さっき、少年サンデーの公式サイト「サンデうぇぶり」についてこうツイートした。
あのさ俺、なまじサンデー系は雑誌で読むからサンデーうぇぶりチェックがおろそかだったのだが「これネットに載せるの(商売的にサービス過剰では)?」って作品載ってるな…
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) March 24, 2023
話題のとよ田みのる「これ描いて死ね」もネット掲載。https://t.co/qIyNVd816D
で、諸星大二郎オチ要員なんだけど(笑) pic.twitter.com/pke47CfnOg
いやホント、びっくりなんだけど…
www.sunday-webry.com
自分はサンデーうぇぶり、最初は読んでたけど、その後、いったんアプリ重視(アプリだけで読める作品が多くなった)になったんだよな。
従来型のブラウザー経由を重視する、溶岩石のように凝り固まったアタマの俺は、それだけで一気に興味を失ったんだが、その後またブラウザーでもそれなりに読めるようになった。
で、そんなことであらためて確認すると、いま現在、雑誌に連載中の作品が!結構載ってるよ!もちろんコナンだ高橋留美子のMAOだとか、そういうエース級は載ってない。だけど、ふつうに侍ジャパンに呼ばれるような、旬の主力選手が普通に載ってないか?それも掲載日がすごくずれてるとかじゃない、1週や2週ぐらいのタイムラグしかないぞ!!!
……と、サンデーうぇぶりの掲載作品が豪華というか、いま現役バリバリ、雑誌連載中の人気作がなぜか載ってる、ということにまず驚いて本題に進む。
(この話も再度論じないとな……)
そういう、「いま旬の人気作品であろうに、惜しげもなくネット掲載されている」作品の一本が「白山と三田さん」です。
作品紹介を…1巻のAmazonに任せよう。
田舎に住む地味カップルの恋愛(?)喜劇!高校生の白山辰彦は、上京したい。
趣味のラジオを聴きバイトする日々を送る中
なぜか同級生の三田民子と交際する流れに。
互いにクセは強いけれど波長は合う。
そんな2人のゆる~いお付き合いと
上京するまでを見守るラヴ・コメディー、はじまり。
もう少し箇条書きしましょう。
・ラブコメだが、意図的に「田舎」を強調した舞台。
・主人公二人は…漫画的表現で言っても、いわゆる美人とか美男ではない。
・さらに言うと、男子の方は典型的ないわゆる”陰キャ”。深夜ラジオを聴くのが趣味で、ニヤリとする顔が気持ち歩い、とか言われる。
・女子のほうは、「陰」というよりは、やや飄々として運動神経もいいのだが、趣味がゴルゴ13と言った感じの、いわゆる「女子らしい」趣味を持つタイプではない。
・とある偶然で、「外部的要因」で二人は交際し始める。
・だけど、その二人の個性がけっこうかみ合い、互いに尊重し敬愛している…ようである。
みたいな話だ。
まんがペディアにあらすじがあるか。(ウィキペディアには無いな…)
mangapedia.com
ちょっと補足しておくと、最近は
「取り柄が無い、平凡な主人公」として始まっておきながら、
「その取り柄が無いというのは、実はみんなに人当たりがいい、本当に優しい人柄だということだ」「だからみんなに好かれていた」みたいな人にジョブチェンジする作品があったよな、同じ雑誌に(笑)。
www.youtube.com
それもまた、一つの路線だろう。
だが、この作品は5巻ぐらいやってて、それでも主人公は基本的に陰キャのままだ(笑)。カール・ゴッチなみに妥協なき、ガチ陰キャ。
少し前「最近は『文化祭に参加したくない生徒の側』を描くという、ちょっとニッチな新ジャンルへの試みがある気がする」
という話を思いついたんだけど、それはこの作品で、あろうことか主人公がそういう文化祭への違和感を表明してたからだった…
ああ、第40回「ラジオ」の回だね。
男子(白山君)が、熱狂的な深夜ラジオのファンであり、それで「自分も生きていていいんだ」と実感できる、というほどそのラジオ番組のパーソナリティを尊敬している。それを知った女子(三田さん)もラジオを聞き始める…というところから、やっと本題の本題に入る(構成ミスである)
いま、まさに公開中だから前後のシチュエーションは略すが、第60話であるとメモしておこう。
www.sunday-webry.com
ある男にとても失礼な態度を取られた三田さんの友人(になりかけの人)に対して、三田さんが、以下の画像のようなことを言い始める。
アンガーマネジメントに絡んで、ひところ話題になったな
実はここの所、ちょっと表現問題と絡んでくる話である。
関係資料を引用しておく。
第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
まず、大前提で確認しておくけど、「思想及び良心の自由」は法や憲法で保障される以前に、物理的現実である。
これから脳科学が発達してテレパシーの存在が発見されるとか、外から脳をスキャンすれば思っていることが電気信号として解読される……とかでもあれば別だけど、そうでない場合はそもそも「何を思っているか」は分からない。
保守思想家の西部邁が憲法改正試案を発表した時、上の19条は完全に削除されたのだが、その理由が上記の「そもそも思想は保障も何も、外から分からないのだから憲法で保障すること自体がナンセンス」というものだった。
