そういうわけで、この前のアメトーク「ガンダム芸人vs越中詩郎」を見させていただきました。
もともと、ガンダムはともかく、「越中詩郎」のほうは、人気番組に持ってくのは無理があるというか、基本的には「そんなん、誰も知らんぞ!」という落ちに着地するのは、これははじめから想定している話なんであります。
【補足】と、思ったら大反響だった由。
http://blog.livedoor.jp/ros0014/archives/50645778.html
だからそれとは別に単体で芸を見たほうがいいのですが、そうするとあの「アムロが神社の縁日でタコヤキを焼く」というネタは面白かったですね。声もそっくりだし。
あっ、フラウボウ。えっ、たこ焼きの屋台があるから買ってくれって?
(略、舞台は屋台に移る)・・・だれもいないぞ。
これがたこ焼きを作る機械か・・・どうやってやるんだ? こいつ・・・動くぞ!!
(マニュアルと)同じだ・・・こいつと(たこ焼き機に火をつける)・・・ボウッ、こいつか・・・ボウッ
この小麦粉を水で溶いたようなやつがエネルギーの代わりか!
ジューッっと音がなっている。ビームサーベルを水に着けた時と同じ音だ!
よおし、ねぎを入れるのか、切らなくっちゃ。
ザク、ザク、ザク、ザク、・・・・!! このネギ、ジオンのザクか!!
さすが量産型だ、見る見るうちに増えていくぞ。
くそう、ザクめ。
次はタコを入れるのか。
このタコ赤いな。
奴だ! 奴が来たんだ、赤い彗星のシャアだ!!さっきの青いザクより三倍のスピードでプチプチいっているぞ・・・
(目を押さえて)
「(油が)はねた・・・!目に入った!!!・・・・まだだ、たかがメインカメラをやられただけだ!!」
この後、たこ焼きをビームサーベル(針)でひっくり返し、店の親父が戻ってきて騒ぎになるところまで続く。
この種のガンダム芸というのは、同時多発的に発生している。
二、三週間前に放送した「岡田斗司夫のプチクリ学園」には「ガンダム講談」をやるホントの講談師が登場したし(笑)。なんでも、どこかでこれに特化したイベントをやっていて、そこが発信地になったそうだ。、「あ、これでもそれなりにお客さん付いてくるわ」とわかったんだな。
http://www.mondo21.net/variety/okada/backnum.html
第16回 ゲスト:旭堂南半球
講談師
海洋堂宮脇社長、安斎レオに続く関西からの刺客は講談師・旭堂南半球。
ガンダムネタの講談を中心に関西で活躍し、ゲームを講談にする事と大河ドラマへの出演を熱望し、子供達に歴史の面白さを教えてあげたいと夢見る講談界のニューホープである。
余談だが、今見ると2月には吉田豪と、岡田斗司夫の全面戦争だって!!(越中詩郎調)
http://www.mondo21.net/variety/okada/index.html
閑話休題。
これは、実はある意味、文化というものの共通性でもあるっす。
あったりまえの、凡庸な指摘・・・というか再確認だが、パロディってものは、その元ネタが共通理解されてなきゃいけない。これが大前提。よく、「昔の世代は戦争や大学紛争などの共通体験があったが、今はそれがないからテレビや漫画を共通体験としているだけ。嘆かわしい」みたいな若い世代批判が80年代から出ている。
それは価値判断はともかく、事実認定としてはある程度正しくはあるだろう。
ただ、その種の共通理解の文化が、「遊び」には必要でもあるのも真実。
有名なこの話だって、ノリはガンダム芸人とあんまり変わらんのだよ(笑)
http://f1.aaa.livedoor.jp/~heiankyo/co200510news1.htm
雪がたいそう高く降りつもった朝、いつもならすぐに御格子を上げて雪景色を楽しむはずのところなのですが、その日は御格子をおろしたままで、炭櫃に火をカンカンに熾こし、私達女房は薄暗い中、物語りなどをしながら 中宮定子様の御前に控えておりました。
と、その時、宮様は「少納言よ、香炉峯の雪はどうでしょうか」と、いたずらっぽい目をして 私 清少納言にお言葉をかけて下さったのです。
ピン! ときた私は、すぐに そばにいた女房に御格子を上げさせ、また、私自身 御簾を高く巻き揚げて、宮様のほうを振り向き「これでいかがでしょうか」というように目配せいたしますと、宮様は 満足げに にっこりと微笑まれました。
お側にいた女房たちも はじめのうちこそポカーンとして見ていましたが、そのうちに一人の女房が「ほら、あの香炉峰の雪は簾を撥げて見るっていう、アレのことじゃないかしら?!」と言ったのをきっかけにして、みなが口々に「さすがは少納言さん!」、「私だって、そのお歌は知っていましたけれど、とてもとても そんなにとっさには思いつけるものではないわ」などと感心してくれたのでした・・・
「枕草子」二百八十段より。
落語にもこんなのありましたわな。
★旦さんの怒りはるのんも分かるわ。若旦さん目ぇむいて芝居の真似したは
るがな……。まてよ、若旦さんにまともに「芝居やめろ」言ぅても聞かはら
へんやろなぁ……、よっしゃ。
★やれ、若旦那ぁ〜〜。芝居の真似をやめればよし、やめぬなんぞとぬかす
が最後、とっ掴めぇて……、ひっ掴めぇて……、やりゃ〜しょめぇか、返答
は? あ、さぁ。さぁ、さぁさぁさぁさぁ……、何と、なぁ〜んとぉ〜〜〜
●わぁ〜っ、定吉、お前うまいなぁ。嬉しなってくるなぁ……。えぇとこへ
来た二人で芝居しょ〜
kamigata.fan.coocan.jp
これの子孫が、女性に殴られた人がポツリと「親父にもぶたれたことないのに」と言ったら、その現実のごたごたはそっちのけで「そうだよな、ここはその台詞がお約束だよな!」と大盛り上がりに盛り上がる「げんしけん」のファーストエピソードになる。
遡れば、漢詩文というのもこういう「お約束」の応酬によって成り立っていたそうですね。
この一文全体は、浅羽通明「大学で何を学ぶか」およびその幻冬舎文庫版に付された高島俊男の解説に拠っています。
さて、「ガンダム」が共通文化、共通認識の世代が、それをベースにこれから何を作るか。
それは分からない。逆に言うと、見る側がどう育てるか、でもある。