twitterでのやり取りから得られた知見を、埋め込み形式を駆使してまとめてみます。
映像化された「投槍器の破壊力」動画で思い出した小松左京「明日泥棒」の一節。(古代人ですら「大量破壊兵器」の前に恐怖した、という話)
マスターキートンでおなじみの古代の槍投げ器、もっと放物線を描いて飛ぶのかと思ったら凄い勢い。
— 佐山史織 (@doranekocompany) December 4, 2022
これは当たったら死ぬわ。 pic.twitter.com/tVbaseoto1
スパルタの王が、槍投げ器を見て「おお、ヘラクレスよ!人間の勇気も、もうおしまいだ」と嘆いたそうです。
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2022年12月4日
これがおそらく、世界史上初の「大量破壊兵器への恐怖」なのでしょうか…https://t.co/44CMLjUqvR
※この議論は最終的に違う場所に着地するので、映像そのままの投槍器のほうに興味のある人はこちらのほうにどうぞ。
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銃以前の「遠方武器」画像コレクション
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2016年3月24日
MASTERキートンより。
人間は本当に、自分がやられない距離から敵を一方的に殺したいと考え工夫と努力を重ねてきたな…
軍事史をど素人的に眺めてても「凄いが不毛だ!」と(笑)@kyu190a pic.twitter.com/TklTRfFjfL
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興味を持たれる方が多いので、出典情報を追加。「おおヘラクレスよ!」の挿話は小松左京のSF小説「明日泥棒」の中に出てきます。現物のページ画像をお見せしたかったのですが…
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2022年12月5日
「この最新兵器は、人類にとってあまりに危険過ぎる」…と2千年前も言われた話。https://t.co/lxnApl31G0
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「古代人も、強力すぎる兵器を人道的見地から歯止めをかけた」というエピソードとして連想すると、古代中国で黄河の堤防は戦争でも壊さないと定めた「葵丘の盟」にも考えが及びます。陳舜臣氏は「葵丘の盟も守れたのだから、核軍縮もきっとできる」と語っていました。https://t.co/eFL7bgRYNd pic.twitter.com/wBrI3FCJl4
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2022年12月5日
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ちょっと話のいきがかり上、この「明日泥棒」という作品をざっくり紹介します。
「コンツワ!」とそいつはいきなり、ぼくの背後から声をかけた。横浜の港が見える丘の上に、ひょっこり姿をあらわした、奇妙な日本語を喋る男。頭に古風な山高帽、モーニングの上着に小倉のはかまといういでたちで、名前をゴエモンと名乗った。その直後、日本全土からあらゆる音が消えてしまった――。ゴエモンとは何者なのか? ゴエモンを利用して世界を動かそうと企む人間達の思惑が絡み合い、事態は思わぬ方向へと転がり始める。極上の笑いとSFだけが描き得る真の恐ろしさが同居する、異色の傑作長編!
要は不思議な能力を持った「宇宙人ゴエモン」を名乗る怪しげな男が地球にやってきて、とある男性のもとで居候をする。
そして宇宙人のまっさらな視点で、地球を観察し、皮肉とも風刺とも取れる不思議な視点で論評する…という、ちょっとエッセイ的な味わいもあるコンセプトなんだが、それと同時にメインストーリーも展開されていく。
それは、このゴエモンの不思議な力というのは、世界中の「火薬・爆発物」を、原爆からピストルに至るまで一瞬で無力化する、というものも含まれていた、という設定で…当然、これは発動されると、世界情勢すら一変させるような巨大な影響力がある。
その影響力を巡って各国の情報機関のほか、やや突飛な世界平和への理想を持つ怪しげな政界フィクサーなどが活動するお話だ。
個人的にはSFにおける「現在の文明や技術を、敵味方両方を含めて”無効化”」するという設定があるんだな、とガンダムのミノフスキー粒子や銀英伝のゼッフル粒子と連想がつながり、ゆえに印象に残っている。
※これについては、以下の記事で語った。
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そんなふうな「武器と人間の関係」を、ゴエモンに居候されている男性がつらつらと夢想する時のエピソードとして、ほんの一節だけ登場したのが、「スパルタの王と槍の投射器」だったというわけ。
しかし……
ここで「そういう発言、本当に合ったの?出典誰か知ってる?」との問いが。
これ小説の中の話なのか、実際そう言われたのか、出典ご存知の方いますかね?
