出生前診断より、少し早いことで、「生命とはどこから生命なのか」といった議論にも繋がっている着床前診断。
これに対して、考えたことは題名の通り。
・賛成の人がやるだけ。反対の人は、自分達がしなければいいだけ。
・そういうことに反対し、やりたい人を制限する理由はない
いわゆる、選択の自由とか愚行権の話で、近代はこれが適用される範囲を拡大していく歴史だった。(それを「やりたい人がやるだけで他人には影響しない、といっても伝統とか常識があるだろう」で規制してるのが非近代)
よくここでも、ほかのところでも引用される、NZ議員の同性婚賛成演説だが、言うまでもなくこれは同性婚に限らず「やりたい人がやるだけで、やりたくない人はしなければいいだけ。他人には関係・影響がないもの」すべてを擁護する普遍性のある演説内容なのです。
…私は約束しましょう。水も漏らさぬ約束です。明日も太陽は昇るでしょうし、あなたのティーンエイジャーの娘はすべてを知ったような顔で反抗してくるでしょう。明日、住宅ローンが増えることはありませんし、皮膚病になったり、湿疹ができたりもしません。布団の中からカエルが現れたりもしません。明日も世界はいつものように回り続けます。だから、大騒ぎするのはやめましょう。この法案は関係がある人には素晴らしいものですが、関係ない人にはただ、今までどおりの人生が続くだけです。
有名ブロガー FINALVENT さんは、もっと端的にこういうツイートをしている。
リベラリストであるかないかの、簡単なチェック項目は、「愚行権を最大限、認めようとすること」、そして、その結果、「社会が不快になり、美しくなくなる状態に耐えること」
— finalvent (@finalvent) 2018年2月5日
リベラリストであるかないかの、簡単なチェック項目は、「愚行権を最大限、認めようとすること」、そして、その結果、「社会が不快になり、美しくなくなる状態に耐えること」
で、もとの話に戻るわけだが、
「着床前診断」を多くの人ができるようになったとしても、それは夫婦、妊娠した人たちの一部、それを「やりたい」と望む人が行うことであろう。
やりたくないひとは、やらない。
「明日も太陽は昇るでしょうし(略)…世界はいつものように回り続けます…関係ない人にはただ、今までどおりの人生が続くだけ」だけではありますね。
しかし、「やりたい人がやるだけで、反対・やらない人はやらないだけ。だから規制する理由はない」を超えたロジックがどこかにあるのかもしれない。
それは伝統か、神の前の正義か。
そういう人たちの一部も、着床前診断、出生前診断などに強く反対しているのも事実だ(同性婚などと同様に)。