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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

或る宗教の「(信者でなく)聖典、教祖」への批判揶揄は「宗教憎悪」か?~だが「実力」でその議論は終わり…

ブクマが結構ついたNHK記事

表現の自由か冒涜か 対立をどう乗り越えるか

2023年08月01日 (火)
二村 伸 専門解説委員

イスラム教の聖典コーラン、正確にはアル・クルアーンといいます。イスラム教徒の心の拠り所であり、知人の言葉を借りれば、「人生の長い旅のガイドブックのようなもの」だということです。
このコーランを燃やす行為が北欧で繰り返されています。イスラム教徒にとって何よりも大切なコーランを傷づけることが表現の自由のもとでは許されるのか、北欧の国々と中東諸国の対立が深まり外交問題になっています。今なぜこの問題が持ち上がったのか、その経緯と背景を探り、これ以上の対立を避けるために何が必要かを考え…

これ、「考え」てるかあ?むしろ「考えをこうやって止めるんです」という例だと思われる。

ま、いいや。
この話も20年にならんとしているこのブログでは、何度も書いた話なのだが、だからこそ繰り返す価値もあろう。


話は、タイトルをもう一度提示すれば済む。

【或る宗教の「(信者でなく)聖典、教祖」への批判揶揄は「宗教憎悪」か?】

あとはジェレミー・ウォルドロン氏の著書を紹介すればいい、あー楽だ。これも再度繰り返すが、氏は「ヘイトスピーチは強力に法で規制すべきだ」という論者で、この本も全体的にはあまり賛同できるものではない。しかし、逆に言うとそういう論者ですら「宗教的冒涜」や宗教上の教祖、聖人、あるいは教義への「冒涜」をヘイトスピーチとみなすべきではない、と言わざるを得ないものがあるのです。

以下、再掲載。


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・著者はアメリカのティーパーティー運動を例に挙げこういう。
「私はティーパーティーの構成員の見解は多く馬鹿げており社会的に危険であると考えている。しかし Tea Party には公職に立候補し投票を行い投票を数えてもらう権利がある。これらの権利の否定は攻撃となる。しかし彼らの信念を攻撃したり嘲ったりすることは、私も彼らも同様に権利があり日常茶飯時である。この区別を宗教的生活の文脈でもできないと考える理由はない」


ヘイトスピーチ規制は、集団に対する名誉毀損禁止と 解釈される。しかし人々が宗教的名誉毀損について語る場合それはしばしば宗教ないしその教祖の名誉の毀損の意味である単にその宗教の支持者、信者の名誉を毀損することを意味しない。


・もし私たちがその宗教的集団の成員の個人としての存在から切り離された集団それ自体について問題にするのであれば名誉毀損の対象になるものは何もない。




・筆者は議論を要約する。
何百万というここのキリスト教徒たちが名誉毀損に対して保護される権利を持つ。しかしこのことはローマ教皇や聖人が、あるいは何らかの教義が保護されるべきだということを少しも意味しない。 同じように何百万人というムスリムたちが名誉毀損に対して保護される権利を持つ。そのことは預言者ムハンマドやその集団の教義上の信念が、名誉毀損から保護されるべきだということを意味しない。ある集団の成員の、市民としての尊厳は彼らの信仰の持つ地位とは切り離されて成り立つ。預言者に対する攻撃、あるいはコーランにさえ…それに対する攻撃がどれほど不快感をもたらすと思われたとしてもそうなのである。



・したがって私たちとしては「宗教に対する名誉毀損」のような言葉に関しては慎重であるべきであるーーヘイトスピーチを規制する法律の範囲を拡大しようと望む人々によってその言葉が用いられることに関して慎重であるべきである(反対する人々によっても同様だ)


・最近のある事件がこの点の好例になっている。
国連総会や人権理事会は宗教的名誉毀損を糾弾する決議に関してこれまで何度か投票を行ってきた。2009年3月26日にも人権侵害の一例として「宗教に対する名誉毀損」を糾弾する人権理事会決議が採択された 。”サウジアラビア”などの推進によって、だ。


