昔、「お台場の『お』って敬語ですかね?」って話を振ったら「そういうくだらない話は嫌いです」と言われたことがあるのですが、そういう好奇心のお陰で今の自分があると思います。ちなみに、御茶ノ水、御台場など「御」の字が付くところは幕府に関係のあった場所だそうです。ほら知るとおもしろい!
— 中村愛𓏢 Megumi Nakamura (@megumi_nakamura) August 24, 2022
江戸では御公儀の御用に関する文物には、尊敬の接頭語を冠しますよね。音楽文化を担う者は、自他の歴史と文化には探究心を逞しくしておかないと、失格と違うかな!?とピリっと正論をお返し申し上げてもよいでしょう。大学を出ているのですし。😊
— 北園俊治 (@Kyoto_Kitazono) 2022年8月24日
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↑このへんが、事実をギャグに、ギャグを知識に変換自在のみなもとマジックだ。
これにあたくしがつけたリプ。(他のかたも同種リプしている)
司馬遼太郎も中学の時「ニューヨークのNewって何ですか?」と教師に聞いたら、その教師が「地名に意味があるか!」と怒ったので、その人を終生軽蔑していたそうです。(そのおかげで司馬は学校を信じず、図書館で独学し始めてあの知性を育てたのだからある意味、生みの親)https://t.co/B2FekXwWhO
— INVISIBLE DOJO (@mdojo1) 2022年8月24日
これにちょっと反響があったので、元の資料を孫引きで紹介しましょう。
風塵抄 より「独学のすすめ」
…以下は私事である。中学一年一学期の英語リーダーに、New Yorkという地名が出てきた。この地名にどんな意味がありますか、と先生に質問すると、反応が激烈だった。怒声とともに、
「地名に意味があるか!」
おそらく、意図的な授業妨害と思われたにちがいない。さらにその人は余憤を駆って、お前なんかは卒業まで保たんぞ、などといやなことまで言った。私は人に憎悪をもつようなしつこい性格ではないつもりだが、このときその教師の顔つきをいつまでもおぼえている。
まったく不愉快な思い出である。この日、家へ帰る途中、小さな市立図書館に寄って、司書の人に必要な本を出してもらって読むと、簡単にわかった。そのあたりはそれまでオランダの植民地で自国の首都名をとってニューアムステルダムと呼ばれていたのだが、一六六四年、英軍に占領されてから、当時の英国国王の弟のヨーク公の名にちなみ、ニューヨークと改称されたという。
図書館にゆけば簡単にわかることが、学校では教師とのあいだで感情問題になってしまう。私の学校ぎらいと図書館好きはこのことからはじまった。
その後も、その教師から目のかたきにされた。
以下のことも思いだしたくないことだが、私のほうも、英語を学ぶについてその教師を黙殺してしまった。
決意の要ることだったが、英語は参考書で勉強することにした。参考書の中の単語とセンテンスは丸暗記した。その教師がつかっている教科書は見ないようにした。試験はその学期だけながら、白紙でだした。
この“独学癖”のおかげで、受験のときは英語に関するかぎり苦労せずにすんだ。
ものを考えるときは、基本的なことをおさえる必要がある。海についていうと、なぜ、波がおこるのか、波はむこうからやってくるのか、それとも現場で上下しているだけなのか。どうして風がおこるのか。偏西風や季節風はどんな原因でうまれるのか。なぜ潮流・海流というものがあるのか。沿岸流とは、どういうものか。
そういう場合、いきなりむずかしい本を読んでもわからない。その場合のコツは永年の“独学癖”で身につけた。少年・少女用の科学本をできるだけ多種類読むのである。
子供むけの本は、たいていは当代一流の学者が書いている。それに、子供むけの本は文章が明快で、大人のための本をよむと、夜があけたように説明や描写が、ありありとわかってくる。
また、専門家に質問する場合も、小学生でも顔を赤らめるような幼稚なことをたずねねばならない。
たとえば、
「なぜ海軍士官や、商船、航空機の高級乗員は、制服の袖に金筋を巻いているのです」と、先達に質問してまわったことがある。四苦八苦して調べてくれた恩人は、元海軍大佐正木生虎氏…
あと「湯川秀樹の大愚問」という話も思い出した(森毅の回想)
変化と流動に満ちた時代では、人々が多様な価値観をお互いに理解し合い、柔軟な感性を身につけた生き方が求められる。数学者にしておもしろ人生の達人が、こんな時代を生き抜くための人間関係術を指南。
(略)……ぼくがまだ、三十代、ちんぴら助教授のころだった。あまり近しくお話をしたことはなかったけれど、大学内の不定期的なちょっと変わった研究会みたいな場で、湯川秀樹さんとよくご一緒した。研究会といっても大げさなものではなく、たとえば生物物理学が流行ってきたら、その話を若い人にちょっとレクチャーさせるとかいう感じの軽いノリだ。いろんな学部からよりどりみどり、三十人ぐらいがやって来て勝手なことをしゃべっていたりした。そういう会に、あのノーベル賞学者の湯川さんがしょっちゅうやって来た。湯川さんはいつも前のほうに座り、関心が出始めると貧乏揺すりを始めるクセがあった。湯川さんが貧乏揺すりをし始め、ぼちぼちでるなと思っていると、突然阿呆な質問をする。何でそんなことを聞くんやろう、とぼくらがどう考えてもよくわからないような突拍子もない質問なのだ。三十歳ぐらいの若手講師が怪訝そうな顔でおそるおそる「それはこういうことですが」と質問に答えると、湯川先生が頭をかきかき「あ、そうか、俺も馬鹿やな、やきが回ったな。阿呆な質問したなあ」と肩をすくめるのだった。
湯川さんはそういう「愚問の達人」だった。十質問すると、八つまではものすごい愚問。ところが二つぐらい、だれも考えなかった変わった方向の質問をする。そういう質問を仲間内では「湯川さんの愚問」といって珍重していた。実際湯川さんが来ると、研究会が盛り上がった。そういう研究会での姿勢を、湯川さんは阪大の助教授時代の上司である菊池正士(きくち せいし)教授に学んだという。これええなと思って、自分でもやるように…(後略)