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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「田中角栄は懐が深く、批判に寛容だった」とかいう歴史修正は何なんだろうね

この前の岸井成格佐高信の対談本から

メインの話はこちらで紹介したけど
m-dojo.hatenadiary.com


それとは別に、
ここで田中角栄の話が出てくる。

岸井 (略)…記者としての経験を話すと、佐藤内閣が終わって田中内閣ができた時、私は橋本幹事長番になった。そのまま幹事長番をスライドして。


佐高  龍太郎でなくて、橋本登美三郎ね。


岸井そう。登美さん番になった。あの時、幹事長を替えなかったのは毎日だけだった。 ポスト佐藤は福田が最有力だというので、各社とも福田内閣に向けた配置をしていたのね。それが角さんに引っくり返されて、田中内閣が成立する。永田町の枠内で言えば、あれはある種の革命だったんだ。そこで、各社もすべて番記者を替えたんだ。私だけが横滑りでそのまま幹事長番になった。
でも、夜の飲み会とかに、なぜか私は呼ばれないんだ。「なんだ、これは」という感じだった。そんな時に有名な事件が起こる。角さん就任直後の軽井沢の料亭「遊ふき利」懇談というのがあったんだ。私はその場にいなかったんだけど、ここで問題発言があった。角さんが手刀で首を切るしぐさを交えながら、新聞各社のトップや重役の名前を挙げて、おまえのところの誰々はあの時にああだった、こうだったと言って、「おまえらなんか、いつでもこれできるんだ」とやった。
番記者に対してそこから始めるかと、私は相当の違和感があったね。懇談と言っても、「遊ふき利」でのそれは活字になるはずの懇談だったんだ。しかし、角さんサイドは全社の幹部に掲載差し止めを指示。めったにないよ、そんなこと。でも、あの時の角さんの人気とマスコミの応援ぶりはすごかったから、あっさり呑んじゃった。あれは痛恨だったね。


この「軽井沢発言」って秘話でもなんでもなく、知ってる人は知ってる有名な話。

共同通信社の原は以下のエピソードを紹介している。「田中角栄首相は七二年八月、軽井沢で田中番記者に対し、郵政大臣や大蔵大臣のとき放送局への免許や新聞社への国有地払下げで各社の面倒をみてきた事実を説明した。その上で「マスコミは全部知ってい
るから、やれないことはない」と凄み、クビに平手を当てながら「その気になればコレだってできるし、記事を止めることもわけはない」と恫喝した。このエピソードは当時、記者仲間で話題になったが、ニュースにはなっていない」
https://policy-practice.com/db/2_187.pdf

…ではあるんだけど、直接その場には残念ながら居合わせなかった(※自己申告です)とはいえ、幹事長番であった以上、通常の人以上に具体的な情報は把握できる立場だったろう。そういう意味では貴重な証言。

とくに2016-17年ごろの話だと記憶しているが、すでに長期政権のまっただなかだった安倍晋三首相をくさすために「”安倍と違って”田中角栄は批判に寛容だった/異なる意見に耳を傾けた」とかそういう話が出回ることがあった。
佐高信石原慎太郎という、立場の全く異なる人間(品性の無さや偏見の強さなどでは共通点も多し、だが)が書いてたりするのだから、別に右だとか左だとかでもない。

なに寝言言ってるんだ、と思った。別に安倍批判をするならそれでいいんで、昭和自民党を粉飾で持ち上げる必要もあるまい。(この「安倍をたたくために持ち上げられた」昭和政治家のボーナスポイントはすごいもんがある。中曽根から金丸から…)

こんな話もあり。

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田中角栄は日常的に記者を恫喝していた(毎日新聞記者の回想)

もともとの経緯として安倍は福田派の流れをくむ清和会で、竹下派とは別の流れだからこそ、田中角栄は持ち上げられた…という面があったのだろうけども、安倍退場といういい機会だから、その種の思惑による「田中角栄age↑」も、ここで一区切りつけませんか、みなさん。