この記事からの続きというかスピンオフというか。
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「教養」とか「学問」にまつわる有名な話です。
呉智英は宮崎市定が直接知っている数学者の体験談、としている。
宮崎の本も、読んだときにこの記述が出てきて、あーあの話か―、と思った記憶があるから、記述の存在自体は間違いないところだとは思うけど、だいぶ前だったので細部の文章は覚えてない。
ただ、呉智英はちょっと膨らませてというか
描写を細かくして、また宮崎が余談として扱ったものに
強いスポットライトを浴びせたので、こちら経由で有名になった部分もあるかもしれない。
このブログではすでに何度か紹介している話だけど
「教養」関連の話題&「しばしば引用される話題の資料」として、ここに独立させて置いておこう。
…宮崎市定という学者がいる…(略)‥‥宮崎の知っているある数学者の話だ。
この数学者は、また誠実な教育者でもあった。彼は、 ある貧しい少年に目をかけていた。少年は、貧しいけれど、非常に頭がよかったからである。
やがて、少年は進学時期をむかえた。しかし、貧しいため進学することはできなかった。数学者も残念がったけど、しかたがない。くじけるんじゃないぞ、勉強は自分一人でもできるんだ。 数学者は、少年をこう励ました。
三十年たった。
老境にさしかかった数学者の家に、四十歳すぎの男が訪ねて来た。先生、長らく御無沙汰しております。
おお、君は、あの少年。
はい、実はこうして訪ねてまいりましたのには、わけがあります。あの時の先生の励ましの言葉を忘れず、農作業のあいまに、いつも紙と鉛筆をたずさえ、ひまを見ては計算をしておりましたが、先日、大発見をいたしました。御覧ください、これがその大発見です。
男がわらばん紙に数字をかきつらねたものを出し、数学者は、それを受けとって見た。数学者は、そこに、あまりにも残酷な現実というものを見て、力なく、ああ、というしかなかった。
わらばん紙に書かれた大発見がまちがっていたわけではない。その大発見は正しかった。
だからこそ、いっそう残酷だったのである。
そこには、二次方程式の解法が正しく記されていたのだ。
この人は、たった一人で、三十年かかって、二次方程式の解法を発見したのだ。
それは確かに偉業である。だが二次方程式の解法など、上級学校で僅か半年間の間に習うのである。四十歳過ぎた男が、どれほどのひらめきと努力の結果、 30年かかって2次方程式の解法を発見したのだとしても、何の意味もないのである。
この話の感動的なまでの残酷さ。これが理解できない人、それが「無知の悪魔(サタン)」なのだ。※呉智英は元ネタとしてこの本を挙げています
- 作者:呉 智英
- 発売日: 1996/07/01
- メディア: 文庫
- 作者:宮崎 市定
- メディア: -
- 作者:宮崎 市定
- メディア: -
- 作者:宮崎 市定
- メディア: -
ここでは悲劇として書かれているけど、自分は「残念だったかもしれないけど、これはこれで本人にとっては満足感があったんじゃないか?」という感想も抱いている。
それはここで素人としてあれこれを徒然に書いていると、自分が独自に思いついた問いや考察と、ほぼ同じ内容を、えらい先人さんが既に語っていることがあとから分かることはしょっちゅうでね。
それはそれで一種うれしいもんだから。
コメント欄より
Poet
こういう話って、「何の役にも立たない教養」と「実学」のどちらに重きを置くかによって感想は変わりますよね。
呉智英は、実は封建主義で政治を変えようとか、死刑制度を仇討ちに変えようとか、儒学で日本の倫理教育をしよう
などと、本気では全く思っていなくて、読書の楽しみのひとつは、知識をひけらかすことだと言うくらい前者を
重んじる人なのに「何の意味もない」と断じるのは、逆にどうなのかな?と初読時から思っていました。
自分は実学派なので、例えば、藤原正彦や石原慎太郎の言う、「日本には、ニュートン、ライプニッツよりも
ずっと前に微分計算に到達した和算者がいた。日本はすごい」という論には全く与しないです。
「微分計算の発見ではなく、微分方程式によって物理学を記述して世界を変えたニュートンがすごい」ですね。
同様に、ガリレオは、望遠鏡を発明しなかったけど、天体観測に使用して世界を変えた人。コロンブスも
大西洋航路を開いて世界を変えた人。こういう視点のほうが、自分的には、教養主義より楽しいです。
格闘技に例えると、骨法よりもブラジリアン柔術がえらい。
id:gryphon
ひとり西洋の科学者に、大発見をし続けたのに内気すぎてその大発見を発表しなかった人いましたよね…………キャベンディッシュだったか!?
- 作者:清水 義範
- メディア: 文庫
Poet
キャベンディッシュ、そうだったらしいですね。
性格は正反対だけど、リチャード・ファインマンも研究結果を発表しないで秘蔵し、
他人の研究を虚仮にするためにだけ使う悪癖があったそうです。