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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

曖昧な記憶で綴る「ダメおやじ」謎のエピソード&「寄席芸人伝」詳しく紹介(続追悼・古谷三敏)

古谷三敏先生の逝去に際して、まず速報的にお伝えした記事では、以前書いた「ボクの手塚治虫せんせい」書評文を再紹介させてもらいました。
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改めて先生の漫画の思い出をじっくり考えて、少し語りたい。

ただ「BARレモンハート」については、このブログでは数回ほど紹介したと思うのでそれはリンク集に留めておく。後でフラッと語るのが、この作品には合っているだろう。

それに(例によって)リンク集と言ってもかなり膨大にある(笑)
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「寄席芸人伝」~芸談もののパイオニア…そして戦争の影も。

今回、紹介しておきたいのは80年代ぐらいに氏が描いていた「寄席芸人伝」についてだ。
そういえばこの作品何で知ったのかと言うと、 小学校の時に落語好きの担任教師が学級文庫においていたからなんだよな。「バレ噺」なんかも題材として扱う、少々大人向けの作品でもあるのに、なかなかコンプアライアンスの緩やかな昭和でありますことよ(笑)

ja.wikipedia.org


作品としては「労多くして得るもの少なし」ともよく言われる、主人公を定めない一話完結のオムニバス形式で、その都度様々な個性の落語家・芸人、それを支える周辺の人たちが出てくる。個々のエピソードは、落語に詳しくなってくると「あ、このエピソードは〇〇師匠のことだな」と分かったりするのだが、それなりにシャッフルされたり、ファンタジー的に想像を膨らましているところもあるので、あまりダイレクトなモデル漫画というわけでもない。

で今になって思えば…手塚治虫赤塚不二夫らから繋がる(繋がると言うか、本当にアシスタントだったりプレインだったりしたのだが)、シンプルで柔らかい少年漫画風のタッチで典型的なまでの「芸談」を、それもオムニバスであるからそれぞれ「典型」と言うべき形で伝えられたと評価できるのではないだろうか。

芸談」「芸人の生きざま」「お笑い界」というのは、汲めども尽きぬドラマの宝庫であることは今や広く知れ渡り、芸談ものの漫画やドラマも数多く出来ているが、漫画界での「嚆矢」はこの作品であったのではなかろうか。(俺の観測範囲の問題だったらすいません)

そして横山光輝三国志がそうであるように、芸談はあまり重厚な「劇画風」に書かれるよりは古谷三敏的な柔らかい絵柄であるからこそ、当時受け入れられ突破口、開拓者になり得たのではないか、と思うのです。(落語に関するディテール描写に関しては、かなり大らかな描き方・ミスが多いのも横山三国志水滸伝的な何かだろう)


ところで、この作品の中では時々、正反対の「芸談」が登場する。
例えば、同じ話をどこでやっても、一秒たりとも狂いがない…のが名人の凄さと描かれたと思うと、融通の利かないダメな落語の典型扱いされる。

落語の描写に活かすために自ら、話に出てくるような体験をしてみる落語家が良しとされる一方で、 全く経験がないまま、見てきたように表現する落語家こそ名人だと描かれる。

実生活で真面目一方な落語家こそ味がある、としておきながら、私生活のはちゃめちゃさが落語の面白さを生み出すのだ、としたり…

小学生だった僕は、これを読んで楽しむぐらいには早熟で頭がよろしかったが(笑)、やはり最後の所では知恵が足りず「おかしいぞ!1巻と6巻の落語家の言ってることは正反対じゃないか!」的なことを心の中で追及したもんでした。

もちろん、その後無駄に馬齢を重ねて、こどもの日の愚かな誤解はすでにとけております。
まさに、「どちらも正解」だったのだ。同じことでも、人次第だったのだ。
だからそう書いたのだ。これでいいのだ(それは赤塚不二夫)。


そういえば、 これが連載されていた70年代から80年代は、まだ「戦後40年」であり、作者の古谷三敏のように戦争や戦後の混乱期をを記憶・体験していた人も多かった。

だから寄席芸人伝にも「戦争」の影が時々のぞいていて、どれも印象深い。満州慰問に出かけていた落語家の話(「いだてん」で描かれた古今亭志ん生の体験談などがもとだろう)、徴兵された期待の若手落語家が、 玉砕突撃の前夜に、天幕での宴会で一世一代の芸を見せる話(加東大介南の島に雪が降る」…)、アジア戦線で負傷しそのまま現地に残った元落語家が、戦後の日本に一時帰国して、一回だけ寄席に上がる話(ビルマの竪琴…)……

