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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

LGBTと「気持ち悪いと感じる人」に関する断片的な考察と資料集


以下、雑感的に。

マドンナ「私はあじさいを嫌う自由がある」


これに関してはのちにまとめを作ったのだけど

自分的には

差別でもDisでもなく、純粋に「私は嫌いだ」と言う権利…マドンナのあじさい騒動で考える。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110918/p2

からの続きと考えた部分もあった。

「やっぱり、あじさいなんて今でも嫌いよ!きっとこれからも、いつでも嫌い!」
マドンナは、叫びながら、あじさいを床に投げつけた。驚愕である。
また、それだけでなく「ここは自由の国よ。私はバラが好きなの!」と、あじさいを踏みつけた。

だから、たとえばアメリカの片田舎にこういう店主がいたとする。

(誰かと雑談しながら)

「おれはイスラム教が大っ嫌いだね!あんな教えは鼻持ちならんよ、笑っちゃうぜ」

 

(・・・一見して中東系で、イスラム教徒と分かるいでたちや物をもった人が来店)

「いらっしゃいませ…それで話の続きだが、あの阿呆なイスラム教は…」

 

(客、かごをレジに)

「ありがとうございます。全部で14ドル82セント…はい18セントのおつりね。このリンゴはサービス!お持ちください」

 

(雑談の相手「おまえ、イスラム嫌いじゃなかったか?」)

「その通り、大っ嫌いだよ?ただそれは単なる俺の好き嫌いであって、商売はフェアにやるのが俺の信念だ」

・・・これは真っ当な態度……なのかな…??という話、である。

同性愛に否定的な感情・意見を示す「ホモフォビア」は、セム一神教の系統に多い、同性愛への否定的教義に基づいてそれを非とする主張も含む。

少なくとも日本版のウィキペディアではそうなっている。なぜそうなっているかというと俺がそう付け加えたからだというトートロジーなんだが(笑)、いや、しかしそういう主張があったから、そうしたのであります。

てなわけで、同性愛者と平等に接し、その権利を擁護しつつも「私の信仰する宗教に基づいて、”私は”同性愛を否定する」「自身の好き嫌いとして、同性愛を描いた物語は好まない」的な主張者はホモフォビアか。

宗教的信念からのLGBT反対は?

上のマドンナのあじさい騒動、も結局そこにつなげている…というか自分のLGBT問題への興味というのは、正直当事者性がないので、同じく当事者性がない同性愛否定一神教との思想的対立や、その際にどちらが優先されるのかという法哲学的問題への興味が中心になってしまう。まことに申し訳ないがご了解ありたい





https://peing.net/ja/q/5c5da115-c945-4549-a6f9-777c72bc4737



「神の教えに反する」と発言すること自体は、信教と言論の自由だと考えているので、Bです。



「生理的嫌悪感」について

荒川弘銀の匙」より。

牛や馬からあらたな生命が誕生することも、男性が男性を、女性が女性を愛することも、客観的には、すばらしいことであり、社会的に何の問題もない話である。
しかし、それを「生理的な感覚としてグロい!!」と感じてしまう…あえて「感じて『しまう』」と表記する、それはワルイ受け止め方であり、修正しなければならないのか、あるいはその感情は仕方ないとして公に表明してはいけないものなのか。


さらに言うと、漫画などでけっこう滑稽なキャラクターとしてギャグでも使われる「男性恐怖症」「女性恐怖症」も、その生理的嫌悪感、恐怖感は偏見に満ちたものとして修正されるべきなのか、あるいは公に表明するべきものではないのか。


ミス・カリフォルニアのこの発言は?

優勝候補と言われていたミスカリフォルニアのキャリー・プリジェン(Carrie Prejean)に自他共に認めるホモ審査委員のペレズ・ヒルトンは次の質問をした。

バーモント州アメリカで四番目に同性愛結婚を合法とする州となりました。他の州もこの例に従うべきでしょうか、そうでないとしたら何故ですか?」
言っておくが、ミスUSAの方針として、審査員は政治、宗教、セックスに関する質問はしてはいけないことになっている。本来ならば、ここで司会者がこの審査員の質問を遮り、「ヒルトンさん、政治の質問は御法度です。他の質問にしてください。」というべきだった。しかしミスカリフォルニアはこの質問に真正面から答えた。
「私は我が国が同性愛結婚を選ぶことが出来る国であるということはすばらしいことだと思います。(略)でも、我が国では、私の家庭では、結婚は一人の男性と一人の女性の間でのみ認められるべきだと信じています。誰を侮辱するという意味ではなく、私はそのように育てられましたし、そのようにあるべきだと信じます。ありがとうございます。」
http://biglizards.net/strawberryblog/archives/2009/04/post_838.html

田亀源五郎(「弟の夫」作者)の新連載「僕らの色彩」(月刊アクション)第1回より



ここでは、その話題につられて笑っている男の子が、実は「ステルスモード」に入ったゲイの男の子がひそかに好きだった子である、という、なかなか重い場面なのだけど、
これは放言の場面だからこうなる。ただ「どんな愛の形も、個人の自由だし自然なものだと思う。BL漫画も自由だと思うけど『自分の感覚としては』気持ち悪かったりあり得ないと思う」という限定的な感想だった場合はどうなのか?とも問える。
というか、「私はBL漫画を気持ち悪いと感じる」というのが許されない感想だとすると、「げんしけん」第一部の咲や荻上の発言はかなり問題が出てくるわけで
 (もっとぴったりするコマはあるはずだが略す)


もちろん、BL漫画は性暴力的な場面が多いなど人権に配慮してない、BL漫画は本当のゲイからかけ離れている、などなどの方面からBLが批判される場合もあり、
それは「僕らの色彩」で登場する「BL漫画なんて嫌だね」という話とはいうまでもなく別物であろう。


とりあえずこんなとこで。