・2005年のデンマーク漫画でも、国連は宗教的名誉毀損に反対する動きをいくつも取った。預言者ムハンマドを爆弾を投げつけるテロリストとして描いたいくつかの漫画のことである。その画像は嵐のような講義を引き起こし偉大な宗教の開祖の名誉をこのようなやり方で毀損する人々に法的な(あるいは法の範囲を超えた)措置を求める声が挙げられた。


・この漫画はそれら自体を取り上げてみた場合、ムスリムの人々に対する名誉毀損というよりもイスラム教の批判としてみなされることが可能である。ひねくれたやり方ではあるが「預言者の教えと現代のジハード主義のより暴力的側面の結びつき」をめぐる討論に貢献するといえよう。


デンマークの行政が問題の新聞に対して法的措置を起こさなかったのは、おそらく適切なことだった。この新聞社の行為が賞賛に値するものだと言いたいのではない。 権利があるということは権利の保持者に何としてもこうしなければいけない理由を与えるわけではないしその人を道徳的見地から保護すべきでもない。


・宗教はいつでも不快感が飛び交う領域である。取り分け、多様な信仰の存在する社会ではそうである。 それぞれの集団の信仰は他のどの集団に関しても侮辱的に見える。 キリスト教の「三位一体主義」はユダヤ教イスラム教の一神教主義にとってそれだけで侮辱であるいっぽう、ユダヤ教がイエスを裏切り者と特徴づけたり、イスラム教がイエスを単なる預言者の一人という地位に留めることもキリスト教の側から見れば侮辱に見える。これらを 回避することができるとは思えない。人は宗教によって定義される問題の数々を自らが最善と思うやり方で取り扱う自由を持つ。私はこうした争点に関してサルマン・ラシュディ事件の問題として書いたことがある。


・宗教の物語は敬虔な静けさを帯びることもあれば不敬虔な色彩を浴びることもあるだろう。神聖な儀式や伝統はお香の立ち込める中で行われることもあれば、タバコの煙の立ち込めるコメディクラブで風刺されることもある。


・宗教というものはその公共的表現において先ほど見たような問題に、どんな場合でも不快感を人に与える可能性を持つのでありこの点に関して宗教が毒を抜かれることはあり得ない。 お互いを怒らせることはほとんど、ことの本質に属すると言っても良いのである。


・他者に不快な思いをさせる人も、それにもかかわらず仲間の市民として承認されるべきなのであり、しかもそうした人々は「彼らを排除するために社会的な力が動員される」のを禁止することによって保護されるべきだということだ。


・「自分たちは自分たちの信仰と同一化しているのだ」と主張されることがある。こう言われると、信仰に対する攻撃と人格に対する攻撃の区別が困難になる。「アイデンティティ政治」の文脈では、このことは大げさに言い立てられる。
しかしアイデンティティ政治とは大部分が自分たちが資格を持つ以上のものを要求する無責任な企てである。これは文化的アイデンティティも同じだ


・デモクラシーの政治では、誰でも敗北を受け入れる可能性がある。それでも、つまり多数派の意思でも侵害されない権利を我々個々人は持っている。それがそもそも「権利」である。
しかし、そうであるからこそ政治によっても侵害されない個人の権利というものはどの程度であるかを慎重に制限しないといけない。
その問題は我々のアイデンティティと同一化している、というのは「その問題は政治的に交渉不可能である」という意味になる。「その問題」 と「彼ら自身」を同一化させることが本当に必要であるかを考え直す責任があるのだ。


エド・ベイカーは、「信仰の自由」の放棄は「自分の皮膚を脱げ」と要求するようなもの、とした。それはどこまで拡大できるのか。


・私はイエスキリストは神の子であり人類の救済者だと信じている。 そう信じる私の権利は社会の核心的利益のひとつである。だがこの見解が決して反論されることも笑いものにされることもない社会環境を、要求する説得力があるだろうか。この議論は宗教的信仰をアイデンティティと結合させることによっても回避されない。