そんななかでも特に印象に残る作品の画像を、たまたま所持しているので紹介しよう。

落語の中でもいわゆる、性的なジョークを題材にした「バレ(破礼)噺」を得意とする噺家が、 統制力の強まる戦時中でも、お上にさんざん怒られ、弾圧されながら芸風を変えない。
それを旦那として贔屓する中には著名な芸術家たちがいたが、彼らは「師匠こそ芸術だ、レジスタンスだ!」と酒席では気炎を上げ、難しい言葉に噺家本人をポカンとさせたりするが、時勢が動くにつれ彼らもどんどん戦時下の風潮に迎合していく。

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寄席芸人伝「あたしゃ芸人、あんたら芸術家のように『術』は使えねえ」古谷三敏

それを横目で見続け、憲兵が目を光らせる戦中も、ラジオで玉音放送が流れた終戦後も「ひたすら艶笑譚を語り続けた」師匠は、一転して自由な空気の流れる戦後社会で、その元旦那の「芸術家」たちと再会する。

噺家の投げかけたひとことは・・・・・・・画像参照。

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寄席芸人伝「あたしゃ芸人、あんたら芸術家のように『術』は使えねえ」古谷三敏
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寄席芸人伝「あたしゃ芸人、あんたら芸術家のように『術』は使えねえ」古谷三敏

「いやー、あたしゃ芸人で お前さんたちのように術は使いませんから」
 「時節時節に合わせてうまく術を使うじゃねえか。 えー、芸術使い」
なんとも印象深い話であった。


ちなみに、上で引用したウィキペディアでは、寄席芸人伝の代表的論評のひとつとして「紙屋研究所」の記事を挙げていた。
これは、同ブログが「はてな」に移転する前のものだな。
このくだりは、自分が「寄席芸人伝」と横山三国志を並んで挙げた部分と同じことを述べているような。

www1.odn.ne.jp

古谷は(例に挙げた他の落語まんがとは)ちがう。そういう細やかな描き分けがない。
 しかし、シンプルな分、古谷の漫画は誰でもいつでもそして何度でも読める漫画になっている。ぼくは初めて読んだのは高校時代であったが(これも兄の所蔵であった)、以後いったい何回読んだのか数えきれない。夜中にインスタントラーメンとインスタントコーヒーをすすりながら読む定番の本は星新一か、初期『こちら葛飾区亀有公園前派出所』か、『1・2のアッホ!!』か、それかこの『寄席芸人伝』であった。それほどくり返し読むのに耐えうる本であった。それもこれも、このシンプルさが寄与している。シンプルなものほど再読性が高い…

「ダメおやじ(後期)」について。「マンションのみんなで深夜に鍋」「メガネさんのカード勝負」話を覚えてるひといる?

寄席芸人伝より少し前なんだよな、多分。
プロレススーパースター列伝と掲載時期が被っていたのは覚えている。


ただその頃はダメおやじは「ほのぼの人生漫画」「うんちく漫画」という、第3形態だか第4形態に、すでに形を変えていたんだ………

そこから遡って、古い初期の単行本を一冊だけ何かの拍子に読むことがあったんだが、つまりダメおやじが壮絶にオニババたちにいじめられる「本来の姿」のほうにこそ強烈な違和感を感じた。
だから、「後期ダメおやじ世代」に属するのだろう。

ただし!!
その時代、子供にはわかりづらいような分かるような、なんとも不思議な話が「少年サンデー」で展開されていたことは事実だ。

そして二つ、なぜか強烈に覚えているエピソードがある。
誰かこれを覚えてる人がいないか、ブログで問うてみたいのだが…
以下、細部は違ってるかもしれないが記憶で語る2題。



<1>

この話はほのぼのとしていて、子供心に好きだったの理解できる話だ。
ダメおやじの済んでいるマンション(アパート?)の元に、明日から長期にわたって外国に行くという友人がやってきて「突然で申し訳ないが、あなたと一緒に鍋を食べたいと思ったんです」と話す。
ダメおやじは冷蔵庫を喜んで開けるが、「うどん玉」ひとつしかない。友人は「それでけっこう、それを茹でて食べましょう」というが、「せっかく来てもらったのにそれじゃ男がすたる!何が何でも鍋を食べてもらう!」とダメおやじは、マンション中の人に声をかける。皆、白菜だけ、鶏肉ひとパックだけ、人参だけ…、それうける大きな鍋だけ……みたいな感じなんだが、みんなの力が合わさると、とても立派な鍋が完成し、大勢でそれをつつくことになる。友人は「海外に行く前に、最高の鍋が食べられました!」と感謝し、感激して帰っていく……