あー、すごいことになぜか?日本財団のサイトに全文掲載されているわ。
第一九条
(削除)
「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」というのが現憲法第一九条であるが、「思想及び良心の自由」をそれ自体として侵すことなどそもそもできない相談である。思想や良心は、それが表現される段になってはじめて、その自由や抑圧を論じることができるのだ。私案では第一三条で表現活動の自由を基本的なものとして認めているので、それで十分であろう。
nippon.zaidan.info
だから上の話も、三田さんが他人に「今、そいつを頭の中で殺しました」という(「表現」になった)ところから始まるのだろう。
そして、で、この「内心」や「表現」は許されるのか、どうか。
法律上は、当然ながらそれを裁くことはできないだろう。
では、法を超えたところ、法以外では……
これは今回、話の流れで、本当に無礼失礼な相手の行状を見ているから「内心でそいつ(失礼な言動をした相手)を殺す、しかも残虐な方法で」に対して、「それはいいことだ」という風に読者の”世論”を持って行かせている。
それは作者の作劇技術のすばらしさであるんだろうけど、たとえば
「失礼な相手を殺す」
だけじゃなくて、この「脳内無法地帯」での展開(を”表現”する行為)が
「〇〇人を差別する」とか
「性暴力など、違法不道徳な性的ファンタジー」
だったら……そういえば「去勢」云々とか、「〇〇だけの街」とかあったな……
m-dojo.hatenadiary.com
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一方でハコヅメ105話「星の数だけ」とも繋がる。
comic-days.com
先週までのシリアスエピソードがすっかり無かったような清々しさで通常営業が始まりましたw 『ハコヅメ』その105「星の数だけ」は本日発売のモーニングにて。予習用にドラゴンなんとかのコマも貼っておきますね。 #ハコヅメ #交番女子 #モーニング #Dモーニング #COMICDAYS pic.twitter.com/Y84QsgjYtZ
— 交番女子/ハコヅメ公式 (@KOBAN_JOSHI) February 13, 2020
折り合いをつけるには「あまりいい趣味だとは言えないが(他の人が「それはドン引きする」「俺はそれを気持ち悪いと思う」と思う・言うのは自由だが?)そうすることは外から止められないし、止めるべきでもない」ぐらいになるだろうかね?
ある意味でそこは「文学」の領域である。
(「一匹と九十九匹と」という福田恆存の評論があって、政治は九十九匹を救うもので、文学はその、政治では救えない一匹を救うものだ、とあります。だからこそ、文学がその九十九匹になれない一匹に背をむけてなんとするのか、と。「子供にも安全な作品」を考えると、いつもこの話が思い浮かびます)
— たられば (@tarareba722) February 16, 2021
ぼくはぼく自身の内部において政治と文學とを截然と區別するやうにつとめてきた。その十年あまりのあひだ、かうしたぼくの心をつねに領してゐたひとつのことばがある。「なんじらのうちたれか百匹の羊をもたんに、もしその一匹を失はば、九十九匹を野におき、往きて失せたるものを見いだすまではたづねざらんや。」(ルカ傳 第十五章)
(略)
が、天の存在を信じることのできぬぼくはこの比喩をぼくなりに現代ふうに解釋してゐたのである。このことばこそ政治と文學との差異をおそらく人類最初に感取した??のそれであると、ぼくはさうおもひこんでしまつたのだ。かれは政治の意圖が「九十九人の正しきもの」のうへにあることを知つてゐたのにさうゐない。かれはそこに政治の力を信ずるとともにその限界をも見てゐた。なぜならかれの眼は執拗に「ひとりの罪人」のうへに注がれてゐたからにほかならぬ。九十九匹を救へても、殘りの一匹においてその無力を暴露するならば、政治とはいつたいなにものであるか―イエスはさう反問してゐる。
かれの比喩をとほして、ぼくはぼく自身のおもひのどこにあるか、やうやくにしてその所在をたしかめえたのである。ぼくもまた「九十九匹を野におき、失せたるもの」にかゝづらはざるをえない人間のひとりである。もし文學も―いや、文學にしてなほこの失せたる一匹を無視するとしたならば、その一匹はいつたいなにによつて救はれようか。「福田恆存著作集 第七巻・評論編(四) 日本および日本人」
或いは、ドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」…これはメインテーマとして「銃規制が必要だ」ということを訴えているのだけど、そもそも前段で扱い、表題にもしているのは全米に衝撃を与えたコロンバイン高校の銃乱射事件が当初「過激なメタルバンドの歌(歌詞)に影響されたのでは?」と言われたことに対して「そんなことあるかよ(歌詞が犯罪を生んだ元凶だ、なんて理不尽だよ)」という批判……「それじゃ犯人の少年は事件直前にボウリングしてたじゃないか。ボウリングがこの犯罪を生んだのか?(そんなことはあるまい、歌も同様だ)」という意味合いで、作品タイトルをつけたのだ。今やわかりづらいな!!