蛇足1

いまとなれば、こういう角度からも論じられるだろう。

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ムハンマドは〇〇〇だ」

文鮮明は〇〇〇だ」

の間に、何かの差はつくか。つけたくなるだろーし、実際差はあるのだが、さくら、そこに差をつけたらおしめぇよ。
あるいは「原理講論」と「クルアーン」の差でもいいし、「法華経」と「モルモン書」の差でもあるのだ。そこに扱いの差は、あるんかい。

蛇足2

ムハンマド 570ごろ~632年。聖徳太子とほぼ同世代人、と思ってほしい。
そしてアラビア半島を軍事的に征服した軍人であり、そこに政治的に君臨し人民を支配した王である。
その前にも後ろにも、多くの伝説的な王がおり、武人がいる。その言行はさまざまなフィクションにもなり、エンタメ、サブカルになっている。
底では喜劇的な風刺や、史実とはかけ離れたキャラ付けも多々なされている。

戦国武将やナポレオンやシーザーはこうできるが、ムハンマドはこうしてはならない、とは言い難い?
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宗教の開祖や聖人は例外?いやいやいや

※前々から言ってるんだ、この種の問題がでたら「識者コメント」でこの人の談話を取ってこい、って(笑)。

蛇足3

トリエンナーレでやったら」
(もう説明を省く)

ギャラリーフェイク「カリスマ真贋」より(22巻)村上隆批判?が話題/これはアートだ、と言い張れば何でもアート?

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蛇足4 「レインボーフラッグを焼く行為」は規制さるべきか。

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しかし、すべての理屈を「実力行使」(の危険)によって超えているのが現状

バグダッドで数百人のデモ隊がスウェーデン大使館を襲撃しました。この日、ストックホルムでデモに参加した男らがコーランイラクの国旗を燃やそうとしたことへの抗議と見られています。スウェーデンビルストロム外相は「イラク当局が外交官らを保護する責任を果たさず到底容認できない」と非難しましたが、イラク政府は「再びコーランが燃やされれば外交関係を断絶する可能性がある」と警告し、イラク駐在のスウェーデン大使に国外退去を求めました。

イラク政府はその2日後、デンマークでもコーランイラクの国旗が燃やされたと非難。抗議のデモ隊がバグダッドデンマーク大使館への突入を試みました。

▼イランでもスウェーデン大使館前で抗議デモが起き、最高指導者ハメネイ師は「コーランを燃やした者はもっとも厳しい罰に値する」と述べ、サウジアラビア政府もスウェーデンデンマークを批判しました。

▼24日にはデンマークの首都コペンハーゲンイラク大使館前で、その翌日にはエジプト大使館とトルコ大使館の前で反イスラムのグループがコーランに火をつけました。トルコやヨルダン政府は「イスラムへの冒涜だ」と強く非難、イエメンのサヌアでは数千人が抗議デモに参加しスウェーデンデンマークの製品の不買運動を呼びかけるなど緊張は拡大しています。


結局これだけの「実力行使」があり、中には外交ルートを通じた正式・公なものもある。
あるいはシャルリー・エプド襲撃事件のような、むき出しの暴力とテロもある。

その結果としてこうなる

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関連・爆笑問題太田光が告白、「僕もイスラム教をしゃべる(ネタにする)のは怖い」 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090502/p5
 
ぼくなんかも結構いいたいことをいろいろ言うタイプなんですけど、イスラムっていう話題のときはちょっと怖いですよ。
というのは、ありましたよね・・・あの…なんだっけ
(山内「悪魔の詩ですか?」)
それと、ちょっと前に…絵、絵だっけ。
(山内「デンマークの風刺画事件ね」)

ぼくらにしてみりゃ風刺画ごときってことなんだけど、おそらくものすごいギャップなんだと思うんですよね。それは分かるんですよ僕は。
だからそこはあんまりその…ヘタに、知らない人間が…あの…要するに、要するに俺・・人にとってはなんでもないことが、俺はそこだけは琴線に触れちゃって許せないことはだれにでもあるから。
そうするとイスラムにとってのああいう風刺画であるとか、いわゆる神を冒涜するようなものっていうのは、シャレにもならないっていう




こういう、現状なんだろうね。