— Amictica sal vitae.(新アカウント) (@boots_fleck1) 2022年12月6日
ギリシアでは、皮紐などを投槍に巻いてアトラトルを使った時のように飛ばす技術は知られていたと考えられてますし、レオニダスも知っていたと個人的には思います。
ギリシアクラスタの方で、ご存知の人いますでしょうか? https://t.co/ngZDgFPrZO
ちなみに、ローマ人も知っていました。
— Amictica sal vitae.(新アカウント) (@boots_fleck1) 2022年12月6日
Achilles Tatiusに出てくる狩人も、前述の革紐のそれを使用していますね。
そもそも、ギリシア人は強力なスリングショットを実戦で使っていたから、そんな発想なんかは普通にあったと思うんだけどなー。
— Amictica sal vitae.(新アカウント) (@boots_fleck1) 2022年12月6日
うーん。
失礼、レオニダスじゃなくて『スパルタ王』ですね。
— Amictica sal vitae.(新アカウント) (@boots_fleck1) 2022年12月6日
つい自分の脳内で、レオニダスに変換しちゃいました。
アホですね。 https://t.co/eEgk3zotvi
そもそも投槍器(やり投げに遠心力を付ける道具)は、スパルタの王が知らない筈はない…と。
紹介記事にも書いたのだけど、そこは自分も詰め切れてないのですよ。そもそも「投げ槍器は、石器時代からあった」、みたいな話が数年前NHKでやってて、こんなふうにまとめたりしたんですが(一度忘れられ、再発明された…??)https://t.co/5TdDDul8K9https://t.co/U0SSVAHiCh
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2022年12月6日
m-dojo.hatenadiary.com
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ギリシャクラスタという程の知識はないニワカですが、アメントゥム?というギリシャ版のアトラトルのようなものがあったとある英語サイトで図絵付きで見たことありますね。英WIKIにも記事があり、古代のイベリアのケルト人?やローマ人も類似品の存在を認識しているとかhttps://t.co/qWF0WoMZ9J
— 西方政府軍兵士@ノクターンノベルズ&ノベルアッププラス (@Lkpi8dEIKmF7bi1) 2022年12月6日
ドン・キホーテみたいな人は昔からいますね。
— cuniculicavum (@cuniculicavum00) 2022年11月17日
カタパルトを披露されたスパルタ王アルキダモスは、「勇気は終わった(ἀπόλωλεν ἀνδρὸς ἁρετά)」と口にしたそうです。
cf. Plut. Mor. 191d. & 219b.
このサイトだと、アメントゥムについて書かれた図絵が見れます。https://t.co/BeglatBqFM
— 西方政府軍兵士@ノクターンノベルズ&ノベルアッププラス (@Lkpi8dEIKmF7bi1) 2022年12月6日
アメントゥムによる投槍、古代五輪の競技だったりするのにも驚きました。それぐらい投擲武器ではメジャーな扱いだった?
— 西方政府軍兵士@ノクターンノベルズ&ノベルアッププラス (@Lkpi8dEIKmF7bi1) 2022年12月6日
他にも何故ローマ人はアトラトル的な道具でピルムの射程距離の延長を図らなかった?って質問への回答でアメントゥムが言及されてるのを見ましたhttps://t.co/fXHy7exKFj
レオニダスは分かりませんが、こちらのことではないでしょうか?https://t.co/ovtsWRjaAr
— cuniculicavum (@cuniculicavum00) 2022年12月6日
あ、すいません、ついスパルタ王をレオニダスと変換しちゃいました……訂正します。
— Amictica sal vitae.(新アカウント) (@boots_fleck1) 2022年12月6日
カタパルトというと、手持ちの兵器ではなくて、野戦用の大型兵器ですか?
それとも攻城戦用?
あるいはしっかりとアトラトルのような“発射台”をもつ投槍具ということですか?
