2千年前のスパルタの王は、シチリアからもたらされた、おそるべき新兵器をひとめみて、慄然として叫んだという。
「おお、ヘラクレスよ! 人間の勇気も、もうおしまいだ…」
そのおそるべき新兵器とは__ヤリの投射器だった。
小松左京「明日泥棒」より(「回りだした渦巻」の章冒頭)
マスターキートンでおなじみの古代の槍投げ器、もっと放物線を描いて飛ぶのかと思ったら凄い勢い。
— 佐山史織 (@doranekocompany) December 4, 2022
これは当たったら死ぬわ。 pic.twitter.com/tVbaseoto1
自分は古城跡を見るたびに、その防御力の高さなどを見てなんども「確かにすごいが、戦争のためになら人間とはなんとも知恵と労力を惜しげもなく発揮するものであるなあ」と思ったことであったよ。
それは気球、電信、潜水艦などの発達史を見るたびにそう思ったし、そしてなんといっても石つぶてを投げ合うところから、大陸間弾道弾までに進歩した「飛び道具」の歴史を見るときに思うのであった。
togetter.com
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そしてこの言葉は、学生時代に一回読んだきりだった「明日泥棒」の中で印象的な一文として覚えていて、このブログなどでも引用していたが、はっきりどこにどう書いてあったかを、できれば確定させたほうがいいので、その一環として抜き出した。
エジプトの遺跡から、「最近の若いものは…」という碑文が出てきた、という、細部は真偽不明の話(はてなのどこかに検証あったはず)は有名だが、この小松左京が紹介した「いまや最新兵器は強力すぎる。人類の危機だ……」と古代ギリシアで言われた、という話もどこまで資料的裏付けがあるのか知らない。小松左京の博識は信頼がおけるが「SF作家である」ことは信頼がおけぬ(笑)。いや、少し膨らませたホラ話がみな大好きだったし、あくまで「小説」の中で雑学的に登場した話題だ、ここが厳密じゃなくてもいいか、と考えてもおかしくない。
ただまぁ、大量に命を奪う、「最新兵器」の登場を憂える声が古代からあった、というのは、人間の良識の証明として記録するに足る、かもしれない。
それは、繰り返される…
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今回の記事のきっかけは、「蔵書整理をしたら、どこにあるのかわからなかった古い蔵書が出てきた」だけなんだが(※断続的に整理やっているので、今後も多分唐突に出てきます)、
「どこかに確かにあるはずなのに見つからない」『アシモフの雑学コレクション』に、初期の投石器か大砲があまりに強力(だと当時の人々は感じた)ので、射つ前に警告の旗を掲げたーーーという記述があったはずだ。
その一方で「新しい兵器や戦法を『危険すぎる』『人道に反する』として規制しようとするのは、古い戦法の強者=既得権益者だ」という指摘もある。
過去記事
コルトの話を逆の立場から。「強力な武器を禁ずれば、肉体的な強者がそのまま強者でいられる」⇒騎士道、武士道誕生(ボウガン、銃は卑怯)??
この話、こんど「銃とマンガ」で特集をしたいと思ってたんだけどね…ま、そのときはそのまま再論しよう。
百年戦争を舞台に、傭兵の活躍を描く「ホークウッド」5巻に印象的なシーンがある。
読めますかな?画像不鮮明で読めないひとのために、台詞を一部抜粋。
「騎士であることは特権である」
「支配階級である騎士たちは自らの特権を守るため 戦いの決まりごとを自分たちに都合の良いように定め 従わせた」
「かつて騎士たちは 弩を”あまりに無慈悲な武器”であるとして 教皇に訴え 禁止令を出させた」
「弩は(略)平民であっても騎士の命を奪うことができるということ…禁止令を出させたのは(略)真に怖れていたことの証左…」
ボウガンですら、こうなのだから、さらに時代が下り、「銃」が生まれたら…
と、やはり「銃は卑怯」となる。(この漫画「乙女戦争」の舞台はチェコ、「フス戦争」の時代)
このテーマを語っているとき、また自然に「ドリフターズ」のこのコマを貼ってしまって、ちょうどいいリンク集になっているのだけど(この画像をクリックすると、下が過去記事のリンクになる)