題名の『ボウリング・フォー・コロンバイン』はダブル・ミーニングである:
「犯人たちがマリリン・マンソンの影響を受けた」として保守派メディアからマンソンが批判されたにもかかわらず、犯行の直前までプレイしていたボウリングの悪影響が論じられないのはおかしいという皮肉。なお、マンソンの影響は、後に否定された。
ボウリングのピンは、人間と形が似ているので、銃の射撃練習に使われるということ。
ただ、これまた…「それに対して『ドン引きするよ』『俺はそれを気持ち悪いと思う』と表明するのは自由」かといえば
もともとの荒井さん発言というのは本来であれば好き嫌いのレベルの問題であって、本当に単なる一国民の意見だぞとするならば特段の問題にはならんものです。LGBTがマイノリティだからといって、好きか嫌いかはその人の内面の問題であって、中傷や脅迫に至らない限り「その人はそういう意見なんですね」で終わる性質のものです。「多様性を認めるか認めないか」と「好き嫌い」は、そもそも別の話なんですよね。
「オフレコ」での談話が漏れ出て報道に
ただ、仮にも政府中枢で活躍する総理秘書官であり、いずれは経済産業省の事務方トップである事務次官も目指そうかという公的な立場にある人物でもある荒井さんが、記者団の前で公然と「(LGBTなど性的少数者が)僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいたら嫌だ」と発言しちゃうのは性質が異なります。
「隣に住んでいたら嫌だ」発言で更迭 どこにでもいるアライさんと「多様性」の問題(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
検索で出たが、最後の署名を見る前に山本一郎氏の文章と分かった!(自慢にならない)
たださ、これは問題の分類がやや違う、と思う。公務員、総理秘書官であるというのとは別に「LGBTQは、先天的、肉体的、医学的に変更不可分な『属性』であり、趣味や思想のように変更可能ではない。だからそれを気持ち悪いとかいうのは差別になる(逆に言えば趣味・思想なら「キモい」「ドン引きする」「ネトウヨ」「パヨク」と言って…いい…??)」という区分の仕方だったんじゃないかいな?
で、そこから「性的指向と性的嗜好は全くの別物」という話も出る。そしてそれは、ファクトとして正しいのか?という問いも出る。
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そのページに飛んだら、今回の「白山くんと三田さん」にダイレクトで繋がる様な「区会議員の立場にある人が『リョナ、いいじゃないですか。私は好きですよ』というのは問題か」という議題が以前持ち上がってた、というのを思い出す(リョナというのが何かは、リンク先読むと解る仕様)
togetter.com
ほかの「気持ち悪い」とか「俺は嫌だ」「ドン引きですよ」は、自分の好みの表明でセーフか、それともアウトの差別か?の問題
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ほか、気持ち悪いとかドンびくで言えば「男がBL読む、描くなんて気持ち悪い」とか「30歳も年の離れた、娘のような年齢の子と結婚するなんてキモい」も、キモイ界の大物だったな…
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というふうに議論が収拾つかなくなった時は、心のNZ議員を呼ぶのも一手。
…私は約束しましょう。水も漏らさぬ約束です。明日も太陽は昇るでしょうし、あなたのティーンエイジャーの娘はすべてを知ったような顔で反抗してくるでしょう。明日、住宅ローンが増えることはありませんし、皮膚病になったり、湿疹ができたりもしません。布団の中からカエルが現れたりもしません。明日も世界はいつものように回り続けます。だから、大騒ぎするのはやめましょう。これは関係がある人には素晴らしいものですが、関係ない人にはただ、今までどおりの人生が続くだけです。
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これで、「心の中は無法地帯。心の中だけでバンバン〇〇しよう!」の是非は、説明がつくっちゃつく。それで皆が納得するかどうかは知らない。
リベラリストであるかないかの、簡単なチェック項目は、「愚行権を最大限、認めようとすること」、そして、その結果、「社会が不快になり、美しくなくなる状態に耐えること」
— finalvent (@finalvent) February 5, 2018