— Amictica sal vitae.(新アカウント) (@boots_fleck1) 2022年12月6日
ということは、概ね正しいものの、槍投げ器のことではないといことですね。
— Amictica sal vitae.(新アカウント) (@boots_fleck1) 2022年12月6日
ありがとうございます。 https://t.co/mmzacdtaDI
そして、ほぼこれが出典だろう、という話に行き当たる。
この件、解決しました。
— Amictica sal vitae.(新アカウント) (@boots_fleck1) December 6, 2022
スパルタ王アルキダモス3世が
(英訳によって様々)
『Oh Hercules, man’s courage is of no use any more!』
『By Heracles, this is the end of man’s valor!”』
などと言ったそうです。
markwitzs 2015.p3
soedel 1979.p5
weir 2005.p69 https://t.co/eEgk3z6SDK
紀元前370年頃、アルキダモスの遠征を支援するためにやってきたシラクサからの軍人が、シラクサの僭主ディオニュシオス1世がカルタゴに対して使って成功した、大きな木の幹に弓の弦を巻きつけて放つ巨大な弓(カタパルト)を使うことを実演してみせました。
— Amictica sal vitae.(新アカウント) (@boots_fleck1) 2022年12月6日
カタパルト用の重い矢をこのやり方で放つと、どんな弓矢よりも数倍も遠くまで飛び、盾やコルセットをもきれいに貫きました。
— Amictica sal vitae.(新アカウント) (@boots_fleck1) 2022年12月6日
アルキダモスは、このような強力な武器を持ってきたシチリア軍将校を賞賛する代わりに
「おおヘラクレス、これが人間の勇気の終わりだ」
などと言ったということです。@cuniculicavum00様のおっしゃる通り、概ねそのままで言われているようです。 https://t.co/CNrUWjEOUq
— Amictica sal vitae.(新アカウント) (@boots_fleck1) 2022年12月6日
しかし、元々に(私が疑問を持った元ツイート)書いてあることは概ね正しいものの、これはカタパルト(攻城用もしくは野戦用)のことであって、手持ちの槍投げ器のことではないようですね。@cuniculicavum00様、ありがとうございました。 https://t.co/mmzacdtaDI
— Amictica sal vitae.(新アカウント) (@boots_fleck1) 2022年12月6日
ここでのコルセットは鎧のことですね。 https://t.co/fkfo69w81r
— Amictica sal vitae.(新アカウント) (@boots_fleck1) 2022年12月6日
歩く百科事典・小松左京氏の博学はさすがながら「ヤリの投射器」がやや不正確だった、ということでしょうか。ほかの…石や弓は複雑な「機械」で投射できそうだけど、槍(だけ)はそうはいかないものなあ。https://t.co/CMnWs2mTGW
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2022年12月6日
※これ、よく考えたらカタパルトで放つ「矢」は人力の弓矢より相当に重く長いらしいので「槍の投射器」だと表記してもおかしくないというか定義、用語の違いに過ぎないのかも…
にしても小松左京の傑作「明日泥棒」は1965年作品。そこでごくさらりと語られた、本筋と関係ない記述の出典、原典や細部の異同が判明するとは。
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2022年12月6日
関川夏央が「坊ちゃんの時代」捕捉で書いた
「文学史上の小さな謎が、ひとつここに解明された。」
を借用し感謝を。@cuniculicavum00 @boots_fleck1
ということで,スパルタ王アレキダモスという名前が判明。ウィキペディアにはこの挿話の記述もあるだろうか…?
ja.wikipedia.org
1〜5世までいやがる。誰だよ。ああ3世か。
ja.wikipedia.org
最初に書いたように、この話が出てきたのは本筋とかに関わる話でなく、ほんのちょっとした枝葉の一節。小松左京がこの話を詳しく覚えていたかうろ覚えだったかはともかく、ここで出典や王様の固有名詞、原文のギリシャ語なんかをつらつら並べる必要は全くない。ぼやっと曖昧に、寓話風に語るのは文学的にも正しかったろう。
というか小松左京にとっては「こんな話は誰でも知ってる”お馴染みのアレ”だろうからな…ざっくりかけば『ああアレか』で済むだろう」とかだったかもしれん(笑)
ただこうやって 「SNS」という新技術、インフラを活用して、詳しい人、興味を持った人たちの知恵が集まり、最初に書いた人(俺)が能力的にも意思的にも、やろうとも思わなかった「出典の発掘」に成功する……一貫して人間の生む科学や新技術には楽観的な信頼を寄せ続けた小松左京作品にふさわしい、エピソードではないか? と自画自賛(※いやそもそも自画ですらねえだろ、他人のふんどしだろ)して終わりたいと思います。(了)