担任したクラス。一番勉強できるけど、授業で一番間違える子がいた。授業でも頓珍漢な答えを言って、笑いに包まれるが、それでも積極的に発言する。
— パーカー (@ikt11235813) February 15, 2022
徐々に授業で間違えることは恥ずかしくないという雰囲気ができ、男女問わず挑戦するようになった。
結果、このクラスは過去最高の進学実績を残したんよ
この話で思い出す……というか、構造が似てるとかじゃなくてそのまんまだ。いわゆる上位互換ってやつ。
ただ、エピソードの内容自体は覚えてたけど、さて俺この話どこで知ったんだろう…と「湯川 とんちんかん 質問」「湯川 素っ頓狂 講演」とか、いろんな単語で検索したら、やっとたどり着いた。
あー、語り部は、例によってこのひとか。モリキだモリキ、森毅。
「孫引き」の形になりますが。
変化と流動に満ちた時代では、人々が多様な価値観をお互いに理解し合い、柔軟な感性を身につけた生き方が求められる。数学者にしておもしろ人生の達人が、こんな時代を生き抜くための人間関係術を指南。
(略)……ぼくがまだ、三十代、ちんぴら助教授のころだった。あまり近しくお話をしたことはなかったけれど、大学内の不定期的なちょっと変わった研究会みたいな場で、湯川秀樹さんとよくご一緒した。研究会といっても大げさなものではなく、たとえば生物物理学が流行ってきたら、その話を若い人にちょっとレクチャーさせるとかいう感じの軽いノリだ。いろんな学部からよりどりみどり、三十人ぐらいがやって来て勝手なことをしゃべっていたりした。そういう会に、あのノーベル賞学者の湯川さんがしょっちゅうやって来た。湯川さんはいつも前のほうに座り、関心が出始めると貧乏揺すりを始めるクセがあった。湯川さんが貧乏揺すりをし始め、ぼちぼちでるなと思っていると、突然阿呆な質問をする。何でそんなことを聞くんやろう、とぼくらがどう考えてもよくわからないような突拍子もない質問なのだ。三十歳ぐらいの若手講師が怪訝そうな顔でおそるおそる「それはこういうことですが」と質問に答えると、湯川先生が頭をかきかき「あ、そうか、俺も馬鹿やな、やきが回ったな。阿呆な質問したなあ」と肩をすくめるのだった。
湯川さんはそういう「愚問の達人」だった。十質問すると、八つまではものすごい愚問。ところが二つぐらい、だれも考えなかった変わった方向の質問をする。そういう質問を仲間内では「湯川さんの愚問」といって珍重していた。実際湯川さんが来ると、研究会が盛り上がった。そういう研究会での姿勢を、湯川さんは阪大の助教授時代の上司である菊池正士(きくち せいし)教授に学んだという。これええなと思って、自分でもやるようになったのだという。
講師に対する質問というのは、大体うまいこといかないものなのだ。中には、自己顕示欲のために質問する奴が必ずいる。講師をヨイショするような質問をする奴もいる。喜んでいるのは質問者と講師だけ。
ところが「湯川さんの愚問」がでると、議論はだれも思いつきもしなかった方向に流れて行く。あ、そんなこともありかというふうな感じ。ついつられて、いろんなことを言い出す人がでたりして、研究会がものすごく盛り上がる……
というか、一体何なんだ、
「大学内の不定期的なちょっと変わった研究会みたいな場」
ってのわよう。
まあ、あの都市全体が伏魔殿である京都の、さらに蠱毒を作ってるようなところ、すなわち京都大であるから、そういう集まりがあってもおかしかないんだけど。
冒頭のクラスの、その子などが肌に合いそうなところでもあろう。