭することになった』と、批判的な側であろう櫻井氏から見ても、そうなっている、という話なのである。

じゃあ、アイリーン・パーカーという人とその研究について探してみよう、と思っても、検索してもそれほど詳しい結果が出てこない。さらに統一教会とその関連団体からの発信情報にまぎれてしまっている。予測されたことであるが。
その新書記述にあるように

という書籍を見るしかないかもしれない。
ただ、その櫻井氏本人の、パーカー氏に触れた論文がPDF形式で見つかった。ここでは紙幅をとって櫻井→パーカーへの批判も記述差されている。

Title 「カルト」問題と社会秩序 (2) : 脱会カウンセリングと信教の自由

Author(s) 櫻井, 義秀
Citation 北海道大学文学研究科紀要, 117, 109-157
Issue Date 2005-11-25
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/34094/1/117_PL109-157.pdf

室生は連載3回目でイギリスのアイリーン・パーカーと対談している。ここで確認されていることは,1)ディプログラミングと脱会カウンセリング(思考改造コンサルテーション)との違しパ物理的強制力と信者の自由度の差異), 2) ディプログラミングの効果, 3) 強制的説得論(マインド・コントロール論)Jで、新宗教信者の入信は説明で、きない,の 3点に要約されるに関して,室生は日本ではディプログラミングが主流であると述べ,パーカ
は欧米では認められない手法であると語る…

そもそもこういう事件の際に折に触れて見直してみるんだけど、ウィキペディアの「マインド・コントロール」の記述が、実は論争の最前線で(笑)、記述も「ある・ない」論の両論併記に近い。「ノート」の記述も…いや長篠合戦とか関ヶ原の闘いとかに比べればそれほどでもないか(笑)

ja.wikipedia.org



新書でべつの「マインド・コントロール」を論じたやつも読んだ。
あとでここでも紹介したい記述があるが、それは項目をあらためよう。


ストックホルム症候群、ある?ない?


ストックホルム症候群は本当にあるのでしょうか?問題のある診断の背後にある奇妙な物語

ストックホルム症候群」が、スウェーデンで映画になるほどの銀行強盗事件が起きた後、会ったこともない男性精神科医が女性に押し付けた言葉であることを認識している人はほとんどいない。この症候群の名前の由来となった人質事件から 50 年が経ち、シーラ・フリンは 心の変化、そして警察が被害者を病理診断することで批判をどのように回避したかについて報告する

(略)
メリアム・ウェブスター辞典は、ストックホルム症候群を「人質が捕虜と絆を結び、同一化し、同情する心理的傾向」と定義しています。しかし、アメリカ精神医学会の精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)では、ストックホルム症候群をまったく定義していません。含まれるための厳格なレビュー要件を満たしたことはありません。実際、最初からこれを含めるために提出した人は誰もいなかったようです。つまり、この申し立ての症状については特定された診断基準がまったく存在しないということです。

「部分的には、この言葉は、技術的には元の説明に当てはまらないあらゆる種類の状況を説明するために人々が使用するミームになっていると思います」と DSM 運営委員会の委員長であり、精神医学、医学、法律のドルード教授であるポール・アップルバウム博士は述べています。コロンビア大学でインデペンデント紙に語った。

この用語の文化的普及を考えると、その背後にある眉をひそめるような話について広く知られていないのは驚くべきことです。映画スターのような美貌を持つ犯罪者、警察の対応の失敗、国家元首の個人的な関与など、信じられないような実話です。この物語はスウェーデンではよく知られており、エンマークさんの名前でも知られており、Netflix の 2022クラークなど、さまざまなスウェーデン語の作品がこの物語を取り上げています。しかし、海外の視聴者の間ではあまり知られていません。

しかし、何が起こったのかを理解することは、私たちが「ストックホルム症候群」という言葉を使うときに何をするのかを理解する鍵となります。

(略)
人質、特にエンマークさんは警察の予想通りには行動しなかった。彼らが警察に対して批判的で、人質犯に対して友好的であるように見えたため、コンサルタント精神科医のニルス・ベジェロート氏(エンマークさんに会ったことも治療したこともなかった)は、これを「ノルマルムストルグ症候群」として説明し、スウェーデン国外では「ストックホルム症候群」として知られるようになった。ストックホルム強盗事件の翌年に誘拐され、彼女の状況に対して同様の反応を示したように見えるパティ・ハーストの経験にこの用語が適用されたことで、アメリカと国際社会の精神にストックホルム症候群がさらに定着した…

(略)
ウェイド氏は、ストックホルム症候群は何世紀にもわたって続いてきた制度化された態度と不平等に根ざしていると信じている。

「抑圧されている人々の精神、脳、身体に病理を植え付けるこうした行為は、いわゆる植民地主義、家父長制、さまざまな形の人種差別、さまざまな形の暴力や抑圧に内在しているものです」と彼は言う。「つまり、これは偶然の、または珍しい問題のある考え方ではありません。むしろ、それは風土病なのです。」

そして彼は、心配そうに、「今はこれまでよりも大規模になっている」と信じていると付け加えた。

ヒル女史は、この強盗の歴史の正真正銘のハイジャックは、「被害者を気が狂ったかのように見せかけるために、このプロセスが権力者によってどのように操作され得るかを非常に明確に示している単純な物語」だと語る。

www.independent.co.uk

ただ、これも表裏で…ストックホルム症候群を否定すると「本人が自由意思で、犯人に協力した(救出側を批判した)」ということになっちゃうのよな。
(思想的な共感とかだけじゃない、純粋に警察の突入で自分のリスクが高まる!と判断した時に、ある意味で犯人に協力するのは緊急避難ともいえるので)

だから、それを避けるための方便という気もするな。


ウィキペディアストックホルム症候群」はこの記事に触れたような記述はない。
誰かやってほしいところ。誰もいなければ、少し工事をしておくか…
ja.wikipedia.org