子供心に、たぶんこの、みんなで集まって、材料を持ち寄って鍋を作る、というのが印象に残ってたんだろうね。鳥肉だったこともなぜか覚えている。


<2>

こちらはブラックと言うか、シュールと言うか、「意味が分かると怖い」というか、
未だに完全に消化していると言い切れない話なんだが…

舞台はレモンハートのようなバー。
スターシステム」なのか同一人物なのか、BARレモンハートに出てくる「メガネさん」と姿形そっくり、と言うかメガネさんという通称も同じだったかな…

彼がカウンターに置かれた、5枚のうち4枚(3枚だったかな?)がオープンになっているトランプを眺めながら「あの時と同じだな…」みたいなことをつぶやき、あるカジノでの思い出を語る。

メガネさんはその時…ツキにツキまくって、100万ドルだか200万ドルだかレベルの儲けを手にしていた。しかしそのカジノにはその日、もう一人同様に大儲けしていた男がいて、ついにはトランプの「一騎打ち」となった。ミリオンダラーをかけた、最大の大勝負で、カードが1枚ずつ開かれ、そのたびに賭け額が上がる。
(※自分もよく分からないんだけど、ポーカーか何かで、1枚ずつ開きながら、賭け金を増やしていくシステムがある……のかな?)

そしてその3枚か4枚開いた状態のメガネさんの手札は、残りの手札が良ければ相手に必ず勝てるが、残りが駄目だったらどうしようもなく弱い、ストレート系の役のできかけだったらしい。


そして……相手はニやリと笑うと、懐から小切手帳を出してサインをし始めた。
ここから、その漫画内での説明も、俺のルールの把握も曖昧なんだが「賭け額を相互につり上げていくとき、相手のそれに応じられない時点で、その人物は負けとなる」というルールがあるらしいのね(コールってやつ?)

相手はその小切手でさらに賭け額を増し、メガネさんをこのルールで負かそうとしたらしい…

「風来坊の俺は小切手なんか持ってやしない」
と内心焦りまくるメガネさんだが、そこでカジノの支配人が現れ相手に耳打ちする……どうもこのカジノでは小切手は使えないらしい。
「相手は少々、動揺した」
「失礼と言って、その男は、一旦席を中座した」

それでも「……あと1セントでもレイズされたら、俺は応じられず自動的に負けとなっちまう」と、相手以上に動揺するメガネさんだが…


中座した相手が入った部屋から、ダーンという一発の銃声が聞こえてきた。

…そして支配人がスッとメガネさんの傍によりささやく。

「あなたの勝ちです」


………子供にとっては全くわからない話だったので、大人(父親)に聞きました。つまり、小切手のレイズによって、カードの強さと関係なく勝とうとする戦略が失敗し、負けて全財産を失ってしまうだろうという絶望で相手は自殺、その結果としてメガネさんが勝った、と………

いやそんな話、コドモがどう受け止めりゃいいのよ(笑)!!!
そしてさらに、最後に、まだオチがつく。

興味深くその話を聞いていたダメおやじは「このカードの並びは、その時と同じなんですね。じゃあ、残りのカードは…」

と、めくろうとすると、メガネさんは鋭い声で「やめろっ!」と強く制止する。

その時に何か理由を述べてたと思うけどそこまで覚えてない…それは運命と相手に対して失礼だ、とかそういう感じ。


そしてダメおやじもメガネさんも他の客も帰ったバー。

カウンターにはカードがそのまま、放置されている。
マスター(レモンハートの店主と同じかなァ)が、そのカードの前にたたずみ

「(残りのカードを)開けるべきか、開けざるべきか………」額から汗を流しながら考え込むシーンで、この話は終わる。

…ただの思い出、少年時代が曖昧な記憶の再現ですまんけど、
確かにこんな話を、古谷三敏先生は「少年サンデ―」内で描いていたはずである。
(上の2つのエピソード、私も覚えている…、という人はお知らせください)


そんな古谷先生に、静かに献杯…。