盛り上がってる話題だけど
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若い時は、シェークスピアのセリフを暗記して、スラスラ出てくるのを教養あるなあと思ってたけど、年取って今やシャアのセリフ「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを」とか、煉獄杏寿郎のセリフ「俺は俺の責務を全うする」を暗記してるのと大して変わらない気がしてきた
— 野田篤司 (@madnoda) 2021年6月2日
「ああ、このテーマが話題か、昔の記事にリンクを張れば足りる系だな」という感じで…ホイ
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ただ、シェイクスピア引用とガンダム引用は非常に近縁だと理解が行くだろうがブクマの皆さん、たとえばこっちを「教養」と認めますかね。
真ん中の娘はきれいなウィーバースタンス、右の娘は至近距離から撃っても返り血を掌で防げる殺し屋ムーブ、左の娘はちょっと構える位置が高いものの PPC 風のクラウチングスタイルと、誰もがとても素人とは思えない銃の構え方をしてて草。 https://t.co/OCv5sZOHTX
— 水漏れ煩悩さま (@khoshimi) May 26, 2021
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つまりこの話だ。2009年に書いた記事
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わたしはこうやって「いや小生、銃にはとんと疎くて へへへ」で済ませているけど、それは刀狩国家ニッポンにて平和と惰眠をむさぼっているからで、銃にからんだ暴力との対峙は国家権力に全面依存しているからだ。(その他の暴力もだけど)
ただ、それがグローバル・スタンダードの中においていいことなのか?というのがテーマだ。
(略)…海外で、一部は銃を持つことが合法であり、または非合法でもそれを持つことが日常茶飯事ならば、それへの対処としての「銃の知識」を我々が持っていないのは無知でもあり、傲慢でもあると言えるのでは無いか。(略)……少なくとも、銃には安全装置がある(らしい)が、それをどう動かせば解除できるか、なんてことぐらいは「一般教養」として知っておくべきじゃないか?と。いつも心に柘植久慶。
どうかね、銃をブレずに放てるような構え方の知識と、それを実践できるのは「教養」かね?できない人間は「無教養」かね?
もちろん「孤独のグルメ」に登場するアームロックの手順と原理を熟知し、それを実際に仕掛けられるかどうかも。
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過去記事から読みどころ紹介
そのほか、リンクって張っても案外読まれないもんだから、名場面名台詞を引用しておこうか。
……国際化というのは英語なんかしゃべることではない。英国では誰だって英語を話す。イギリス人の冗談しゃれ会話のすべては、シェイクスピアをふまえている。一数学者が朗々と暗誦するのを聞いてそう思った。なまじ英文学をかじったなんてのはバカにされるだけだ。それより和漢の古典をしっかり読んでおいたほうが互いに友になれる。
(略)
ふだんの会話のなかにかれにシェイクスピアがあるように、われに忠臣蔵以下無数の狂言があったのである。大震災を境にそれは滅びた。私たちはとり返しのつかないものを失ったのである。
(山本夏彦)
(森下直美「大阪ハムレット」)高島俊男
(※倉石氏という、漢文は読み下しではなく、中国語での発音と文法で教えるべきだ、という論者がいる…リンク先参照。その人の考え方は)「当然そうあるべきだと思った。言葉というのは耳で聞いて口で話すものだからね。だから自分が教師になってからも、入門段階では漢字は出さなかった。」
呉智英
「倉石先生の考えはもっともだと思うけれども、日本の場合、漢文訓読みが千年以上にも亘って日本語の独特の読み方として文化の中で血肉化している面がある。それが日本語をつくっているわけです。『子曰』は『シノタマワク』であって『ツーユエ』とは読まない。少なくとも教養人といわれるひとたちは何らかの形でそれを継承していかないと、日本語はやせ細る。」
好きでいることに資格がいるのか?でも「BTTF」は絶対見とけ!そんな彼女の1人でキネマな日常「木根さんの1人でキネマ」7本目がヤングアニマルDensi(https://t.co/ub6jmguZtq )にて公開中! pic.twitter.com/e4pcIeO9kv
— アサイ・1人でキネマよろしくね (@asumithi) 2015年11月11日
ピン! ときた私は、すぐに そばにいた女房に御格子を上げさせ、また、私自身 御簾を高く巻き揚げて、宮様のほうを振り向き「これでいかがでしょうか」というように目配せいたしますと、宮様は 満足げに にっこりと微笑まれました。
お側にいた女房たちも はじめのうちこそポカーンとして見ていましたが、そのうちに一人の女房が「ほら、あの香炉峰の雪は簾を撥げて見るっていう、アレのことじゃないかしら?!」と言ったのをきっかけにして、みなが口々に「さすがは少納言さん!」、「私だって、そのお歌は知っていましたけれど、とてもとても そんなにとっさには思いつけるものではないわ」などと感心してくれたのでした・・・
(清少納言)
(げんしけん)「私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。そういう世界で何が起きようと、私には全く関心がない。もちろんプロレスの世界にもそれなりの人生模様がさまざまあるだろう。しかし、だからといってどうだというのか。世の大多数の人にとって、そんなことはどうでもいいことである」
91年、故・井田真木子の「プロレス少女伝説」に、大宅壮一ノンフィクション賞が授けられたとき、選考委員の中でたったひとり、最後まで反対し続けた立花隆による選評の一説である…(略)… プロレスを一言の下に斬り捨てた右の文章と、ちょうど対照的位置にあるのが『サル学の現在』の前書き冒頭近くにあるこんな文章だ。
「今、サル学のことを書いているというと、たいていの人が『なんでまたサル学なんかに興味を持ったんですか』と尋ねる。このように問われること自体、私ははなはだ不満である。そのような問いに対して、私はいつも『何でまたサル学に興味が無いんですか』と問い返す。私の理解するところでは、およそ人間というものに興味を持つ知的人間であれば誰であれ、サル学に興味を持たないはずがないのである」
(略)
女子プロレスも、サルの生態も、それを職業とする人以外、まずパンの役には立たない点は共通する。
立花は両者を、知的レベルが高ければ熱中するわけがない女子プロレス、知的な人ならば興味を持つに決まっているサル学というように峻別する。
いったい区別する根拠はどこにあるのだろうか。
(浅羽通明)
(昭和元禄落語心中)https://t.co/3Mz0QVFULT
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2017年7月17日
施川ユウキ「バーナード嬢曰く」より pic.twitter.com/5CS8UlzMKU
まてよ、若旦さんにまともに「芝居やめろ」言ぅても聞かはらへんやろなぁ……、よっしゃ。
★やれ、若旦那ぁ〜〜。芝居の真似をやめればよし、やめぬなんぞとぬかすが最後、とっ掴めぇて……、ひっ掴めぇて……、やりゃ〜しょめぇか、返答は? あ、さぁ。さぁ、さぁさぁさぁさぁ……、何と、なぁ〜んとぉ〜〜〜
●わぁ〜っ、定吉、お前うまいなぁ。嬉しなってくるなぁ……。
(落語「七段目」)
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— ピサ朗@ぴさろー (@pisaroh) 2021年6月2日太宰治が、勉強の素晴らしさについて教えてくれました。良いコト言うじゃない。このフレーズ何回も読んで自分を戒めよう。子どもが悩んだ時にも、この教えをうまく伝えられる様な大人になりたい。 pic.twitter.com/Zd5nAquwsz
— うまいごす(呉須色) (@umaigos) 2021年1月28日超獣全体としてはマイナーでも、こち亀に登場したという稀有な経歴持ちの超獣シシゴランさん pic.twitter.com/BXnX5FbHI6
— 直人 (@naonaototototo) 2019年12月20日