これに直接参加したわけではないが、知り合いは何人も参加したそうだ。
特筆すべきというか、印象に残るのが、この催しがほぼ「手作り」、梶原一騎の息子さんが本当に、半分私的に行ったものだという。ファンとのふれあいのために。
資本主義的に考えれば、往年の劇画王の邸宅が解体される直前にイベントを行うとなれば、どこかの企画屋、広告代理店などが噛めば、期間も経済的にもビッグイベントにできたはずなのである。
ただ、そういうことをせずに、本当に手作り交流にとどまったのは、その粋というか上品さに感謝と敬意を表する。
ただ、そういう下世話なビジネス感覚があれば結果的にすべての文化が商品として延命する、というのも一面の事実で・・・・・・
たとえば数日のファン交流以外にも、高画質の映像スタッフや3Dデータのスタッフが、「梶原一騎邸」をより詳しく記録として残す、ということもあり得たのだろうか。
これは、今回の話だけでなく、「いま、ある種の歴史的な建物を解体する前にはどういう記録を残すべきか、残せるのか」みたいなテーマとして専門家に聞いてみたい。
70~80年代サブカルチャーは「代替わり」「専門家の終活」の話を耳にする
老朽化もあり、固定資産税や相続税もある。ただそれ以上に、我が身を振り返れば思いあたるが(笑)、住まいの拠点が変わる時、なぜかなんとか今は収納されていたあれこれの資料・逸品が、ただのガラクタ…とはいわんが次の拠点に移動できないことはままある。
ターザン山本もそうだった。某や某のようなプロレスマニアもそうだった。古書コレクターのあのひともそうだった。
今回梶原一騎邸を訪問した界隈で飲んだ時も、誰もが知ってる書き手のような人々が、これまでの取材資料、研究資料、自身の著作、手紙の類、録音録画テープ(テープ、なんだよかなりの貴重な音声や動画が!)を「どう処分するか」を思案する時代になった、という話をしておりました。
このテーマ、以前から追っていましたが…梶原一騎邸の解体と、最後の公開イベントという話に、再び思う。
【拡散希望】梶原一騎記念館が建立されるなら、かつてから公言している通り1962〜1979年の週刊少年マガジンを全部、もちろん無償で寄贈するよ。引っ込みつかなくなる「ように」改めてポスト。誰か高森町の方にこの志を届けてくれ。 pic.twitter.com/kf1E2oNwya
— 青髪のマスターG a.k.a. G藤さん (@stt48teamd) October 5, 2025
梶原一騎辞世の句 【吾が命 珠の如くに慈しみ 天命尽くば 珠と砕けん】
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過去の「有名な文化人が残した資料などの保存に関する過去記事&リンク集」
考えて、いきたい。
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