公式サイトからはそれぞれの1話試し読みがある。
そりゃまあ、順当ですわ。好きな作品ばかり。
とくに2位のウィッチウォッチは、当ブログではいささか贔屓してプッシュしてる。
過去記事を丁寧にリンク張ってもいいのだが、
ちょっと面倒なので
m-dojo.hatenadiary.com
で、興味ある記事を見てください。
作者も言ってるが、「もう貴方は十分に大物なので、この賞にはふさわしくない」的な排除をされてもおかしくない、と思ったが、そうはならなかった。
WEB部門は・・・・・・まず存在を知らなかった。本当にWEB漫画は広大だ。まず知るところから始めないとあかん。そういう点でも感謝である。
企画・主催はダ=ヴィンチとニコニコ、特別協賛U-NEXTか…そりゃあ自前の「賞」が欲しくなるよなっ
ここから「賞の権威の成り上がり」について。
この話は、このブログでも何度も書いている話だけど、「賞」(ランキング)というのはビジネスの一環です。自分の息がかかった「賞」を作り、それを牛耳ったうえで、その賞が「権威」となれば、それだけでおいしい話が相手の方からどんどこ転がり込んでくる。
自分は「このマンガがすごい!」「このミステリーがすごい!」が毎年の風物詩になり、それが「権威」「ビジネス」となっていく光景を目の当たりにしている。
だからそういう意識も強いのだろう。
逆に朝日新聞肝いりの「手塚治虫文化賞」が、本当に鳴り物入りで始まったものの途中で失速し(笑)、その後は逆に商業的なところとはちょっと離れた佳作的なものを紹介する賞的な感じになったのも見てる(いや今でもメジャー賞だよ、という声も、もとからそういうつもりだった、という声もありそうだが)
文化庁メディア芸術大賞は、そういう中でも公的な意味もあり、非常に重要な賞だったが、まさに「一定の役割を終え」終了したことは報道の通り。
文化庁メディア芸術祭、終了へ 今年度の作品募集せず「役割終えた」:朝日新聞デジタル
www.asahi.com
マンガやアニメーション、メディアアートなど優れたメディア芸術を顕彰し展示する文化庁メディア芸術祭が、今年3月に受賞作品を発表した第25回をもって終了することがわかった。同芸術祭のホームページで24日、今年度の作品募集を行わないと発表した。文化庁は「歴史的な役割を終えた」としている。
メディア芸術祭は、新しい表現技法を開拓した作品を表彰してメディア芸術の振興を図ろうと、1997年度から始まった。これまでの受賞作品には、「エンターテインメントロボットAIBO(アイボ)」やアニメ「もののけ姫」「君の名は。」、マンガ「3月のライオン」「ジョジョリオン」などがある。
文化庁の担当者は「当時に比べてメディア芸術の振興は進み、国内外から公募して顕彰するという現在の方法は一定の役割を終えたのでは。今後は国際的な発信により力を入れていく局面ではないか」と説明。また、顕彰としては、芸術選奨に「メディア芸術」の分野が既に加わっていることも理由に挙げた。
こういう、ビジネスに繋がる賞は、時々はたしかに「多すぎるよ!」とも思うのだが、結局、科学の分野の新発見や、味のおいしい店、素敵なファッションを増やす方法と同じで「どんどん自由に参入できるようにする」しかないのだろう。
そういう点で、2015年に果敢に、まだ新しい開拓地がある筈だ…とマンガ賞創設に動いたダ=ヴィンチ…すなわちリクルート社(後述)やニコニコ動画…すなわちドワンゴの野心というか貪欲さには感心しきり。
※…と書いたら、リクルート社は無関係、とのブコメをいただいた。
何と仰るウサギさんッ(永島のオヤジ風)、ダヴィンチと言えばリクルート、リクルートといえばダヴィンチ! 天地がぐるっとひっくりけえっても変わらねえ…と思ったら、2011年にKADOKAWAに!!!
いやあ、しらなかった。いまはKADOKAWAと知っていたら「貪欲」という言葉は適切ではなかった。「慳貪」とか言えばよかった(笑)
そういうことでいまはKADOKAWA!!
逆にいえばさ、これだけ文化的に定着した「テレビゲーム」で、たとえば小説の直木・芥川賞や映画のアカデミー賞、音楽のグラミー賞やレコード大賞に匹敵する「賞」って何?
「昨年、ゲームの〇〇賞を取ったのはXXXだったね」みたいなので盛り上がったりはしないよね?
そういう点では「なぜ〇〇というジャンルに、誰もが知ってる権威や知名度のある賞がまだないんだろう?」とか
「〇〇〇というジャンルには『賞』があるべきではないか?」みたいな思考実験を、皆がやってもいいと思います。
あと、賞の話と言えば毎年「ユーキャン新語流行語大賞は、みんなが冷笑するようになり、権威がた落ち」と書いているが、それでもしぶとい、ほろびない。今年の漢字は勧進元のやってる「漢字検定」がそもそも意味のないって話を、これも毎年している。
そして「賞がニュースとして扱われたか」という点では、はっきり言って圧勝し続けてる。ほんっと、なんであんなに「新語・流行語大賞」と「今年の漢字」はニュースとなっているのだろうかね。
ある意味で立派だし、ほかのあらゆる「賞」が仰ぎ見る存在です。
なんだかんだ言って、「次に来るマンガ大賞」に○○が選ばれました、はテレビニュースやワイドショーにはならんものな。
その一方で「どんなにお偉い実績のあるアーティストや学者様が集まって討論しても、大衆の集合知にはかなわないんだよ! twitterやGoogle、ヤフーといった検索サイトやSNSの『検索結果』こそが公平で権威のあるランキングなんだよ!」ッてな形で、「検索結果」「バズり度」によるランキング(賞)も生まれ、それが勢いを増す歴史も見てきました。
ちなみに誰が言ったか「昔は『きょうの朝刊』を紹介するテレビ番組があったが、今は無くなった。かわりに「きのうのネット検索ワード」を紹介するコーナーがどんどん増えている」と。
これが始まったころに、それに注目した記事を描いたこともあったと思う……。
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これは謎の社会学者パオロ・マッツァリーノ氏がどこかで言ってたんだけど「賞を作って授与すれば、なぜかその賞をもらった偉い人達に上から目線で接する位置に、授与する側が位置することができる」という謎の逆転機能はあるわけです、「賞」って。
その論文はこの本に書いてあった…と思う